「性被害に遭ったのは私が悪い」、自らトラウマを反復、幸せな自分が想像できない…幼少期に性的虐待を受けた人が抱える見えない傷
「性被害に遭ったのは私が悪い」、自らトラウマを反復、幸せな自分が想像できない…幼少期に性的虐待を受けた人が抱える見えない傷
公認心理師の植原亮太さんのもとには幼少期に虐待を受け、今も苦しみ続ける虐待サバイバーたちが訪れる。幼少期に性的な虐待を受けた経験がある人の中には、自ら進んで性産業に従事する人が多いという。
彼女たちの複雑な心理状況を実際の事例を交えて解説してもらった。

※本記事には具体的な事例が登場しますが、個人情報等に配慮して加工・修正していることをご理解ください。

性被害に遭ったのは「私が悪い」から

「性的に嫌なことをされたのに、風俗で働いているなんて端から見たら馬鹿ですよね」と、Aさんがカウンセリングの中で話しました。彼女は当時35歳、幼少期に性的虐待を受けていました。しかし、その彼女が選んだ仕事は性産業に従事すること——。

こう書くと、性産業に携わっている方々を蔑んでいるように感じられてしまうかもしれませんが、もちろん筆者にその意図はありません。むしろ接客業としてプライドを持って働いている方もいらっしゃるでしょう。

そのうえで本記事でお伝えしたいのは、わざわざ自分の心の傷をえぐるかのように、苦しいほうへと向かおうとしてしまう「生きづらさ」があるということです。

性的な被害に遭ったのに性産業に従事するという、一般的な感覚からでは理解できない心理がここに働いているわけですが、被虐待者のこころの傷の深さを考えるとその行動には筋が通っていて、しかも系統立っているのです。

まずは、Aさんの人生をごく簡単に記します。もちろんそのまま書き記すわけにはいかないので加工・修正はしていますが、事例の本質を損なわないように読者の方々への配慮もしています。

それは次のような歴史です。

・幼少期から同居する祖父に「変なこと」をさせられていた。

その一番古い記憶は6歳のころで「なめさせられて」「こんなに痛いことをほかの家ではどうしているのか」と思って学校の先生に言ったが、けげんな顔をされただけで相手にされなかった。

・小学校3年生のころ、担任の男性教諭に「ちゃんとトイレできているか見てあげる」と言われて、個室トイレで触られたことがある。

・小学校高学年のころの下校時、ひとりでいると、ワンボックスカーが横付けしてきてそのまま車内に引きずり込まれて集団レイプをされたことがあり「口の中に気持ち悪い感覚が残っているけれど、記憶は断片的で、でも思い出そうとすると動悸がする」。

どれもにわかには信じられないような出来事ばかりで、読者の方々も同様の感覚なのではないでしょうか。ちなみに彼女は「小1から体が大きくて、保護者に間違われていたくらいだから、(こういう被害に遭ったのは)私が悪い」と言います。

トラウマを再確認してしまう「反復強迫」という心理

第二次性徴が起きるには相当に若い年齢で、すでにその兆候が現れていることを「思春期早発症」と言います。原因はいくつか考えられているようですが、筆者の知る範囲の事例では、幼少期からの性的虐待への暴露がかなり影響していることもありそうです。

「ありそう」だと強調したのは、そもそもこうした虐待が明るみに出ることが稀なので、詳しいデータの蓄積が難しいからです。おそらく性被害がトリガーとなって脳が性ホルモンを分泌するように指令を出してしまったのでしょうが、これにはまだ医学的な根拠はありません。

こうした症例が明るみに出ないというのは、実際にAさんも「母親に言っても『どうせあんたが誘ったんじゃないの』と言われるのは目に見えていた」と言い、性的虐待や性犯罪に巻き込まれたことは、これまでに誰にも話したことがないそうです。異様なことですが、親がそれに気づく素振りもなかったと振り返ります。

「先生は、レイプまでされたのに風俗で働いている私を、どう思っていますか?」

「んー、質問に対して質問で返して申し訳ないんですけど、実際に働いて、どう感じるのですか?」

「どう感じるかですか? やっぱり私の人生って、こうだなって思います。いいお客さんばかりじゃなくて、やばい人もいます。

自分勝手に振る舞う人もいて、痛いし、苦しいし。そういうときに、なんならそのまま殺してくれればいいのに……、このまま終わらせてくれないかなって思って、結局死ぬことはできないので、私の人生、やっぱこうだよな……って。そんな感じですかね」

「——そうですね、それがAさんですね」

「えぇ」

仕事がきつくて嫌、想像していたのと違う、いますぐ逃げ出したい! という気持ちが語られているわけではないことを、お分かりいただけるでしょうか。

彼女の話した「私の人生、やっぱこうだよな」は、自分が虐げられていることを確認する心理です。これは精神分析の用語で「反復強迫」と呼ばれます。簡潔に説明すると、自らの心的外傷体験(トラウマ)を無意識のうちに再確認してしまう行為のことを指します。「無意識のうちに」というのがポイントで、本人にその自覚はありません。

彼女の心理を代弁すると「必ず嫌なことをされて、その度に人生を投げ出したくなって、しかしそうはできず、一人っきりの悲しみの中で自らの人生を静かに納得する」となるでしょうか。

安心・幸せを求められなくなる「愛着障害(アタッチメント

症)」

私たちは本来、安楽を求めてしまう生き物です。気づいたら手を抜いて仕事していたとか、きつい仕事は避けてしまうとか、そういう経験は多くの方にとって身近なものでしょう。これも「無意識のうちに」行われているものです。

それとは反対に、ひどい虐待を受けていると安心や幸せを求める気持ちに強力な制限がかかります。それを精神科では「愛着障害(アタッチメント

症)」と呼びます。

虐待を受けていた人には、反復強迫と愛着障害があわさった苦しみを抱えている人がいます。繰り返しになりますが、苦しいほうへ向かい、そうして「わざわざ」こころの傷を確かめて、これが自分だったなと納得する心理です。不幸でいることのほうが安心できるのに近いかもしれません。

たとえば私たちでも、幸運ばかりが続くと次には不幸が起こるかもしれないと、少しは卑屈になることはありませんか。それは幸運を喜びながらも気を引き締めていこうと思う気持ちだったり、有頂天になりそうな自分への戒めだったりします。

こうした気持ちが極端に強く、常に自分をおとしめていると言えば、ほんの少しだけでも想像できるのではないでしょうか。

さも彼らのことを理解しているように書いている筆者ですが、深く接していると反省することばかりです。よかれと思って行う働きかけが、思わぬ逆効果になることもあるからです。

反復強迫は愛着障害にくらべると、専門家間でもあまり知られていません。しかし、どうしてもやめられない依存症や自傷行為などの心理を深く考えていくと、ここで述べたようなこころの傷が隠れていることもあるのです。

文/植原亮太

ルポ 虐待サバイバー

植原亮太
「性被害に遭ったのは私が悪い」、自らトラウマを反復、幸せな自分が想像できない…幼少期に性的虐待を受けた人が抱える見えない傷
ルポ 虐待サバイバー
1045円(税込)ISBN: 978-4087212402田中優子氏・茂木健一郎氏推薦! 第18回開高健ノンフィクション賞で議論を呼んだ、最終候補作 生活保護支援の現場で働いていた著者は、なぜか従来の福祉支援や治療が効果を発揮しにくい人たちが存在することに気づく。 重い精神疾患、社会的孤立、治らないうつ病…。
彼ら・彼女らに接し続けた結果、明らかになったのは根底にある幼児期の虐待経験だった。 虐待によって受けた”心の傷”が、その後も被害者たちの人生を呪い続けていたのだ。 「虐待サバイバー」たちの生きづらさの背景には何があるのか。 彼ら・彼女らにとって、真の回復とは何か。 そして、我々の社会が見落としているものの正体とは? 第18回開高健ノンフィクション賞の最終選考会で議論を呼んだ衝撃のルポルタージュ、待望の新書化!
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