鈴木忠平×早見和真×クロマツテツロウ「野球の物語が生まれるとき」 トップランナーたちが明かす創作に込めた胸の内
鈴木忠平×早見和真×クロマツテツロウ「野球の物語が生まれるとき」 トップランナーたちが明かす創作に込めた胸の内

2021年の刊行後、各ノンフィクション賞を総なめにした『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか』の鈴木忠平氏、本屋大賞のノミネート作品に選ばれ、球児の母親視点で書かれたこれまでにない野球小説として話題の『アルプス席の母』の早見和真氏、プロ野球のスカウトマンを物語の主軸にすえ、現代のドラフトの裏側を描く『ドラフトキング』や最先端の高校野球を描き出す『ベー革』などが人気を博すクロマツテツロウ氏。野球をテーマにしたノンフィクション、小説、漫画のトップランナーたちが創作に込めた胸の内を語り合う。

それぞれの立場から考えるリアリティとの向き合い方

早見 クロマツさんの『ドラフトキング』(集英社)には僕の母校(桐蔭学園)が登場しますよね。グラウンドの風景とか。

クロマツ あ、そうですね。僕の『ベー革』(小学館)という漫画でも、校舎などの風景を参考にさせてもらっています。

早見 『ベー革』では、春の大会で“桐桜蔭”という名前の学校が負けていましたね(笑)。鈴木さんの『嫌われた監督』(文春文庫)は、あるノンフィクションの賞で僕の『あの夏の正解』(新潮文庫)が同時にノミネートされていて、敗北した過去があるんですよ。

鈴木 そうでしたね。なんかすみません(笑)。

早見 『嫌われた監督』はあの時点ですでに山ほど賞を取っていたので、「もうここはいいだろう、俺にくれ!」と思っていたのですが(笑)。

クロマツ 早見さんのデビュー作『ひゃくはち』(集英社文庫)は、2008年の作品ですよね。当時、僕はまったく仕事がない状態でくすぶっていて、サーフィンばかりやっていたんです。で、海のそばでボロボロの軽バンで車中泊している時に読んだのが『ひゃくはち』でした。

早見 え、マジすか(笑)。



クロマツ その後、僕は2013年に『野球部に花束を~Knockin’ On YAKYUBU’s Door~』(秋田書店)というコメディ漫画を連載することになるんですが、これは完全に『ひゃくはち』にインスパイアされた作品でした。

早見 それは光栄です、ありがとうございます。

鈴木 僕は早見さんの作品でいうと、『アルプス席の母』(小学館)が興味深かったですね。以前勤めていた新聞社の新人記者の頃、甲子園で選手のお母さんを捕まえてくる取材をよくやらされていて、アルプス席で「◯◯選手のお母さん、いらっしゃいますかー!」と大声で探して話を聞いていました。そういう実体験があるからこそ、この題材で一冊持つのだろうか? という純粋な疑問がまずあったんです。

早見 確かに僕も、書き始める前はけっこう不安でした。でも、いざ書き始めてみるとどんどんのってきて、「これはあと10冊くらい書けそうだな」となりました。

鈴木 なるほど(笑)。野球モノはたいてい、ある一試合が物語のメインになって完結しますが、早見さんは甲子園の前後を描かれている。人生は物語のように閉じるわけではないという、このテーマ設定が絶妙で素晴らしいと思いました。

早見 おっしゃる通りで、このテーマなら物語としての終わりはないんですよね。人生が続く限り、どこまでも続く。



鈴木 また、番記者時代にはスカウトの方が身近だったので、実は同じことを『ドラフトキング』にも感じていたんです。こうしてドラフトが作品のテーマになったことに驚きました。

クロマツ 僕の場合は漫画なので、もうすべて作り物ですけどね(笑)。フィクションと言えば聞こえはいいですけど、出鱈目なところも多分にありますし。

早見 でもきっと、野球の現場にいる人が『ドラフトキング』を読んでも、「こんなことあり得ない」とは思わないですよ。ちゃんとリアリティが担保されているように見えます。

クロマツ そう言っていただけるとホッとしますけど、漫画として楽しんでもらうには、リアルにあまりとらわれすぎないようにしなければ、とも思っています。

早見 リアリティよりも、面白く読めることのほうが重要ということですね。ちなみに、主人公のスカウトマン、郷原眼力(ごうはらオーラ)の元ネタになっているモデルはいるんですか?

クロマツ いえ、本物のスカウトの方には何度も話を聞いていますが、特定の人はいないです。ただ、これだけ選手がいると、実在の誰かのケースと期せずして被かぶってしまうことがあって、僕のほうがびっくりすることはありますね。

早見 そういうことってありますよね。僕も『ザ・ロイヤルファミリー』(新潮文庫)という作品で、とくにモデルなど想定せずに主人公格の馬主を書いたのですが、何人もの方に「これってあの人でしょ」と言われました。

みなさんに申し訳なく思ったことがあります。

鈴木 でもそれは、やはりリアリティがあればこそでしょう。僕はノンフィクションの人間なので、モデルがいないのにそれだけのリアリティを表現できることが信じられないですよ。

クロマツ 逆にモデルを設定すると、それに頼り過ぎてしまうことがありますからね。だから僕は普段、「こういうスカウトや選手がいたら面白いなあ」というイメージを大切にしています。

早見 モデルを設定したところで、ノンフィクションには太刀打ちできないですしね。だから想像力で戦うしかないわけですが、そうかといって読んでいてちゃんちゃらおかしいものを書いてしまうのも怖い。そうならないように、取材だけはサボらずにちゃんとやらなければといつも思っています。

鈴木 取材で集めた要素の集合体として作品がある、という考え方ですか。

早見 そうですね。ただ、もちろんメモも取るし録音もするんですけど、それよりも自分の胸に残っていたものこそが、読者にとって面白い部分だろうと思っています。数ヵ月後に振り返ってみて、その取材の中で自分が最も面白いと感じた部分がいつもベースになっている気がします。


鈴木 興味深いですね。そうしたらリアリティが残った、と。

早見 残るというより、リアリティが“宿る”という感じかもしれませんね。

野球という題材に出会ったきっかけ

早見 僕は、『嫌われた監督』を週刊誌の連載中から楽しみに読んでいたんです。個人的に、野球ノンフィクションで書き手が剝むき出しになっていないものはあまり好きではないんですが、鈴木さんの作品はもう、胸焼けするくらいご自身が表れていて毎週たまらなかったです。

鈴木 ありがとうございます。

早見 若手記者だった当時の鈴木さんが、落合博満というバケモノと対峙している場面なんて、本当に夢中になって読んでいました。

クロマツ 僕も同じくです。落合さんや星野仙一さんと邂逅する場面って、ワクワクさせられる半面、「ああ、自分だったらこんなに緊張感のある場面には居合わせたくないな」と思いながら読んでいました(笑)。

早見 鈴木さんは記者時代と比較して、ノンフィクション作家になってから、文章の書き方は変わりましたか?

鈴木 変わりましたね。やはり、文章量が圧倒的に違うので。新聞記者の時は、もっと一次情報を重視していました。僕が記者をしていた時代は、まだ「スクープ」という言葉が新聞社にも残っていて、そこで記者の実力が測られるところがありましたから。

早見 なるほど。ノンフィクションの場合、その場の一次情報を入れたところで本になる頃には古びてしまいますものね。

鈴木 そうですね。だから今は、それよりももっと普遍的なことを書こうという意識が強くなりました。

早見 ちなみに僕が先ほど口にした、書き手である自分自身を剝き出しにする、というところは意識してやられていますか?

鈴木 僕はずっと記者をやっていたので、最初は自分を出さない書き方をしていたんです。新聞記事では自分の主観を出すことはまずないので。ところが、『嫌われた監督』の第一稿を読んだ編集者から、「読者が最も共感するのは、一般人である鈴木さん自身の感情ですよ」と言われて、はっとしたんです。

早見 まさにそれがあるのとないのとで、ノンフィクションは全然変わりますよね。

鈴木 でも長年の手癖があるので、自分を出すことに当初はすごく抵抗があったんです。それでも落合さんのような特別な人の世界観に共感してもらうには、読者が気持ちを付託できるところが必要で、それなら自分自身の弱さやダメさ加減を前面に出してもいいのかもしれないと考え直しました。

早見 結果、鈴木さんはこの作品の中で、これでもかというくらい自分の弱さみたいな部分を吐露しているじゃないですか。そういう等身大の人間が、落合というバケモノに向かっていくところが僕は小気味よく感じました。



鈴木 実際、そう割り切ったら、なんだかすごく楽になりました。

早見 漫画の場合、そのあたりはいかがですか。たとえば主人公に対してどのような距離感を取っているのか、興味深いです。

クロマツ 僕の場合は客観視を大切にしています。『ドラフトキング』であれば、主人公の郷原というオッサンを遠巻きに見て、それを身近な感じに描いていくというか。

早見 確かに、郷原についてはどこか俯瞰したような描き方ではありますよね。それによって郷原が何を考えているのかが隠され、ミステリアスな雰囲気が生まれている気がします。

クロマツ でもその半面、僕自身が彼を好きになれていないと、読者も郷原を愛してくれないと思うので、その塩梅を大切にしています。

鈴木 やはりキャラクターとの距離感について、日々いろんなことを考えた上で答えを導き出しているんですね。

クロマツ そうですね。なので日々の中で出会った人たちも、僕にとっては重要なモチーフかもしれません。でもそもそもで言うと、僕は野球漫画を描こうと思っていたわけではなくて、もっとお洒落な作品で世に出たいと考えていたんですよ。全然ウケなくてダメでしたけど(笑)。

鈴木 ちょっと意外な気がします。

クロマツ それがある日、編集者から「野球漫画でやってみませんか。それもギャグで」と言われて方向転換したことが、『野球部に花束を』の連載につながりました。そこからはもう、野球漫画しか依頼が来なくなってしまって(笑)。

早見 僕は大学を三度留年して追い出されてくすぶっていた時に、たまたま知り合いの編集者から「小説を書け」と言ってもらったのが、『ひゃくはち』を書いたきっかけでした。自分の人生をひもといていった時に、一番商品になるのは高校時代の体験しかないと思って、それを剝き出しにして書き上げたんです。

鈴木 高校生活が商品になるというのは、その時点で確信があったんですか?

早見 明確にありました。単に手持ちのカードが他になかったというのもありますが、世の中にある野球の話というのは、弱小高に天才ピッチャーが入ってきて甲子園を目指す、みたいな物語ばかりだと感じていて。それに対して僕が体験したのは、甲子園に出るのが当たり前の強豪校の補欠だったので、これは売り物になると確信していました。

鈴木 その頃から逆張りの視点に目覚めていたんですね(笑)。

クロマツ 一読者としては、早見さんが高校時代にそういう体験をしてくれていてよかったですよ(笑)。

構成=友清 哲 撮影=樋口 涼
(集英社クオータリー コトバ 2025年春号より)

kotoba 2025年 春号

コトバ編集室 (編集)
鈴木忠平×早見和真×クロマツテツロウ「野球の物語が生まれるとき」 トップランナーたちが明かす創作に込めた胸の内
kotoba 2025年 春号
2025/3/61,550円(税込)228ページISBN: ー

特集
野球の言葉

野球は単なるスポーツの枠に収まりません。ノンフィクションや小説、漫画、選手や監督たちの本を通じて、数々の名場面が語り継がれてきました。
本特集では、野球と言葉の深い結びつきにスポットを当て、どのように野球は描かれ、語られ、物語として紡がれてきたのかを探ります。スタジアムを越えて広がり続ける「野球の言葉」。
kotobaならではの角度で、野球の魅力をお届けします。

Part1野球と本の幸福な関係
柴田元幸 アメリカ文学と野球の深い関係
鈴木忠平×早見和真×クロマツテツロウ 野球の物語が生まれるとき
ツクイヨシヒサ 野球マンガを変えた名セリフ
田崎健太×中溝康隆 野球ノンフィクションの名著
生島 淳 ロジャー・エンジェルの思い出

Part2野球から生まれる言葉
高橋源一郎 優美で感動的なアメリカ野球
石田雄太 大谷翔平、イチローの言葉
生島 淳 野村語録を考える
池松 舞 野球の力、短歌の力
スージー鈴木 野球音楽ベストナイン
丸屋九兵衛 なぜラッパーは野球帽をかぶるのか?――ヒップホップとMLBの邂逅

Part3野球がつなぐ人と言葉
野嶋 剛 「棒球」が「野球」に追いついた日
木村元彦 中畑清、古田敦也、新井貴浩……歴代会長が語る「プロ野球選手会」の闘う言葉
友成晋也 アフリカで花開くベースボーラーシップ®
ピエール瀧 野球とニューウェーブと甲子園と
加藤ジャンプ 球場酒

【対談】
犬山紙子×今西洋介 子どもを性被害から守る言葉

【インタビュー】
福岡伸一 ボルネオで出会った環境と生物の動的平衡

【連載】
大岡 玲 写真を読む
山下裕二 美を凝視する
石戸 諭 21世紀のノンフィクション論
大野和基 未来を見る人
橋本幸士 物理学者のすごい日記
宇都宮徹壱 法獣医学教室の事件簿
鵜飼秀徳 ルポ 寺院消滅――コロナ後の危機
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阿川佐和子 吾も老の花
木村英昭 月報を読む 世界における原発の現在
木村元彦 言葉を持つ
おほしんたろう おほことば

【kotobaの森】
著者インタビュー 小西公大 『ヘタレ人類学者、沙漠をゆく 僕はゆらいで、少しだけ自由になった。』
マーク・ピーターセン 英語で考えるコトバ
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