
名勝負の舞台裏、さまざまな感情が交差する人間関係……。グラウンドの外でも見る者を楽しませる野球は、数多くの優れたノンフィクション作品を生み出してきた。
江夏豊と伊良部秀輝の共通点
―まずはお互いの印象から聞かせてください。
中溝 ぼくはブログ(2010年開設の『プロ野球死亡遊戯』)を書いていた素人時代から、田崎さんの本はすべて読んできました。
『真説・長州力』や『真説・佐山サトル』は印象的で、“活字プロレス”にありがちな「面白けりゃいい」というスタンスとは異なり、取材対象と距離を保ちつつ、客観的に時系列を整理し、事実を丹念に検証していく。その姿勢がとても新鮮で、「自分にはできない」と思わされましたね。
田崎 中溝さんとは年齢もアプローチも違います(田崎が11歳上)。既報のコメントをくまなく調べ、無数の言葉から面白いものを拾い、それをどう組み合わせるかを考えるのが中溝さんのスタイル。
その手法がユニークで、『巨人軍vs.落合博満』では、当事者取材なしで当時の空気感や落合さんの人間味を見事に描き出していました。既報の事象やコメントを紡ぐことで見えてくる面白さがあるんだなと思いましたね。
―では本題に。まず田崎さんが挙げたのは、『牙 江夏豊とその時代』(後藤正治 講談社 02年)。阪神時代の江夏さんを描いた作品です。
田崎 ぼくは伊良部秀輝という人物に魅力を感じて『球童 伊良部秀輝伝』を書きましたが、江夏と伊良部には通じるものがあると思っていました。
中溝 確かに二人とも衝突することが多いですよね。そのぶつかり方も似ているような……。
田崎 後藤さんは、多くの証言をもとに江夏の不良性を忠実に描いています。特に印象的だったのが高校時代からの友人が語った江夏評。
〈好き嫌いがはっきりしていた。とりわけ、上のものにへつらう奴を極端に嫌った。好きか嫌いかはあっても損か得かはない〉
これはそのまま伊良部さんにも当てはまる。広岡達朗さんとの関係なんかが典型的で、江夏さんは「人間的に許せないところがあった」と言い、伊良部さんも「綺麗事しか言ってない」と反発していました。こうした人物像の捉え方に、後藤さんと自分の視点には重なる部分が多い。だから、この本は単に「好きだから」というより、研究対象として読んだ一冊でした。
中溝 『牙』では著者自身の学生時代や当時の学生運動の話も要所で描かれています。反乱が渦巻く1960年代、江夏さんも読売巨人軍という大きな体制に挑み続けた。その時代背景を絡めた描写が好きです。田崎さんの本には主観や私情があまり出てこないので、こういう描き方は好みじゃないのかと思ってましたけど。
田崎 そこは気にならなかったですね。それよりも、後藤さんの人物の捉え方が的確で。ぼくは江夏さんと、スポーツジャーナリストの永谷脩さんを偲ぶ会で初めてお会いしました。そのとき、永谷さんの奥様と並んで最後まで弔問者に頭を下げて見送る江夏さんの姿を見て、「仁義を通す人なんだ」と感じました。後藤さんの描いた江夏像は、ぼくのイメージそのもので、そのリアルさに驚かされました。
小林繁の証言に自伝との食い違い
―では、中溝さんにとって「名著」と呼べる野球ノンフィクションとは?
中溝 最初に思い浮かんだのは、近藤唯之さんの『引退 そのドラマ』(新潮社 86年)です。小学3年の夏に父が買ってくれて何度も読み返しました。
―長嶋茂雄、田淵幸一、江本孟紀ら名選手たちの引退ドラマを描いた作品ですね。
中溝 本に登場する約40人の現役時代はリアルタイムで見ていませんが、「男の運命なんて一寸先はどうなるかわからない」といった、情念たっぷりの〝近藤節〟には引き込まれました。
―近藤節には根強いファンが多いですよね。
中溝 ぼくもそのひとりですが、時々、ちょっと盛りすぎるところがあって(笑)。他の資料と照らし合わせると、「あれ? ここ盛ってる?」と思うところもあります。『引退』でいえば、45歳の野村克也が自分に代打を出され、ベンチからその選手を見ながら「失敗してしまえ」と願った瞬間、己のセコさに絶望し、「精神的にオレは終わった」と引退を決めた、というエピソード。
野村さんを知ってる人なら、「いやいや、ちょっと盛ってるでしょ!」と思わず突っ込みたくなる(笑)。でも、これだけ鮮やかに書ききってくれると、それも含めて面白いと思えるんですよね。近藤さんの作品には活字プロレス的なエンタメの魅力が詰まっていると思います。
田崎 中溝さんにとってはそこが野球ノンフィクションの入り口だったから、選手の過去の報道やコメントの面白い部分をつなぎ合わせるというスタイルにつながったのかもしれませんね。
中溝 プロ野球選手の生き様をサラリーマン社会と重ねたり、活字野球ならではのウェットな魅力を描く面白さは、この『引退』で学びました。ただ、報道資料をベースにした野球ノンフィクションの手法は、矢崎良一さんの『元・巨人 ジャイアンツを去るということ』(廣済堂出版 99年)がきっかけになっています。
その冒頭に小林繁さんの章があるのですが、彼が83年に引退した直後に刊行した自伝『男はいつも淋しいヒーロー』とはかなり証言が食い違っているんです。
『元・巨人』では約15年という長い年月が経過して、本人が「当時の心境はもう話したくない」と自重するようになったのか、あるいは時間の経過とともに記憶がすり替わったのか、意図的に塗り替えたのか……。
いずれにせよ、時間の流れによって証言の信ぴょう性が変わってしまうことを実感し、ぼくの『巨人軍vs.落合博満』では、当時の報道やコメントのみで構成するという手法を採りました。
スカウトは選手の母親の骨格を観察する
―田崎さんは、ノンフィクション作家として影響を受けた作品はありますか?
田崎 影響を受けたと言えるほどではありませんが、ドラフトという視点から選手たちを取材した『ドライチ』『ドラガイ』は、「スカウトはどのように選手の才能を見抜くのか?」というぼく自身の興味から生まれた作品です。
その点で参考にさせてもらったのが『スカウト』(講談社 98年)。これも後藤正治さんの著書です。
―プロ野球のスカウトの世界を綴った作品ですね。衣笠祥雄らの才能をいち早く見抜き、80年代のカープ黄金時代を下支えした名スカウト・木庭教を軸に物語が展開されます。
田崎 ぼくの知る限り、スカウトという裏方の存在に焦点を当てた初めての作品かと。球が速い、打球を遠くに飛ばす……いずれも才能の一種ですが、その選手が必ずしも成功するわけではない。じゃあ、「プロの世界で大成する才能とは何なのか?」と、ぼくはいつも考えるんです。そこで、『スポーツ・アイデンティティ どのスポーツを選ぶかで人生は決まる』(太田出版)という作品も書きました。
後藤さんは、才能ある選手を探しに日本中を飛び回る木庭氏に3年近く同行し、いかに才能を目利きしているかを丹念に取材されました。
―第一級のスカウトは、選手の才能をどのように見極めていたのでしょう?
田崎 『スカウト』には、例えば投手の球速については「初速より終い(終速)がいくらか」という視点が紹介されています。
中溝 木庭さんと同時期に近鉄バファローズのスカウトを務めた河西俊雄さんの評伝『ひとを見抜く』(澤宮優)にも似た話が出てきます。河西さんも「選手を見るときは母親の尻の大きさを見ていた」と。選手の母親を観察するというのは名スカウトたちが共通して挙げているポイントですよね。
田崎 ただ、『スカウト』にはこんな記述もあって興味深いんです。「木庭は、選手たちの家を訪れると、まずは置いてある家具を眺める癖があった。それによってその家の経済状態がほぼわかるからである」。つまり、スカウトは選手の能力だけではなく、人生そのものを見ていたということです。
中溝 田崎さんの『球童』にも、スカウトの方が登場しますね。伊良部さんは高校時代から球速が注目されていましたが、当時のロッテオリオンズのスカウトは、練習場で自分のほうに駆け寄ってくる伊良部さんの軽やかな走り方を見て、「これは期待できる」と感じたというエピソードはとても印象的です。
田崎 プロの世界は球の速さだけでは通用しません。スカウトの人たちが、高校時代の伊良部さんをどう見ていたのか? そこをどうしても知りたくて取材しました。その発想はやはり『スカウト』の影響を受けていると思います。
取材・文=興山英雄 撮影=タイコウクニヨシ
(集英社クオータリー コトバ 2025年春号より)
kotoba 2025年 春号
コトバ編集室
特集
野球の言葉
野球は単なるスポーツの枠に収まりません。
ノンフィクションや小説、漫画、選手や監督たちの本を通じて、
数々の名場面が語り継がれてきました。
本特集では、野球と言葉の深い結びつきにスポットを当て、
どのように野球は描かれ、語られ、物語として紡がれてきたのかを探ります。
スタジアムを越えて広がり続ける「野球の言葉」。
kotobaならではの角度で、野球の魅力をお届けします。
Part1野球と本の幸福な関係
柴田元幸 アメリカ文学と野球の深い関係
鈴木忠平×早見和真×クロマツテツロウ 野球の物語が生まれるとき
ツクイヨシヒサ 野球マンガを変えた名セリフ
田崎健太×中溝康隆 野球ノンフィクションの名著
生島 淳 ロジャー・エンジェルの思い出
Part2野球から生まれる言葉
高橋源一郎 優美で感動的なアメリカ野球
石田雄太 大谷翔平、イチローの言葉
生島 淳 野村語録を考える
池松 舞 野球の力、短歌の力
スージー鈴木 野球音楽ベストナイン
丸屋九兵衛 なぜラッパーは野球帽をかぶるのか?――ヒップホップとMLBの邂逅
Part3野球がつなぐ人と言葉
野嶋 剛 「棒球」が「野球」に追いついた日
木村元彦 中畑清、古田敦也、新井貴浩……歴代会長が語る「プロ野球選手会」の闘う言葉
友成晋也 アフリカで花開くベースボーラーシップ®
ピエール瀧 野球とニューウェーブと甲子園と
加藤ジャンプ 球場酒
【対談】
犬山紙子×今西洋介 子どもを性被害から守る言葉
【インタビュー】
福岡伸一 ボルネオで出会った環境と生物の動的平衡
【連載】
大岡 玲 写真を読む
山下裕二 美を凝視する
石戸 諭 21世紀のノンフィクション論
大野和基 未来を見る人
橋本幸士 物理学者のすごい日記
宇都宮徹壱 法獣医学教室の事件簿
鵜飼秀徳 ルポ 寺院消滅――コロナ後の危機
赤川 学 なぜ人は猫を飼うのか?
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木村英昭 月報を読む 世界における原発の現在
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おほしんたろう おほことば
【kotobaの森】
著者インタビュー 小西公大 『ヘタレ人類学者、沙漠をゆく 僕はゆらいで、少しだけ自由になった。』
マーク・ピーターセン 英語で考えるコトバ
大村次郷 悠久のコトバ
吉川浩満 問う人
町山智浩 映画の台詞