2匹の蛇が絡みつくタトゥーが腕に…「毒親家庭」で育った夜職女性の壮絶人生…そして同性婚で見えてきた、新しく幸せな「家族」の姿
2匹の蛇が絡みつくタトゥーが腕に…「毒親家庭」で育った夜職女性の壮絶人生…そして同性婚で見えてきた、新しく幸せな「家族」の姿

緒月月緒(おづきつきお)さん。18歳のときに風俗業界に入り、30年間働き続けている。

その道を選んだのは複雑な家庭環境に起因する部分が大きい。なかば“毒親”家庭で育ったいっぽう、現在は同性パートナーと新たな“家族”の形を築きつつある緒月さん。

緒月さんの過去と未来その両方を語ってもらうことで、家族とは何か、幸せとは何かを探りたい。

両親のケンカが絶えなかった家庭

緒月さんの左肩から手の甲にかけて、2匹の蛇が絡みつく彫り物が入っている。タトゥーを入れたのは44歳、両親の死後のことだ。

「蛇は嫌いだったんです。お母さんから『お前は、蛇みたいに性格がしつこい』って言われ続けていたので。でも両親が亡くなったとき、新しい人生を歩き始めるつもりで入れました」

嫌いだった蛇を彫り入れることで、緒月さんはそれまでの自分と決別する覚悟を示したという。

「18歳で風俗業界に入るまではとにかく家事とアルバイトをしていましたね。風俗を始めたのも家が貧乏だったから、本当にそれだけですよ」

喧嘩ばかりだったという両親。母親は口が達者で、1人目の父親は口喧嘩で負けそうになるとすぐに暴力をふるったという。緒月さんが小学校3年のときに離婚した。

父親は暴力的だったものの、子どものことは可愛がってくれた。

両親の離婚後、スナックで働き始めた母親に代わり、緒月さんは家事をこなすようになる。

「小学校が終わったら家に帰ってご飯を炊いて、洗濯物を取り込んで皿洗いして、弟と妹を保育園に迎えに行って…。家事をしていないと怒られるから、友達とも遊べなくなった」

母親は離婚後、すぐに新しい恋人を家に招き入れた。1人目は働き始めたスナックで出会った年下の男性だったという。

「お母さんは43歳で、恋人は24歳。この人とも2、3年で別れちゃいましたけど」

母親の恋人とは、苦い思い出もある。

「小学校5年生のときかな、その人に私、身体を触られたり、つまり性暴力を受けていたんです。誰にも相談できないから『自分で解決するしかないんだ』と思って……。ある日包丁を向けて拒否しました。後にも先にも人に包丁を向けたのはあのときだけです」

それをきっかけに性的な虐待は終わり、その後すぐに母親とその男も別れたと言うが、緒月さんの心に傷が残ったのは間違いない。

両親に学んだ「人を赦すことの大事さ」

中学は無事に卒業、高校に入学したが中退してしまう。アルバイトで食い繋いできたが、18歳になってすぐ緒月さんは風俗店で働き始めた。

「弟と妹の生活を助けるため、風俗店で働いて得た収入を半分以上家に入れていました。

私に対して冷たく、厳しい母親でしたが、それでも『お母さんに愛されたい』と思っていたんです。だから、お金を稼いで母に楽をさせてあげたら私を愛してくれるかなと。でも、お金では人は変わらないんですよね。結局家を出た時、自分は24歳くらいでした」

いくら家庭にお金を入れても母親が緒月さんを愛すことはなかったという。母親から愛されることをあきらめて、家族とは離れて暮らし始める。寂しい話ではあるが、お金では人は変えられないと気付いたおかげで、緒月さんは自分の道を歩き始めることができたのだ。

「そこからは自分のために生きてきました。今のように風俗嬢に対して理解のあるような社会ではなかったですし、必死でした」

緒月さんは実家を出てから、さまざまな風俗を経験してきた。

「あらゆる業態の風俗で働きました。今でもたまに出勤していますが、現在はSMショーにパフォーマーとして出演することが収入の中心になっています」

緒月さんが家を出てからも完全に家族とのつながりは切れたわけではなく、ときには実家にも戻っていた。母親と離婚した父親も頻繁にではないが実家に顔を出し、交流は続いていた。しかし父親はある日、自ら命を絶ってしまう。

「最後に会った時、いつもと様子が違っていたんです。あれだけ『暴君』だったのに、突然『専門学校に行かせられなくて、ごめんな』って謝ってきて。あと『生まれ変わったら何になりたい?』とも聞かれて。たぶん、鬱状態だったんじゃないかな」

母親に「お父さん、鬱かもしれない」と伝えたが、母親からは「あの人が鬱になるわけがない」と言われてしまった。

「お母さんは実は『もうちょっと経ったら、お父さんと再婚してもいいかな』って言っていたんです。それならお父さんに早くそう言えば、こうはなっていなかったかも、と考えてしまいますね」

緒月さんとは愛憎入り混じった複雑な関係性を築いていた母親も、肺炎で早逝してしまう。

「両親は反面教師になっていますね。やはり憎みきれない部分はありますし、人と正面から向き合うこと、人を赦すことの大事さを学ばせてくれたと思っています」

平成の初期から令和へ 風俗業界の変遷

緒月さんが1995年から30年、風俗業界で働く中で多くの変化があったという。

「2001年に起きた歌舞伎町ビル火災、あのときは火災が起きたビルの中2階にあったお店で当日も働いていたんです。帰宅していたので被災はしていないのですが、そもそもあのビルの階段は荷物でいっぱいで、従業員もお客さんもエレベーターでしか移動してなかった。私もどのくらい人が出入りしているか知らなくて。火災が起きた深夜1時に、あんなに人がいるなんて思っていなかったんです」

歌舞伎町ビル火災では、死者44名、負傷者3名の大きな被害が出た。その原因は、人が通れないほど階段に積まれた荷物で防火扉が閉まらなかったのに加えて、窓がベニヤ板で塞がれていて逃げ道がなかったことだ。

この事件をきっかけに消防法が改正され、防災設備の設置基準などが見直されることになる。

「それにこの30年で、顔を出して働く女の子が増えましたね。世間での扱いに変化を感じます。風俗嬢であることをポジティブに発信するようなSNSは、私が働き始めたころでは考えられないです。当時は風俗で働いていることを打ち明けると、汚い物のように見られるか、さげすまれるか、お金目当てになるか、の3つしかなかった」

発信することで受けてしまう誹謗中傷もあるが、業界的にダークな部分が少なくなってきたことは間違いないという。

「『風俗で働いていることを、親も知っています』なんて子も増えてきましたし。全体的に明るい子が多くなったのは、良い変化だと思います」

20歳近く年下のパートナーとの「同性婚」で、見えてきた未来

そんな緒月さん、プライベートでも驚きの変化があった。

「ひとりで生きていくんだろうな」と考えていたというが、今年の6月に、同性のパートナーと同性婚を予定しているというのだ。

「同性婚といっても、まだ日本には制度がないから養子縁組なんですけどね。1月にはパートナーシップを組んで、もう一緒に暮らしています」

緒月さんの恋愛対象は完全に女性だ。気づいたきっかけは中学生の頃に同性のクラスメイトと付き合ってからだという。

「その子には彼氏がいていろいろ経験していたので、私が教えてもらう感じで。

お母さんが男に依存していたのと、子どもの頃に性的虐待を受けた経験もあって、もともと男性に対する嫌悪感がありました。それが女性を好きになった理由なんじゃないか、と考えています。風俗の仕事で男性に接するのは平気なのですが、恋愛対象ではないんです」

「結婚したい」と言ってきたのは、パートナーのほう。付き合い始めてから、3か月ほど過ぎた時の話だ。

「彼女は会社員なんですけれども、ほかの方とSMショーのパートナーを組んでいて、イベント会場で出会いました。彼女からグイグイ来るようになって、相手と別れたと言うので付き合い始めたんです」

結婚が決まり、仕事に対する心境にも変化が生まれた。堅実に「ふたりで生きていく道」を模索し始めたという。

「パートナーと一緒に着物のネット通販の仕事を始めるため、古物商許可証の申請をした他に、パートナーの職場でのアルバイトも考えているんです。昼職に就くとは考えたこともなかったので、自分でも驚いています」

LGBTQに対する社会的な反応も変化してきている、と感じている。

「理解がある人は増えましたね。パートナーの会社も、彼女が私とパートナーシップを組みたい、と言ったら、すぐに同性パートナーの場合も結婚と同じような福利厚生を受けられる仕組みを整えてくれたんです」

そうやってLGBTQが生きやすい世の中になってきた、と感じたのも、結婚を決意した理由だ。

パートナーは緒月さんより年下で、まだ20代。

しかし、しっかり者でもう家も購入済み。緒月さんはその家に転がり込んだ形だそう。

「母親が20歳近く下の男性と付き合い始めた時は『やめてよ』って思ったんですけどね」これも母親の血なんですかね、と苦笑する緒月さんだが、その顔には幸せが感じられた。

年齢差があり、SMショーのパートナーでもあり、同性でもある緒月さんというパートナー。

「いわゆる『普通』とは違うかもしれませんが、私にとっての幸せが見つかって嬉しいです」

これまでの経験と、お互いに支え合えるパートナーを得て、緒月さんはこれから幸せな「家族」を作り上げていく。

取材・文/蒼樹リュウスケ

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