
毎年、「異常気象」といわれるような台風や豪雨、大雪などが頻発している中、防災情報の伝え方がますます重要になっている。今年6月は、東京気象台(気象庁の前身)が気象業務を開始してから150年。
「空振り」と「見逃し」。リスクを伝えることの難しさ
荒木 長谷川さんの新著『天気予報はなぜ当たるようになったのか』にはご自身の経験に基づくエピソードが、おそらくは意図的に取り入れられていますよね。
長谷川 それは担当編集者の方に、「そうしたほうが本として起伏が出ますよ」とアドバイスしていただいたんです。その、「起伏が出る」という表現に感心して取り入れてみました(笑)。
荒木 そういう工夫もさることながら、しっかりAIに関する最新の知見までフォローされていて、お世辞抜きに良書だと感じました。反響が楽しみです。
長谷川 ありがとうございます。AI予報については、かつて気象庁で気象研究所長を務めた方で、いまは東大で「ClimCORE」という、過去の気象データと先端技術による日本域の再解析を手掛けている隈くま健一さんから最初に教えていただきました。
隈さんもやはりAIには関心を持っていて、その影響で私もちょこちょこ調べるようになったんです。
荒木 なるほど。また、『天気予報はなぜ当たるようになったのか』の中で私がとりわけ印象的だったのが、「オオカミ少年を防ぐ」という視点でした。
長谷川 どのくらいのリスクに達したら警報を出すかという、基準の設定の問題ですよね。見逃しが多いからといって基準を低くして空振りが増えると、人々はわれわれの注意喚起に耳を傾けてくれなくなってしまいます。
荒木 これは非常に根深い問題だと感じていて、例えば「線状降水帯」の予測情報が出ると、メディアはけっこうそれを取り上げてくれるじゃないですか。結果的に線状降水帯が発生せず、空振りで終わったとしても、雨量が多ければ災害は起こります。そこが怖いところです。
長谷川 その通りだと思います。また、防災気象情報の専門家に言わせれば、線状降水帯というのは一種のパワーワードなのだそうで、なまじ反応がいいので多用されるようです。しかし、使いすぎて人々が慣れてしまうと良くない側面もあります。
荒木 こうしたバランスの取り方は本当に難しいですよね。メディアの意向とも、うまく歩調を合わせていけるといいのですが。
長谷川 気象庁では2022年から線状降水帯によるリスクを半日くらい前から呼びかけるようになり、2023年には「顕著な大雨に関する気象情報」(線状降水帯の発生をお知らせする情報)をこれまでより最大30分程度、前倒しして発表する運用を開始しました。
そして4年後の2029年には、市町村単位で危険度がわかるよう、予測をマップで提供する計画を立てています。その後については、これら一連の取り組みを振り返り、どうしていくのかを詳細に検討することになると思います。そこでメディアの方の視点、さらに実際に避難を検討した住民の皆さんの視点なども織り交ぜて、次の一手を考えられれば理想的ですよね。
荒木 そうですね。私も線状降水帯関係の研究に携わっているので、その難しさはよく理解しています。いまの最新のモデルでも、うまくいくときもあれば、まったくうまくいかないときもある。本当に計画通りに進んでいくのか、不安なところもあります。
長谷川 そうなんですよね。そもそもどこまで予測できるものなのかという問題もありそうです。ある程度は可能だと思うんです。が、いつどこで線状降水帯が発生するという、ピンポイントの予測が果たしてできるものなのか。
それとも、確率的に弾き出すしかないものなのか。
AI予報は現在の数値予報モデルを超えるか?
荒木 それでいうと、これからの天気予報のところで長谷川さんが書かれていた降雪予報について、私は2014年の関東甲信での大雪以降、南岸低気圧による降雪を研究テーマのひとつにしているんです。
しかし現実には、いまだに関東の雪を正確に予報することはできずにいます。ちょっとした気温の誤差、あるいは降水量の違いによって、雪になるか雨になるかが変わるからなんですね。
長谷川 そこに荒木さんが収集している雲や雪の結晶の観測データが活かせたりはしないんですか?
荒木 まずは観測データで実態解明の研究をしていますが、正確な予測はまだ困難です。モデルの中で低気圧が過発達したり、沿岸前線みたいなのができて、そこで新たな低気圧が発生したりします。さらには地形的な要因だったり、いろんな現象が組み合わさってくるので。
長谷川 つまり、観測も足りていないし、われわれの理解も足りていないのが実情である、と。
荒木 そうですね。だからこそ、今回の本の中で、長谷川さんが「AIを含めて東京の雪はどこまで当たるようになるか」と語られていたのは、ひとつの研究テーマを与えてもらったような気がしています。
長谷川 AI予報モデルと、現在の数値予報モデルのどちらが先に当てるようになるか、両者のコラボでうまくいくようになるか、興味のあるところです。仮に、AIが当てるようになったら、それ自体が気象学者の研究対象になるかもしれません。
荒木 私もそう思います。専門外なので詳しくないのですが、地球の大気や降水で評価するにしても、AIが大気にどういう時間変化をもって予測をしているのかなど、当たった理由をどこまで深掘りできるかが鍵でしょうね。おそらくAIの学習モデルでは、物理モデルにはない、なんらかの時間変化をさせているはずなので、それを突き止めなければなりません。
長谷川 ところが、AIの方からはそれを教えてくれないでしょう(笑)。結局、そこで数値予報のシミュレーションモデルが出てきて、AIと同じような成果が出せるようになったときに初めて、「ああ、この要因で雪になっていたのか」と理解するようになるのでしょう。
荒木 まさに、そういうアプローチが今後、絶対に必要になってくるのだと思います。
防災バッグを準備するだけでは不十分
長谷川 ともあれ、こうした気象情報というのは、まず皆さんに見てもらわなければ始まらないですし、見るだけでなく自分に対するシグナルとして受け取ってもらい、行動してもらわなければ価値が出ません。気象庁や自治体などがどれだけ頑張ったところで、最後に行動をするのは人ですから。
荒木 そうですね。それから私がよく言うのは、備えるといっても防災バッグを用意するだけでは不十分だということです。これはとても重要なことで、例えば非常用トイレは、慣れていないと意外と使うのにコツが必要で、失敗して衣服を汚してしまうようなことも起こり得ます。ぜひ一度、実際に使って練習しておいてほしいですね。
長谷川 確かにその視点は大切ですね。
荒木 阪神・淡路大震災や東日本大震災のときも、避難所のトイレが汚物まみれで、ずっと使えない状況が続いていたと聞きます。よくあるサバイバル術的な防災本では、自宅の庭に穴を掘ってトイレ代わりにする方法などが紹介されていますが、専門家に言わせれば、これは衛生的には絶対にやってはいけない手法なのだそうです。
長谷川 防災バッグに備えてあるから安心、で終わってはいけないですよね。だからこそ、こうして声を大にして発信してくれる荒木さんのような存在が必要なんですよ。
荒木 しかし実際には、人はなかなか行動を変えてくれません。
長谷川 社会全体がそういう意識に向かわないと難しいでしょう。気象庁のときにつくづく思ったのは、人々は普段通り、予定通りが「好き」なんです。とにかく、台風が来ようが約束したところには行きたいし、仕事も行かなきゃならない……。
それは当たり前なんですが、私たちがやっていることは、「それだと危ないですよ」と言って、人々に日常をあきらめてもらうという仕事なんです。
最近では、例えば台風や降雪の予報に合わせて、鉄道が計画運休をしたり、高速道路では予防的通行止めを実施したりするようになりました。社会に大きなインパクトが出てしまうものの、「台風だから仕方がない。今日の約束はなしにしよう」と、皆さんが考えてくれるひとつのスイッチになっていると思います。
荒木 そうですね。また、会社でも「ちょっとリスクが高そうだから、今日はリモートワークにしましょう」などとマネジメント側が積極的に言うことで、社員の命や安全を守るのが当たり前になれば理想的です。
長谷川 さらに言わせていただくなら、荒木さんの『防災の超図鑑』のように、子ども向けに啓発していくことも重要かもしれません。
荒木 実は、私が発信する情報に触れているお子さん経由で、ご家族がリスクに気づくケースも少なくないんですよ。やはり子どもの興味というのはすごいので、散歩や買い物の途中に「お母さん、あの雲が出てるから天気が急変するんじゃない」と親御さんに伝え、「じゃあ早めに帰ろうか」となって濡れずに済んだエピソードを、読者の方からよくお聞きします。
長谷川 それは素晴らしいですね。実情として、子どもの教育現場について気象庁ができることには限界がある中で、本当に有意義なことです。
荒木 ただ、この『防災の超図鑑』にしても、書いてあることを全部やろうとすると手が回らないでしょうから、まずはできることからやってみることを勧めています。
長谷川 そのためにも、業務開始から一五〇年の節目を迎えた気象庁としても、私たちも、引き続き情報をわかりやすく正確に伝えること、それを使って命を守ってもらうことに力を尽くしていかなければなりませんね。
構成=友清 哲 撮影=村上庄吾
(集英社クオータリー コトバ 2025年夏号より)
kotoba 2025年夏号
コトバ編集室
特集
いまを生きるための哲学
戦争、トランプ2.0、AIの急速な進化、気候変動、広がる格差……
社会が大きく揺れ動き、情報があふれる時代であるいまこそ、「哲学」が求められています。
「なぜ生きづらいのか」「この社会でどう在るべきか」「この先に希望はあるのか」――。
こうした問いは、私たち一人ひとりにとって切実なテーマであり、そこに向き合う姿勢そのものが、哲学だと考えます。
先人たちの言葉、哲学や思想の現在地を手がかりに、いまを生き抜くための哲学を探ります。
Part 1 求められる哲学
東 浩紀 トランプ2.0時代を生きる
内田 樹 武道における「修行」とは何か
國分功一郎 中動態と責任論
中島岳志×戸谷洋志 「弱い責任」で連帯し、「利他」が循環する社会へ
岡﨑乾二郎 私たちの認識と世界を結び直す
中村 達 カリブ海の知――複数の「我々」を肯定する
Part 2 哲学でいまに向き合う
三宅陽一郎 人工知能と哲学 世界を巻き込むこの深い関係
編集部 生成AIと哲学する その1
朱 喜哲 哲学を制するものがデータ社会を制する
大澤真幸 カント『永遠平和のために』から考える戦争のない世界
適菜 収 狂った時代に正気を保つためのほんとうの保守思想
篠原 信 世界の「常識」をアップデートしよう!
Part 3 どう哲学と出会うか
島田雅彦 我歩く、ゆえに我あり 散歩と哲学、あるいは散歩の哲学
編集部 生成AIと哲学する その2
魚豊 フィクションは哲学に直結する
吉川浩満 哲学をこじらせて――惑溺と割り切りのあいだ
前川仁之 哲学者ブルース・リー私抄
川喜田 研 街場の哲学の現場――「哲学カフェ」に集う人たち
編集部 kotobaが選ぶ哲学の本30冊
【ルポ】
芳地隆之 災害関連死をなくせ――能登半島地震「コミセン構想」を追う
【対談】
長谷川直之×荒木健太郎 「防災の言葉」を伝える
【鼎談】
平芳裕子×栗野宏文×龍淵絵美 ファッションの現在地と未来
【インタビュー】
みき 目の見えない私が料理からみつけたこと
連載
大岡 玲 写真を読む
山下裕二 美を凝視する
足立倫行 〈新連載〉 古代史を考えなおす
大野和基 未来を見る人
橋本幸士 物理学者のすごい日記
宇都宮徹壱 法獣医学教室の事件簿
鵜飼秀徳 ルポ 寺院消滅――コロナ後の危機
赤川 学 なぜ人は猫を飼うのか?
町田麻子 〈新連載〉 ことば万華鏡 ミュージカルの訳詞の妙技
阿川佐和子 吾も老の花
木村英昭 月報を読む 世界における原発の現在
おほしんたろう おほことば
kotobaの森
著者インタビュー 柿沼陽平『古代中国の裏社会 伝説の任俠と路地裏の物語』
マーク・ピーターセン 英語で考えるコトバ
大村次郷 悠久のコトバ
吉川浩満 問う人
町山智浩 映画の台詞