
あなたは、「性欲を抑えるための食品」を口にしたことがあるだろうか。たいていの人は「ない」と即答するに違いない。
その衝撃の開発秘話を、堀元見氏の『読みだけでグングン頭が良くなる下ネタ大全』より抜粋・再構成してお届けする。
なぜ、全粒粉は「性欲を抑える」のか?
最も有名なコーンフレークといえば、やはり「ケロッグ コーンフロスティ」だろう。コーンフレークの歴史は、ケロッグを姓に持つふたりの兄弟から始まった。
彼らは療養所で働きながら、病院食の改善に努めた。ここで生まれたのが今日のコーンフレークの原形なのだが、これを生み出したモチベーションを探ってみると、「みんなの性欲を抑えたい」に他ならない。
当時、「性行為は健康を害する」という説があり、兄のジョンはその熱心な信奉者だった。彼はこの言説を広めるべく、本も書いている。いわく、「マスターベーションは危険だから絶対にするな。性行為の頻度もなるべく下げろ」とのこと。しかも、その本を書いたのが新婚旅行中だというから徹底している。
そんなジョンの琴線に触れた「性欲抑えノウハウ」があった。「穀物の全粒粉を摂取するとよい」というものだ。この主張をしたのはシルヴェスター・グラハムという男で、彼の名もケロッグほどではないにせよ現代に残っている。粗く挽いた全粒粉の小麦粉は現代でも「グラハム粉」と呼ばれるし、それを使ったクラッカーは「グラハム・クラッカー」と呼ばれてスーパーに並んでいる。思った以上に我々の生活の周りには「性欲抑え食品」が溢れているのだ。
さて、ケロッグ兄弟もこのグラハムの主張を気に入っていたようで、「病院食に活かしたい!」と全粒粉を使って色々な試作品を作っていた。そんなある日、試作の途中で急用が入り、茹でた小麦を放置してしまった。しかし怪我の功名で、放置した小麦をローラーにかけて焼いてみたところ、サクサクと美味しい小麦フレークができた。イケると踏んだ兄弟は穀物加工販売事業を始める。
「抗生物質は放置していたシャーレに青カビが入ったことで偶然見つかった」みたいな話は有名だが、ケロッグ社の始まりも「放置していた小麦を焼いてみたことで偶然見つかった」のである。
前述の通り、グラハムは全粒粉が性欲を抑えると主張したが、その根拠は何なのだろう。すごくざっくり言うと「刺激的な食べ物は性欲を刺激するから全部ダメ」ということらしい。特に「香料などのたっぷり入った料理、栄養にとんだ料理、肉のたっぷり入った料理」などは良くないと書いている。
グラハムはそういう派手な食事から逃れる粗食として、「全粒粉を焼いたクラッカー」を提案していたのだろう。彼は徹底的な菜食禁酒主義者として、その名を歴史に刻むことになった(しかしどういうワケだか、死ぬ直前になって肉とアルコールを大量に摂取し始めたらしい。どうせ死ぬからどうでもよくなったのかもしれない)。
それにしても、この手の「肉食は欲望を刺激する」という言説は古今東西に共通していておもしろい。日本でも修行僧は昔から精進料理を食べているし、現代でも恋愛にガツガツした人のことを「肉食系」などと呼ぶ。「肉食=性欲が強い」というイメージは、我々の深層心理に強く刻まれているのだ。
「砂糖を使ったら性欲が刺激されちゃうじゃん!!」
肉からの離脱を願うケロッグ兄弟は、穀物加工販売事業を続けた。熱心に小麦フレークを改良し、「トウモロコシを使ったバージョンが一番美味い」という結論にたどり着く。これこそコーンフレーク誕生の瞬間だ。
しかし、ここでケロッグ兄弟は道を違えることになる。音楽性の違いで解散するバンドよろしく、方向性の違いで絶縁することになった。
方向性の違いとは何か。「砂糖を使うかどうか」である。兄のジョンは「砂糖なんて絶対使わないよ‼ そんなことしたら性欲が刺激されちゃうじゃん‼」というスタンスだった。前述の通り、甘美な食品は性欲を刺激すると思ったのだろう。
だが、弟は「いや砂糖入れた方が美味いだろ」と普通のことを言い、議論は平行線を辿った。どうやら弟は兄ほど強い信念がなかったらしい。彼にあったのは、「そんなことより美味いもの食えた方がいいじゃん」という素朴な感覚である。
怒ったジョンは、「こんなふざけた弟と一緒にやってられねえな!」と完全に袂(たもと)を分かってしまった。兄と弟は別々にコーンフレークの事業をやることになる。
それでは、最終的に生き残った「ケロッグ」はどちらの会社だろうか。
答えは、弟の会社である。残念ながら、兄のジョンは生涯大きな成功を収めることはなかった。いつの世も、ストイックすぎる商品は市場に受け入れられない。兄は生涯性欲を抑え続けるストイックな生活をし、91歳で静かに没した。弟はコーンフレークの会社を巨大企業にまで育て上げ、永久に歴史に名を刻むことになった。砂糖を使うかどうかで道を違えた兄弟は、人生の甘さにもずいぶん差がついてしまった。
ケロッグの歴史は奇妙だ。「粗食で性欲を抑える」という目的からスタートし、圧倒的な情熱を持った兄によってコーンフレークが生み出されたのに、結局は砂糖を使った弟の方が「ケロッグ」という世界企業を手にした。コーンフレークは完全な粗食ではなく、やや甘美な食事になってしまった。
では、兄の理念はこの企業と無関係なのだろうか? そうではない。どうやら彼の理念は、ケロッグという会社の魂に染み込んでいるようだ。
なんと、現代におけるケロッグの注目すべき新事業は「代替肉」である。100%植物由来のハンバーグなどを生産する「モーニングスター・ファームズ」という子会社を持っており、ベジタリアン界隈で注目される企業となっている。利益も十分に出している成長事業で、投資家も大注目だ。
つまり、当初ジョンが夢見た「人々が肉食をやめ、性欲を抑えられる」世界を作る営みを、現代のケロッグもやっているのだ。一度は夢破れた兄の理念が、弟の会社を通して蘇っている。こんなエモいことがあるだろうか。
ジョンはきっと、草葉の陰から今のケロッグの活躍を見て、笑っているだろう。
「みんなが肉食をやめて、性欲を抑えられる社会はすぐそこだ!」。そう笑っているだろう。
「ヴィーガンは性欲が少ない」は本当か
ところで、気になることがある。「肉食をやめると性欲が減る」これは本当だろうか。
多分、「分からない」というのが誠実な結論だと思う。十分な規模の研究はまだ行なわれていないようだ。
ただし、参考にできる研究は存在する。それは栄養学者のクリストファー・ガードナーらが行なった実験で、「双子の姉妹を対象に、普通の食事とヴィーガン食で性欲がどう変わるかを調べた」というものだ。この研究においては、ヴィーガン食に切り替えた女性の興奮レベルが最大で383%上昇したと報告しており、肉を食べない方が性欲が強くなる可能性が示唆されている。
もしかしたら、我々が古今東西で持ち続けてきた「肉食=性欲が強い」というイメージが間違っていたのかもしれない。そうだとすると、ジョンが目指し続けてきた理想は何だったのか、という話になる。みんなの性欲を抑えたいと必死で戦ってきた結果、みんなの性欲が増えた世界が訪れるのだ。なんと皮肉なことだろう。彼の戦いは最初から無意味であるどころか、正反対に向かっていたのだ。この絶望感はすごい。
『進撃の巨人』や『メメント』のような趣がある。ジョンは誰よりも悲しい戦士だ。
文/堀元 見
『読むだけでグングン頭が良くなる下ネタ大全』(新潮社)
堀元見