武尊「コンクリートの壁に1時間くらい頭を打ち付けて…」2度の鬱を経験した格闘家はどう病気と向き合ったのか「気持ちが弱いからだと言われたら、僕は死んでいた」
武尊「コンクリートの壁に1時間くらい頭を打ち付けて…」2度の鬱を経験した格闘家はどう病気と向き合ったのか「気持ちが弱いからだと言われたら、僕は死んでいた」

今年1月に厚労省は、2023年に日本で精神疾患を有する患者数を約603万人と発表した。コロナ禍だった2020年の約614万8000人からは減少したが、約302万8000人だった2005年からは倍増している。

 

年々、心の病に苦しむ人が増える中で格闘家の武尊(33歳)は3年前の2022年6月に鬱病とパニック障害と診断されていたことを公表した。そんな武尊が独占インタビューに応じ赤裸々に告白した。(全3回の1回目)

唯一の楽しみ「友達との時間」を奪われて鬱に…

史上初のK-1三階級制覇を達成した王者は、なぜ心の病に見舞われ、どう闘ったのか。そして、同じ病に苦しんでいる人々に伝えたいことは何か。

武尊はこれまで鬱を2度、発症している。最初に病に冒されたのは、高校時代だった。鳥取県内の高校に入学したものの素行不良が原因で1か月で停学となった。この時にメンタルに異変が生じた。

「停学の間は学校から『家から出てはいけない、誰とも会ってはいけない』と指導されました。友だちとも会えないし、ずっと家にいても楽しくない。だからルールを破って夜になると家を抜け出して遊びに行ってたんです。夜は寝ないで朝まで遊んで昼間に寝るという昼夜逆転の日々で生活リズムがおかしくなって自律神経に支障が出てきました」

その後も素行不良を繰り返し、入学から2か月あまりで退学を余儀なくされた。そして心の異変について自覚症状を感じた。



「自分でもメンタルがおかしいなと気が付いたのは、何をしても楽しくなくて『あれ? 俺、1か月ぐらい笑ってないな』と自覚した時でした。もちろん、僕が悪いことをしてしまったので停学、退学は自業自得だと今の僕は思います。

あの時は、退学になった時に学校から、自分と仲良かった『もう友達ともにもう関わるな』と言われて、友達の連絡先を全部消されたんです。その時に一緒に退学処分となった友達がいたので、その友達と一緒にいると『また悪いことをしてしまうのでは』と先生と親が心配をして、連絡先を消させることを決めたのかもしれません。

ただ唯一、自分にとって楽しい時間だった“友達と会える時間”も奪われてしまったんです。それでも隠れて友達に会いに行っていました。会いに行くんですけど、悪いことをしてる気持ちがずっとあるので、常に誰かに追われているような感覚で『バレたらヤバい』と思いながら過ごしているうちに自己嫌悪が強くなってストレスが溜まっていきました」

わずか2か月余りで高校を退学した武尊だが、幼いころからの夢だった「K-1戦士になる」という夢だけは忘れなかった。小学2年から正道会館に入門し空手を始めていたが当時は、退館し新たにキックボクシングのジムに通いアマチュアの試合に出場していた。

「コンクリートの壁に1時間くらい頭を打ち付けて…」

ただ、減量の知識がない少年時代の武尊は、試合前に、ほぼ絶食するなど無茶苦茶な方法で体重を落としていた。体重超過の恐怖から深夜にロードワークするなど、再び昼夜逆転の生活になった。さらに友達と隠れて会う罪悪感からのストレスも加わり過食症に陥った。

「当時は食べない減量で身体が飢餓状態になっていたと思います。試合が終わると起きている間は、お菓子や甘い物を中心に自分が食べたい物を食べ続けました。

どれくらいの量を食べていたかは記憶にないんですが、とにかく起きている間は、永遠に食べ続けて気持ち悪くなると吐くという繰り返しでした。あと、いくら寝ても眠いんです。なのでいくらでも寝られました」

明らかな過食症と過眠症だった。しかし、当時の武尊はそうした正しい知識もなく、減量の反動だと思っていた。実際は鬱が原因だった。

「後から調べると鬱になるとセロトニンが出にくくなることを知りました。セロトニンを手っ取り早く出すのは食べることなんです。特に糖質は出やすいそうです。だからあの時の僕は空腹を満たす栄養が欲しくて食べていたのではなく、セロトニンを出したくて食べていたことが後になってわかりました」

脳幹から分泌される神経伝達物質の「セロトニン」は、分泌されることで気持ちを穏やかにするという。逆に不足すると心に不調を来たすと言われている。高校も新たに別の学校へ入学したが、メンタルの異変は表面化していった。

「別の学校に入学してからも、夜になるとまた悪い友達と遊ぶようになっていました。

でも、友達と遊んでいても全然楽しくなくて、何か月も笑わなくなって、なんで落ち込んでいるかもわからなくて…。死んだ方がいいと思って岸壁から飛び込もうとしたこともありました」

前の高校を退学処分に至った素行不良や夜遊びを「悪いこと」だとは自覚していた。にもかかわらず、当時は道を外してしまった。そして、当時は精神疾患の知識がなく、メンタル不調の原因がわからなかったことも、どんどん心を不安定にさせた。

「なんで自分が辛いか、なんで生きているのか、そう思い詰めて家の屋上から飛び降りようとしたり、部屋のコンクリートの壁に1時間くらい頭を打ち付けたり…そんな自傷行為がずっと続いていました。そんな自分を母親が見つけて病院へ連れて行ってくれたんです」

「気持ちが弱いから鬱になった」と言われたら僕は死んでいた

「病院には行きたくなかったです。でも『死にたい』という気持ちにまでなってしまい、どうしたらこの苦しさから解放されるのだろうと思って、何かいい方法を教えてくれるかもと藁にもすがる気持ちで行きました」

医師のアドバイスと薬も処方され心は安らぎを取りもどしていった。その後、再入学した高校も卒業。夢だったK-1戦士になるべく上京し、過酷な練習と努力を重ね、史上初のK-1三階級制覇を達成する栄光をつかんだ。

今振り返って、自己嫌悪の末に患った「鬱」から前向きになれた転換点をこう明かす。

「あのころ『K-1甲子園』という高校生でもK-1に出られる大会が開催されて、そこに出ようと目標を立てて頑張って出られたことが分岐点でした。当時は鳥取にいたのでK-1は、エリートしか出られないと思っていたんですが、一度は道をそれた自分でも勝ち上がればK-1に出られると思えたことで頑張れました」

そして、「鬱」で悩む人や、当事者の周囲の人々へこう語りかけた。

「僕は鬱になった時に母親が寄り添って話を聞いてくれました。あの時、もし『お前の気持ちが弱いからそうなったんだ』とか言われたら、僕は死んでいたかもしれません。だから周りの人たちの存在が大切だと思います。

ただ、自分から『鬱』であることを言うことは勇気がいるし、自分で気づいてない場合もあると思います。

僕も3年前に公表するまでは、友達にもジムの仲間にも言っていませんでした。それは、気を使われたり、弱いと思われるのは嫌だと思っていたからです。いろんな家族の形態や関係性があるのは分かりますが、僕自身の経験で言えば一番話しやすかったのは家族でした。

もしも心に不調を感じたら勇気を出して家族に話すのがいいと思います。あと一番いいことは、本人が言う前に家族が異変に気づいてあげるといいと思います。僕は母親が気づいてくれたことで助けられました」

さらにこうアドバイスを送った。

「僕は気持ちが浮き沈みした時、友達と楽しい時間を過ごしている時だけは気持ちが安定しました。お医者さんにも『友達と一緒にいるときに出るホルモンが鬱にはいい』と言われました。



僕は友達に病気のことを話してなかったですけど、気を許せる友達といる時間を増やしてほしいと思います。とにかく一人でいるのは良くないです。心を許せる仲間、家族との時間を作ってください」

高校時代に「鬱」を乗り越えた武尊だったが、K-1のトップに君臨した時、新たな精神疾患「パニック障害」にも襲われた。その原因はSNSでの誹謗中傷だった。#2では、武尊が受けた誹謗中傷とその対策、現在の心境を明かす。(#2へつづく)

〇いのちの電話 ℡0570・783・556(午前10時~午後10時)、℡0120・783・556(午後4~9時、毎月10日は午前8時~翌日午前8時)

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取材・文/中井浩一 撮影/村上庄吾

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