〈大阪万博〉収集グッズは1万点以上、日本随一の万博コレクターが「人生で一番興奮した」1970年万博の衝撃的なパビリオンとは?「まるでタイムマシンで近未来に来たようやった」
〈大阪万博〉収集グッズは1万点以上、日本随一の万博コレクターが「人生で一番興奮した」1970年万博の衝撃的なパビリオンとは?「まるでタイムマシンで近未来に来たようやった」

55年前、万博一色に染まった大阪の街で、その魅力に魅せられた一人の青年がいた。以降、太陽の塔のフィギュアやパビリオンの衣装など、収集した大阪万博関連のグッズは1万点以上。

自宅にウルグアイ館を移設し、私設の博物館を開くほどの“底知れぬ万博愛”を持つ日本随一の万博コレクター・白井達郎さん(70)だ。万博沼に落ちてから約60年、人生2度目の地元・大阪での万博開幕に高まる期待と率直な思いに迫った。

収集した万博グッズは1万点以上

1970年に開催された大阪万博の跡地である万博記念公園。

その象徴として知られる芸術家・岡本太郎氏の作品「太陽の塔」がドンと構える脇で、70年万博から55周年を記念した展示会「プレイバック1970 大阪万博と昭和レトロ」が開催されている。(2025年8月3日まで)

「おおきに~!」

そう明るく出迎えてくれたのは、日本随一の万博グッズコレクターとして知られる白井達郎さんだ。今回の展示会では、パビリオンのユニフォームや太陽の塔のフィギュアなど白井さんが収集した1万点以上の中からとっておきの万博グッズを展示しているという。

さっそく会場を案内してもらったところ、まず目に入ってきたのは、壁一面に貼られた当時のチラシ。いったいこれは…。

「会期中、文化住宅をホテルや旅館として利用していたんですが、その案内チラシです。

70年万博は、当時の国内人口1億人のうち、延べ6400万人が来場するほどの盛り上がりでした。人口の約半数以上です。全国各地から団体旅行で来る人も多かったんですが、当時の大阪にはホテル自体が少なかった。

だから会期中はアパートや文化住宅を建てて、それをホテルや旅館として利用していたんです。

会期後は分譲住宅として売られました」(白井さん、以下同)

当時はインターネットもなく、旅館情報をチラシで見つけて宿泊先を確保していたため、万博会期中はこのようなチラシが全国的に出回った。白井さんは閉幕後、街の古書店を巡り、一枚一枚収集していったという。

70年万博は「人生で一番興奮した」

会場の奥まで進むと、鮮やかな色合いと奇抜なデザインのパビリオンの衣装がズラリと並ぶ。なかには世界的デザイナーのコシノジュンコさんや故・森英恵さんが手掛けた衣装もあり、その一部も白井さんが収集したものだ。

「近所の人から譲り受けたり、『開運!なんでも鑑定団』(テレビ東京)に出演して募集した衣装もあります。それで40着ほど集まりました。かなり高額なものもあったんやけど、どうしても欲しいと思ったら、お金は惜しまんかったわ」

と笑顔で語る白井さん。いったい、万博の何がここまで白井さんを沼らせるのか。率直に聞いてみると、

「そんなん話すと長すぎるわ…(笑)」

と照れながらも、ハマったきっかけは70年万博の誘致が決まった1965年にまでさかのぼるという。小学6年生で関連イベントに参加したことをきっかけに興味を持つようになり、「万博」の文字が入った新聞記事をスクラップしたり、大阪府池田市の自宅から自転車を漕いで、何度も会場予定地を見に行ったという。

「大阪の街が万博に向けて生まれ変わっていく様子を肌で感じて、ワクワクが止まらんかったんです。開幕したときは高校入学前の春休みで、翌々日ぐらいに会場まで行って、開会式に使われた紙吹雪を集めにも行きました(笑)」

会期中は30回ほど会場に遊びに行き、万博会場に入るため、夏休みを利用して会場内のレストランでアルバイトもした白井さん。バイトの合間をぬって全パビリオンを訪れたというが、その中でも一番衝撃的だったのが「三菱未来館」だったという。

「気象をコントロールして海底都市に住むという50年後の日本の姿を多様なスクリーンを駆使して映し出していたんです。まるでタイムマシンで近未来に来たようなSFさながらの世界観が広がっていて…非常に感激した記憶があります。

海外への憧れが強かった時代に、世界77カ国が一気に大阪に集まる衝撃や、会場内の熱気と歓声、そしてそこにそびえ立つ太陽の塔…、今でも『人生で一番興奮した』と言えるぐらい忘れられない瞬間です」

2025年万博も「30回以上行く予定」と言うが、収集のほうは…

以降、万博関連の資料やグッズ収集がライフワークとなっていった。

「高校生のころはお金がなかったので、無料でもらえるチラシやパンフレットを中心に集めていました。会場内で売っている商品は高校生の小遣いで買えるレベルの値段ではなかったので。

ただ閉幕後には、売れ残った万博の商品や展示品がバザーと称して各地で安く販売され始めてから、そういったものをコツコツ集めていきました。もう万博マークがついたものであれば、無我夢中で(笑)」

万博グッズ収集に本腰を入れ始めたのは社会人になってからで、全国各地のリサイクルショップや中古レコード店、古書店を回るのが日課となった。

その後も万博愛は深まるばかり。2002年には、現存していたウルグアイ館の一部を自宅に移設し、土日限定で自宅併設の「万博ミュージアム」を開館、収集したグッズの一般公開も始めた(グッズが増えすぎたため現在は閉鎖中)。

次第にメディアでも取り上げられるようになり、2008年には脱サラして万博グッズを展示した喫茶店「EXPO CAFE」を開業(2011年に閉業)。現在も万博ファンから“ばんぱ館長”の愛称で親しまれている。

そんな白井さんにとって人生で2度目となる地元・大阪での万博開幕についての思いを聞いた。

「今回の万博も面白いですよ! 調べれば調べるほど楽しそうで! イベントは毎日のようにあるし、各国のレストランもたくさん出店します。万博はなんだかんだ食べ歩きが一番楽しいんです。それだけで何回も行かなアカンし、楽しみでしゃあない!

70年万博のときも『ニュージーランド館のアイスクリームが美味しかった』って後から聞いて悔しい思いをしたんで。みんなが文句いってる1杯3000円のラーメンだってもちろん食べますよ!」

4月だけですでに6回分のチケットを予約済みだといい、「会期中は30回以上は行くつもりやな」と意気込む。

しかし、今回も万博グッズ収集に邁進するのか、と尋ねると白井さんからは意外な言葉が返ってきた。

「今年の万博は集めない。いまさら集めてもしゃあない。

そりゃ生きてるうちに2回目の万博を体験できる喜びはありますよ。一生かけても回ることのできない世界の国々と触れ合えるワクワク感は、僕だけでなくできるだけ多くの人に味わってほしいと思ってます。

でも自分にとって1970年の万博を超える体験にはならないことは分かっているんです。だから今回は深追いしません。それにこれ以上集めたら歯止めが利かなくなりそうやし…(笑)」

人生2度目の大阪万博は青年時代とは違った視点で楽しみたいと話す白井さん。

果たして2025年大阪・関西万博は人々の胸にどんなドラマを刻むのか。

取材・文・撮影/木下未希 

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