
国立感染症研究所の統計によると、1999年以降の梅毒感染者数データにおいて、2023年は梅毒の報告数が過去最多となり、2024年はそれに次いで2番目に多い記録となっている。近年、梅毒感染者数の多さは深刻な問題だが、戦前も性病感染者数は非常に多かった。
『戦前の日本人 100年前の意外に豊かな国民生活、給料、娯楽、恋愛』より一部抜粋・再構成してお届けする。
性病に悩む戦前日本でコンドームが発明された
戦前は、売春が普通に行われていたため性病の罹患者も非常に多かった。当時、性病は花柳病と呼ばれた。遊郭などでうつされることが多かったからだ。
戦前、性病の届け出義務はなかったので、明確な統計はない。ただ、徴兵検査のときに性病の検査を行っており記録が残っているので、そこから推測することはできる。
昭和8(1933)年の徴兵検査は、検査人数が65万1240人、そのうち性病に罹っているものは、7847人である。青年男子のだいたい1、2パーセントが性病に罹っていたということである。この罹患率は、どの年もあまり変わりがなく、1パーセント前後となっている。
この表を見ると、性病に罹っている人はかなり多いようである。現在、日本の梅毒患者は、3万5千人程度とされ、全体の0・1パーセント以下である。だから戦前は、今の10倍以上の性病罹患者がいたということになる。
また大正9(1920)年には、性病罹患者の感染源の調査が行われている。
予想通りというか、まずもっとも多いのが娼妓(売春婦)である。芸妓とは、芸者さんのことである。前述したように芸者は基本的には売春はしないが、中には売春をする者もおり、また客と愛人関係になることも多かった。
酌婦とは、酒場で働く女性のことであり、現在のホステスのようなものといえる。地域や店によってはこの酌婦も闇で売春をすることがあった。たとえば、群馬県では、酌婦からの感染がもっとも多かったのだが、戦前の群馬県は公娼(売春)を認めていなかったので、酌婦が闇でその役目を担っていたのだ。
性病蔓延により、コンドームが誕生
当時は色街で遊ぶことが普通のことであり、コンドームも普及していなかったことから、梅毒にかかる人も多かった。まだ特効薬もなかったため、一般の家庭にもかなり入り込んでいた。
梅毒などの性病は、花柳病といわれ、戦前の家庭の大きな悩みでもあった。
昭和9(1934)年、岡本ゴム工業(現オカモト)により、ゴム製のコンドームが開発される。コンドーム自体は、太古から存在するが、現在のようなゴム製のものがつくられたのは、戦前なのである。
当初コンドームは避妊用ではなく、性病防止としてつくられたのである。それが避妊具として普及することになったのだ。
文/武田知弘 写真/shutterstock
『戦前の日本人 100年前の意外に豊かな国民生活、給料、娯楽、恋愛』(宝島社)
武田知弘