〈55歳ADHD映画監督〉スタッフから「クレイジー」と陰口を叩かれて…自分自身にNGを出しても描きたかった「生きづらさ」とは
〈55歳ADHD映画監督〉スタッフから「クレイジー」と陰口を叩かれて…自分自身にNGを出しても描きたかった「生きづらさ」とは

発達障害の一つである「ADHD (注意欠陥多動性障害)」に対する認識が社会全体で進んでいる。しかし実際のところ、それはどれくらい日常に困難をきたすものだろうか。

自身も55歳でADHDと診断された映画監督の君塚匠氏がADHDをテーマにした映画を制作した。本作で描かれるADHDの症状や治療について自身の経験を聞いた。

20歳のときに双極性障害、55歳のときにADHDと診断

「子どもの頃から、母親以外が握ったおにぎりが食べられなかったり、足についた砂が気になったりしていた」――そう語るのは映画監督の君塚匠。

「道を覚えられない、地図が読めない、事務的なことができない」など、生活上の困難を常に抱え、55歳のときに病院を受診したところ、ADHDという診断が下ったという。

「僕はもともと双極性障害(躁うつ病)も患っていて、精神科に通院していたんです。その病院でADHDと診断されました。そのときは、対処療法の薬が飲めるようになるから、ああ、よかったなと思った。それで日常における欠陥が多少、減るかもしれませんからね」(君塚監督、以下同)

処方されたのは「コンサータ」という薬。市販はされておらず、通常ADHDと診断された患者にのみ処方される。

「かなり強い薬で覚醒作用がありますが、それを飲んでいれば12時間くらい効くんです。

以前よりは症状はよくなりましたけど、それでも道はいまだに覚えられないですね。先日も取材に1時間くらい遅れちゃいました。Googleマップとか、みんなどうやって使ってるんだろうと、不思議でならない」

そんな彼が制作した、ADHDをテーマにした映画『星よりも静かに』が公開された。

ドラマパートとドキュメンタリーパートを交えた一風変わった構成で、ドラマ部分ではADHDを患っている主人公と、彼を支える妻の日常が描かれる。主人公がゆで卵を作るためにお湯を沸かしたまま、ふと思いついて別のことをしてしまい、あわや火事になりかけるなど、監督自身の体験談が主人公に投影されており、ADHD特有の「日常の困難」が物語の中心にある。

対して、ドキュメンタリー部分では、君塚本人も出演し、自らの病状を語る姿などが映し出されている。

「初めは自主映画みたいな形で、クラウドファンディングで資金を集めながら作ろうとしていたんですが、なかなかお金が集まらない。それでプロデューサーに泣きついて、低予算でしたが、お金の面はなんとかなりました。

もともとは障害者を就職に導く就労移行事業所についての映画にしようと思っていて、自分が映画に出る予定はなかったんです。だけど、それでは作品に説得力がないと、プロデューサーに言われ、ドキュメンタリーパートを設けて出演することにしました。自分で自分にNGを出すのは大変でしたね」

仕事でいった武道館で迷子になったことも

さらにドキュメンタリーパートでは、専門学校の講師として授業をする風景や、就労移行事業所を訪れる姿が映し出される。

「学校で生徒に教える以前に、タイムカードを押し忘れたり、出席簿を覚えられなかったりして、これはまずいと思ったのが、病院で受診したきっかけなんです」

実際に診断が下りたのは5年前だが、幼少期からADHDと思われる症状を抱えていたため、これまでも仕事の面では苦労が多かったという。

「僕はもともとテレビの世界にいたんですけど、『熱闘甲子園』とプロ野球の中継の会議を間違えてずっと座っていたことがあります。

また、あるミュージシャンのドキュメンタリー番組を作ったときは、同じ質問を何度もしたり、コンサートの収録で行った武道館で迷子になってチームに迷惑をかけたりしたこともありました。

集中力はすごく発揮できるので、モノ作りにおいていい面もあるけれど、会話をしていても、話の腰を折る、話が飛ぶ、かと思えば何時間も話し続けたり、同じことを何度も言ったりなど、迷惑をかける場面も多いと思います」

そんな君塚監督が、テレビから映画の世界に足を踏み出したのは、25歳のとき。俳優の永瀬正敏が主演の映画『喪の仕事』で監督デビューした。

その後も『ルビー・フルーツ』『月』といったメジャー配給の作品を手がけてきた。

「『喪の仕事』は僕の親友の死からインスパイアされた作品だったからか、終わった後に精神面が悪化して、パニック障害が起きたりして、相当ひどかったんです。霊能者に見てもらったり、滝行をやったりしたんですが、全然治らなかった」

30代は「躁」と「鬱」の状態を行き来していたが、最近、うつ状態からは脱したという。

「だから、仕事はできます。でも躁の状態の方が危険とは医者に言われますね。鬱のほうが辛いんですけど、躁状態だと心がアップしちゃうので、極端な話、ビルから飛び降りたりとかあるらしいんです、僕はそこまでじゃないですけど。ただ、双極性障害よりもADHDのほうが、生きづらさは強いと僕は感じてます、人に迷惑をかけるという意味で」

「ダイバーシティなら差別も自由なんじゃないかと思うようになった」 

映画の冒頭、君塚監督がインタビュアーとなって「ADHDについてどう思うか」という街頭インタビューするシーンがある。

街の声を拾うなかで、自分と彼女は“ADHD”だと自称するカップルが登場する。ADHDという言葉を診断名というより、一種の状態としてカジュアルに定義づける層が増えており、病気に対する認知度の広がりは感じるが、当事者の思いは違うのだろうか。

「病院では問診なので、忘れ物が多い子とかは、もしかしたらそうじゃないのにADHDと診断されやすいということもあるかもしれない。でも、本当に重症なADHDは働くことも難しいですからね。僕の知り合いはずっと施設にいますけど、そこで袋詰めの仕事をしてなんとか生計を立てています」

そんな君塚監督がこの映画で訴えたかったことは何なのだろう。

「いまダイバーシティの概念が根づきつつあり、理解が高まっていますけど、まだ差別的なものは残っていると思うんです。

僕も制作現場のスタッフに裏で“クレイジー”というあだ名で陰口を言われたりもしていますし。

もちろん、差別しない人もいますけど、ただ、差別することもある種の自由なんじゃないかなとは思うんです。もちろん腹は立ちますけど、要はそういう人と付き合わないで、理解してくれる人とだけ付き合っていけばいいわけですから」

厚労省の?統計によると日本全国でADHDの人は300~400万人、2010年以降は増加のペースにある。成人では全体の約2.5%がADHDを抱えているという。

「でも、変わってる人や、変なところがある人はどこにでもいると思うんです。今の風潮で“変はダメだ”と言っちゃうからおかしくなるわけで、変は変として、受け入れてくれればいいなと思っています。まあ、僕はこれまでいろんな人に迷惑をかけてしまったので自重するようになりました」

ADHD当事者によるこの異色作はどのように受け止められるのか。

取材・文・撮影/高田秀之

星より静かに

6月21日(土)より K’s cinemaほか全国順次公開

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