元ダンサーと着物販売員が選んだ青森での“自給自足生活”の驚きの中身…「米不足どう思う?」「現在の仕事や収入は?」聞いてみた
元ダンサーと着物販売員が選んだ青森での“自給自足生活”の驚きの中身…「米不足どう思う?」「現在の仕事や収入は?」聞いてみた

電気、ガス、水道を契約せず、自給自足の暮らしを続けて8年目になる田村さん家族。夫の余一さん(47)、妻のゆにさん(37)、息子のたいちくん(6)の3人は、余一さんが独学で7年かけて建築した一軒家で暮らしている。

自給自足生活を始めた経緯や、リアルな生活について聞いてみた。 

Facebook経由で出会って結婚。独学で家を建設した自給自足生活

――まずは、おふたりの出会いについて教えてください。

ゆにさん
 29歳になるタイミングで婚活をしていたのですが、そのとき、たまたま余一さんがFacebookで結婚相手を募集しているのを見て、応募しました。

その投稿には、「結婚相手と一緒に自給自足生活をしていきたい」ということが詳しく書かれていて、自分自身の将来のビジョンと重なる部分があったんです。

それで、余一さんのブログに掲載されていたエントリーフォームから、自給自足生活に対する熱意を文章にして送りました。今思えば、就活の履歴書みたいでしたね(笑)。

余一さん 20名以上から応募が来たのですが、全員と当たりさわりのないやりとりをしても意味がないと思ったので、最初から核心を突くような長文を全員に送りました。相手の女性に求めることや、僕がどんな暮らしをしたいかなどをたくさん書いて送ったところ、返信は半分くらいに減りました。

その中でも、ゆにさんは僕の文章をしっかり受け止めてくれて、同じくらいのボリュームのメールを返してくれたんです。だいたい2回くらいメールのやりとりをした時点で、「もうこの人かな」と思いました。

ゆにさん それからは、週に1~2回、長文メールを送り合うようになりました。

長いときには、1回で5000文字くらいのメールを送ったこともあります。1ヶ月ほどそうしたやりとりを続けたあと、ゴールデンウイーク過ぎに、余一さんが住む青森へ東京から会いに行きました。

余一さん お互い結婚を前提にしていたので、そこからはトントン拍子に進みました。その年の9月から僕の実家で一緒に暮らし始め、同居して半年後には籍を入れました。

――余一さんが自作した家には、いつから住んでいるんですか?

ゆにさん
 2018年の冬に息子が誕生し、生後半年経って暖かくなったタイミングで引っ越しました。それからは、家族3人暮らしをしています。

――余一さんは、どうして独学で家を建てようと思ったのですか?

余一さん
 自分の家を自分で建てられない生物って、人間だけなんですよね。ほかの生物は本能的に自分の巣を自分で作っていますよね。

その辺にあるものを使って自分の家を作って、その辺にあるものを食べて暮らしている姿が、すごく素敵だなと思ったので、僕もまずは見よう見まねでやってみようと思ったことがきっかけです。

あと、家賃や家のローンを払い続けるのが嫌だったんですよ。自分で家を作ってしまえば、家賃を払う必要はなくなるし、材料も廃材を使えば、かなりコストを抑えられると考えたんです。

 ――もともと建築などに関する知識があったのでしょうか?

余一さん
 いえ、まったくなかったですね。

手を動かしながら、すべて独学で覚えていきました。家は2011年から建て始めたんですが、当時はインターネットにもあまり情報が出ていなくて。

それで、図書館に行って本で調べたり、その辺にある建物をよく観察したりしていました。9割は自分1人で建てて、僕だけでは運べない重い資材などを移動させるときは、友人に手伝ってもらいました。

――自作した家の建築費と期間は?

余一さん 
建築費は13万円くらいで、期間は7年くらいかかりましたね。

「現代人は気づかないうちにいろいろな力を失っている」

――自給自足生活を始める前、お二人はどんな生活をしていたんですか?

余一さん
 大学卒業後は、ほぼずっとフリーターとして暮らしていました。ダンサーをしたり、デザイン関係の仕事をしたり、ラジオのパーソナリティーをしたり…。いろいろなことをしていましたね。

ゆにさん 私は北海道札幌市の出身で、高校卒業後は東京で10年間暮らしていました。その間、着物の販売や着付けを通して、着物を普及する活動を仕事にしていたんです。

もちろんその頃は、電気・ガス・水道が整ったごく普通の生活をしていて、今のような暮らし方があるなんて、想像すらしていませんでした。

――自給自足生活を始めようと思ったきっかけは?

余一さん
 あるとき、「昔の人はみんな自給自足で暮らしていたんだよな」と思うようになったんです。

現代はとても便利な世の中ですが、その便利さの裏で、気づかないうちにいろいろな力を失っている気がして……。

「人間はこのままでいいんだろうか?」という危機感のようなものがあったんです。

ゆにさん 私は着物関係の仕事をしていたこともあり、着物の染めや織りといった伝統工芸の工房を見学するために、地方へ行くこともありました。そうした場所では、昔ながらの手仕事を大切にした暮らしが営まれていて、職人さんのお話や生活の様子に触れるうちに、日本の田舎暮らしに惹かれるようになりました。

自分自身も、衣食住をもっと自然なものへと切り替えていけたらいいなという思いが芽生え、そこから自給自足に興味を持ち始めたんです。

――現在の仕事や収入源は?

余一さん 
僕は御用聞きと言って、地域の方のお困りごとを解決する仕事をしています。終活されているかたの家や小屋の片付けやゴミ出し、庭や畑の草刈りなど依頼があればいろいろなことをしています。

ゆにさん 私はインフルエンサーとしての活動やオンライン講座が主な収入源です。

――ご近所付き合いはどうしていますか?

ゆにさん
 余一さんが御用聞きの仕事をしている関係で、ご近所に知り合いが増えました。みなさん温かく見守ってくださっていて、ぐいぐい距離を詰めてくるようなかたや、何か言ってくるようなかたはいません。みなさん、応援してくださっているように思います。

子どもが小学校に入るまで保育園などに通っていなかったこともあり、私自身は地域の方と交流する機会が少なかったのですが、SNSを通じてリアルでも仲良くなることが多いです。

私がSNSで発信していることをきっかけに繋がったかたと、実際にイベントなどでお会いすることで、自然にご縁が繋がっていくような感覚です。

何もできなくなったら「山の中で1人で死のうかな」 

――自給自足の生活を送る中で、どんなものを食べていますか?

ゆにさん 
家では、レタス、大豆、ジャガイモ、ネギ、ニラ、スナップエンドウ、カブ、ニンニクなど様々な野菜を40種類ほど育てていて、それらを使って毎日のご飯を作ってます。

また家で飼っているニワトリは放し飼いで、卵を産むだけでなく、庭の雑草や害虫を食べてくれるありがたい存在です。増えすぎたり弱ったりしたときに鶏肉として捌くこともあるため、名前はつけていません。

――お米も自給しているとのことですが、最近の米不足について何か思うことはありますか?

ゆにさん
 私たちの地域では、農家でなくても自分たちの食べる分は自分で作るという考えの方が多くいらっしゃいます。私たち以外にも、自給用のお米を当たり前のように作っている方がいるんです。

農家さんに任せきりにするのではなく、「自分たちの分くらいは自分で作ろう」という考えの人が1人でも増えれば、お米不足といった問題も起こりにくくなるのではないかと思います。

 ――この生活をやめたいと思ったことはありますか?

ゆにさん 
今のところありません。ただ、農作業など毎日やらなければいけないことがたくさんあって、そのルーティンを続けるのは大変だと感じることはあります。

でも、自然の中で暮らしていると、新しい発見や変化が常にあるので、それに目を向けていると意外と飽きないんです。そういうちょっとしたご褒美があるからこそ、「これからもこの生活を続けていきたい」と思えるんだと思います。

余一さん 僕も、この生活をやめたいと思ったことはありませんね。楽しいからこそ、今も続けていられるんです。

この先、年を取って体が動かなくなり、何も生産できなくなったら、そのときは1人で山へ行って、山の中で死のうかなと思っています。野生動物は、エサを自分で取れなくなったら、自然と命を終えていくものです。

なるべく自分も、それにならいたいという気持ちがあります。

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記事後編では、これまで幼稚園や保育園に通っていなかった息子・たいちくんが、この春から小学校に通い始めたことについてインタビュー。もし、たいちくんが「自給自足生活をやめたい」と言ったらどうするのか。たいちくん本人にも話を聞いてみた。

〈後編へつづく『“自給自足”生活を送る3人家族の息子が小学校へ…「子どもがかわいそう」の声も、両親と子どもが語る幸せのカタチ』

取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班

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