
第二次世界大戦後のアメリカは超覇権国家として国際秩序を主導してきた。だがアメリカは今、その政策を大きく転換しようとしている。
書籍『沈む祖国を救うには』より一部を抜粋・再構成し、二度の世界大戦を経て「近代市民社会」の実現に向けて歩んできたはずの人類の歴史を見つめ直す。
防衛反応としての「自国ファースト主義」
世界で亢進(こうしん)している「自国ファースト主義」は、これらの非国家アクターの脅威に対する国民国家サイドからの防衛反応だというふうにも理解することもできる。
自国ファースト主義者は国際秩序の維持コストの負担を拒否し、自国の国益の最大化だけを追求する。中国、ロシア、北朝鮮、イランのような権威主義的国家がそうだし、インド、インドネシア、トルコなどもそれに準じている。
ヨーロッパでもハンガリー、ポーランド、オランダなどは民主主義国家だが、選挙を通じて極右の自国ファースト主義政党を政権の座に送り込んだ。
アメリカもトランプが再選されれば、国際秩序の維持コストの負担を拒否するようになるだろう(原稿は24年7月時点)。
アメリカの有権者がトランプを選好するとしたら、それは「中国やロシアのような権威主義国の独裁者に対抗するためには、民主主義国も強権的なリーダーを立てるしかない。こちらが国際秩序のためにルールを守って抑制的に行動し、あちらがルールを無視して利己的な行動をするなら、勝負にならない。だったら、こちらもルールを無視するしかない」という直感的な判断に基づいているのだと思う。
戦後久しくアメリカは超覇権国家として国際秩序を主導してきた。そのコストに耐えられるだけの軍事力と経済力があったからそれができた。
しかし、イラクとアフガニスタンで国力を消耗し、経済力も衰え、ついに国際秩序を維持するコストの負担に耐えられなくなった。
オバマが「世界の警察官」をもう辞めると宣言したのも、トランプが「アメリカ・ファースト」を掲げたのも、同一の文脈の中の出来事である。
たしかに衰退したとはいえ、アメリカは依然として世界最強の軍事大国・経済大国である。
だから、「国際秩序なんか知ったことか。アメリカさえよければいいんだ」と開き直れば中国やロシアやイランに負けることはまずない。つまり、その気になれば、アメリカは「世界最強のならず者国家」になれるということである。
お前はどの部族(tribe)の人間だ?
世界各国が喉笛を掻き合う野蛮な「自然状態」に戻っても、その荒れ果てた「マッドマックス2」的ディストピアでも最後に生き残っているのはアメリカだろう。そのような未来をアメリカは選ぼうとしている。
でも、「自国ファースト主義」をすべての国民国家が掲げれば、いずれどこも自分で自分の首を絞めることになる。というのは、「自分さえよければそれでいい」という構文の主語の「自分」はいくらでも小さくできるからである。
現に、アメリカではテキサスでもカリフォルニアでも州独立の運動が活発化している。
今、アメリカで獗猖(しょうけつ)を極めている「アイデンティティー・ポリティクス」というのは、属性の近いものが固まって、他の集団とゼロサムの資源争奪戦を展開するということである。
「お前はどの部族(tribe)の人間だ?」という問いがまず立てられる。
この「より同質性の高い部族に縮減してゆく」傾向がアメリカではだいぶ以前から顕著になっている。ジョージア州フルトン郡サンディスプリングでは、富裕者たちだけが自分たちの納めた税金が他の地域の貧民に分配されることを嫌って、「金持ちだけの自治体」をつくった。
金持ちがいなくなったせいで税収の多くを失ったフルトン郡は、図書館などの公共施設が維持できず、街灯まで消された。その結果、フルトン郡では治安が一気に悪化した。
この「成功事例」を見て、アメリカ中の富裕層が住む自治体でこれに続く動きが起きている。
「近代市民社会」は幻想か?
テキサス州やカリフォルニア州の独立運動も発想は同じである。自分と同質の者だけと部族を形成してその利益を最優先する。「純化と縮減」である。
この傾向が加速すれば、アメリカはいずれ「国としてのまとまり」を失うことになりかねない。公共はいったん解体し始めると、あとはもう歯止めが効かない。
「共同体は純度が高いほどよい」というルールを採用すれば、同じ部族内であっても、純度の高さを求めて、さらに小さな同質集団に分裂することはもう止められない。
公共を形成するための努力─理解も共感も絶した他者との共生の努力─を拒否すれば、どんな共同体もいずれは解体する。オルテガ※はそれを「野蛮」と呼んだ。
今、私たちが直面しているのは「近代の限界」というより「前近代への退行」である。
ということは、論理的に言えば、今必要なのは「近代の復興」、「近代への回帰」だということになる(論理的にはもう一つ「近代の限界を突破して、見たこともない世界に突き抜ける」という加速主義(accelerationism)の選択肢もあるが、「見たこともない世界」に突き抜けるプロセスでどんなリスクがあるかについて加速主義者たちは想像力の行使を惜しむ傾向があるので、私はこの立場を採らない)。
それに、「復興」とか「回帰」という言葉を使うと、まるで過去に近代が存立したことがあるようだけれど、もしかすると、「近代市民社会」などいうものはまだ歴史上一度も実現したことがなかった幻想かも知れない。
だとしたら、「近代市民社会の実現」こそが私たちに課された歴史的使命だということになる。
※オルテガ・イ・ガセット スペインの哲学者
写真/Shutterstock
沈む祖国を救うには
内田樹
なぜ日本はこんなにも「冷たい国」になったのだろう――
物価上昇にステルス増税、政財界の癒着、そしてマスメディアの機能不全……
激動の国際社会の中で、沈みゆく「祖国」に未来はあるか!?
ウチダ流「救国論」最新刊!!
ここ数年で、加速度的に「冷たい国」になってしまった日本。
混迷を極める永田町、拡大する経済格差、税の不均衡、レベルが落ちた教育界など問題が山積となっている。
また、アメリカの新大統領がトランプに決まり、国際情勢も先行きが不安定である。
生活苦しい国民に手を差し伸べることのない冷たい国で、生き抜いていくためにはどうしたらいいのか……。
この「沈みゆく国」で、どう自分らしく生きるかを模索する一冊!
<項目>
★「観光立国」という安全保障
★「最終学歴がアメリカ」を誇る、残念な人々
★ 加速する「新聞」の落日
★「食糧自給率」が低い――その思想的な要因
★ 第二期トランプ政権誕生の「最悪のシナリオ」
★ 民主政の「未熟なかたち」と「成熟したかたち」
★「自民党一強」の終焉
★ 80年後に残る都市は「東京」と福岡のみ
★ 今、中高生に伝えたいこと ……etc.
<本文より>
今の日本は「泥舟」状態です。
もちろん、どんな国にも盛衰の周期はあります。勢いのよいときもあるし、あまりぱっとしないときもある。それは仕方がありません。国の勢いというのは、無数のファクターの複合的な効果として現れる集団的な現象ですから、個人の努力や工夫では簡単には方向転換することはできません。歴史的趨勢にはなかなか抗えない。
勢いのいいときに「どうしてわが国はこんなに国力が向上しているのだろう」と沈思黙考する人はいません。そんなことを考えている暇があったら、自分のやりたいことをどんどんやればいい。でも、国運が衰えてきたときには、「どうしてこんなことになったのか?」という問いを少なくとも、その国の「大人」たちは自分に向けなければいけません。【中略】 読者の中には、読んでいるうちに「自分こそが祖国に救いの手を差し伸べる『大人』にならないといけないのかな……」と思って、唇をかみしめるというようなリアクションをする人が出て来るような気がします。そういうふうに救国の使命感をおのれの双肩に感じる読者を一人でも見出すために僕はこれらの文章を書いたのかも知れません。 ――「まえがき」一部抜粋