〈30代独身男が気持ち悪がられていた時代〉「30歳までに結婚しない男は支店長にはなれない」「フロ・メシ・ネル」が当たり前だった昭和の考えられない結婚観
〈30代独身男が気持ち悪がられていた時代〉「30歳までに結婚しない男は支店長にはなれない」「フロ・メシ・ネル」が当たり前だった昭和の考えられない結婚観

晩婚・未婚化が進む昨今、30~40代の独身者は珍しくないが、昭和の時代には今では考えられないような結婚観があった。新婚旅行、夫婦関係、独身生活…当時の結婚・恋愛観とは。

『不適切な昭和』より一部抜粋・再構成してお届けする。

熱海や宮崎が新婚旅行の聖地だった

海外旅行がまだ高嶺の花だった頃、新婚旅行では熱海や宮崎日南海岸に行く人が多かった。

そのため、昭和40年代には東京駅で新郎を胴上げしてバンザイ三唱する光景などもしばしば見られた(のちにはホームに「胴上げ禁止」の掲示も出された)。また、国鉄では見送り用の入場券が10枚付いた、「ことぶき周遊券」なるものも発売されていた。

宮崎が人気となったのは、1960(昭和35)年に、昭和天皇の第五皇女貴子内親王と島津家第12代当主・忠義公の孫で、旧佐土原藩主島津久範公を父にもつ久永氏が結婚し、その新婚旅行先として宮崎が選ばれたことが始まりだった。1962(昭和37)年になると、ご結婚(1959〈昭和34〉年)からまだ間もない皇太子ご夫妻が訪れたことで、青島・日南海岸周辺は「プリンセスライン」と呼ばれ、人気はさらに加速する。

1965(昭和40)年に、川端康成原作のNHK連続テレビ小説『たまゆら』(最高視聴率44.7%)等多くの映画やドラマで宮崎が舞台となったり、『フェニックス・ハネムーン』(1967〈昭和42〉年:永六輔作詞、いずみたく作曲、デューク・エイセス歌)など、宮崎にちなんだ歌謡曲が作られたことも大きく影響していったようだ。

さらに、1967(昭和42)年には、京都発宮崎行きの新婚旅行専用列車「急行ことぶき号」も運行を開始。1974(昭和49)年に新婚旅行で宮崎を訪れたカップルは約37万組に達し、これは全国のカップルの約35%に相当していたともいわれている。

一方、東京からの近場の新婚旅行先として人気だったのが熱海だった。温泉があり、夜景も美しいということで、あまり費用がかけられない向きとなると迷わずこちらを選ぶことも多かった。

海岸にある「お宮の松」の前で記念撮影を行うのが定番で、そのため朝などは順番待ちになっていることもあった。こうした光景はしばしばテレビ番組でも取り上げられていたが、当時はアナウンサーも「新婚初夜を終え、さらに夫婦仲を深めた二人が……」なんてことを平気で話したりしていた。



昭和も終わり近くになると、ハワイなど海外旅行が一般的となり、国内も北海道や沖縄を選ぶ人が増えたため、「新婚旅行=宮崎・熱海」のイメージはだんだんと薄れていく。似たような装いをしたカップルたちが、駅でみなに見送られ、一緒の列車に乗って、同じ場所に行っていたのも、はるか昔のセピア色の記憶となりつつあるようだ。

「男は結婚すると超ラク」といわれていた

昭和の時代は男がまだまだ強くて、家に帰っても「フロ」「メシ」「ネル」しか喋らないダンナがたくさんいる、などといわれていた。結婚した女性のほとんどは専業主婦になっていて、大半が「養ってもらっている」との意識を持っていたため、そうした場合でも不平不満を表に出すことはほとんどなかった。

筆者も若い頃はよく職場の上司から、「結婚すると信じられないほど楽だぞ」「家に帰ると飯ができてて風呂が沸いてるし、掃除も買い物も一生しなくていいんだぞ」「しかも夜のサービス付きだぞ」などといわれていた。

今は、家事も分担が当たり前となって、男もゴロゴロしてはいられなくなった。そもそも、右記のようなことを話して、それが女性たちに伝わるだけでも、「女性差別の最たるもの」として突き上げられるのは必至であろう。

いつの間にやら滅多なことはいえない世の中になってしまったが、これも時代の流れというべきなのかもしれない。

30代独身男がもの凄く気持ち悪がられていた

昔は、ほとんどの男性が20代後半までに結婚していたので(男性の生涯未婚率は1955年当時約1%、2015年では約28%[国勢調査])、たまに30代半ばで独身の男などがいると、「あの人、何かあったのかしら……」などといわれて、町中で噂になったりしていた。

近所の主婦同士が集まっての井戸端会議の際も恰好のネタとなっており、そこへ「噂をすれば影」でたまたま当人が通りかかったりすると、みなでニッコリと微笑んで会釈し、やり過ごしたあとで「ああ、ビックリした」などといいながらまた話を続けたりしていた。

会社でも話題になることが多く、昼食時など「○○さん、まだ独身なの知ってる?」「えっ、まさか!」といった会話もよく聞かれた。30代半ばでもこのありさまだっただけに、40代~50代で独身だったりすると、もはやそれはほとんど「触れてはいけない話」扱いであった。

そうした人物については、他の部署から「どんなヤツだ」とばかりに、わざわざみにいく話もあって、やがては段々と本人もどこか「暗い過去を持つ男」のような雰囲気を漂わせ始めたりしていた。

ちなみに、筆者の父親は大手都市銀行に勤務していたが、「昭和の頃には、30歳までに結婚しない男は支店長にはなれないという不文律があった」とも話していた。

当時は、いいトシをして家庭も築けない人間は社会的信用もないし、またどこかおかしい人間ともみられていたのである。そのため、行内では29歳になると駆け込みで見合い結婚するケースが続出していたという。

ほとんどの人が結婚していたのは、こうした同調圧力の結果でもあるし、逆にいえば大半の人は適当に妥協して結婚していたのだともいえるのだろう。自由な時代にはなっているが、近年では結婚難が叫ばれており、未婚化・晩婚化・少子化も極端なまでに進んでいる。当時の状況が良かったのか悪かったのか、いい切るのは難しそうである。

文/葛城明彦

『不適切な昭和』(中央公論新社)

葛城明彦
〈30代独身男が気持ち悪がられていた時代〉「30歳までに結婚しない男は支店長にはなれない」「フロ・メシ・ネル」が当たり前だった昭和の考えられない結婚観
『不適切な昭和』(中央公論新社)
2025年5月9日990円(税込)232ページISBN: 978-4121508416

いまとなってはありえない!
これが令和の日本とは同じ国とは信じられない事実の連続。なつかしくもおかしい昭和の時代の景色を今によみがえらせる。コンプラ意識ゼロの怒濤の常識、非常識。

第1章 社会――暗くて汚かった街
第2章 学校――カオスな、もうひとつの小社会
第3章 家庭と職場――のん気なようで意外と地獄
第4章 交通――ルール無用の世界
第5章 女性――差別もセクハラも放ったらかしだった頃
第6章 メディアと芸能界――規制ユルユル、何でもやり放題

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