国境なき医師団の緊急コーディネーターが見たガザ「36あった病院のうち完全に機能している病院はゼロ」「他の紛争地とは破壊のレベルが違う」
国境なき医師団の緊急コーディネーターが見たガザ「36あった病院のうち完全に機能している病院はゼロ」「他の紛争地とは破壊のレベルが違う」

至近距離での空爆、戦車による砲撃、繰り返される退避要求……。集団的懲罰のような状況の中、国境なき医師団の緊急対応コーディネーターとして、6週間、人道医療援助活動に携わった萩原健氏。

その貴重な記録を書籍『ガザ、戦下の人道医療援助』に綴った萩原氏が明かす、メディアが報じない戦下の現実とは。

石油開発ビジネスから国境なき医師団へ

――「国境なき医師団」の活動にたずさわった経緯を教えてください。

私が国境なき医師団で活動をはじめたのは、2008年のことです。大学卒業後に石油開発会社に就職して、中東やアラブ諸国と関わるようになりました。石油開発は政治色の強いビジネスです。中東の歴史や政治を知っていくなかで、様々な矛盾を知りました。

まさに、パレスチナ問題がそうです。ガザ地区とは何か。なぜ、パレスチナに住む人々の対立が続くのか……。国際政治や外交がもたらした混沌によって、犠牲となる人たちがいる。おかしいじゃないか――。青臭いと言われるかもしれませんが、ずっとそんな怒りを覚えていました。

国際援助のなかには、10年、20年、30年先を見据え、復興の手助けをする開発支援や経済援助もあります。

ただ私は、いままさに危機に瀕している人たちに人道援助をする活動をしたかった。そして現場の医療活動をサポートするロジスティックスや総務、人事、経理の担当者として、国境なき医師団に加わりました。

2011年に独立のための住民投票を控えた旧スーダン南部(現南スーダン)の現場責任者となり、国々の活動を統括する責任者を経て、2017年より緊急対応コーディネーターになりました。活動地は、シリア、イラク、イエメン、南スーダン、ウクライナ、スーダン、ガザ地区、レバノン、ミャンマーなどです。

――緊急対応コーディネーターとはどんな役割なのでしょうか。

端的に言えば、現場で活動するチームのリーダーです。ガザでは3つのチームが活動しています。各チーム10人前後の海外派遣スタッフのほか、現地のスタッフもいます。

医療活動というのは、今日運ばれてきた瀕死の人を蘇生させて、それで終わりというわけではありません。その後入院や通院が必要な患者さんもいます。専門的な治療が必要な場合もあります。

包帯の取り換えにしても、一度包帯を巻いてそれで終わりというわけではありません。

手術後の適切なフォローアップがなければ、感染症を引き起こすリスクも高まり、生死にかかわる事態にもなります。

継続的な医療の提供は、責任ある医療団体として、国境なき医師団の最大のミッションの一つですが、治安情勢が不安定な紛争地域において、活動の継続性は、安全が確保できるかにかかっており、非常に難しい課題です。

また情勢が不安定で流動的なガザのような紛争地では、状況次第でニーズは変わります。緊急事態にある現場でいかに対応するのか、そこには定型の教科書のようなものはありません。

患者とスタッフの安全を確保しながら医療活動を継続させるには、都度情勢を分析して合理的な判断をし、実現可能な活動の枠組みと指針を立てチームを指揮していく必要があります。それが、緊急対応コーディネーターの役割です。

ガザの人口の約3割が10歳未満

――ご自身の命の危険もある中でも人道援助…萩原さんを突き動かしているものはなんなのでしょうか?

私が、緊急対応コーディネーターとしてガザで活動したのは、2024年8月7日から6週間。人道援助にたずさわる人たちを突き動かしているもの、動機は人それぞれでしょうが、私の場合は“怒り”といった感情的なものがあるのには間違いありません。反面、悲しみとか憐みといった情緒的な動機だけでは活動を続けられないのも、また事実です。

あれは、私がガザに入った10日後だから8月17日のこと。イスラエル軍のガザ地区への攻撃が激しさを増していました。攻撃対象となっていたのが、私たちのチームが事務所を構えるエリアに隣接するブロック。

1キロも離れていないのではないかと思ったほど近距離から爆発音が聞こえ、ヘリコプターの音が近づいてくるのが分かりました。

やがてヘリが事務所から100メートルほどの上空に見え、「ダダダダダッ」という銃撃音とともに、空気の振動を肌で感じました。私たちは攻撃対象ではなかったとはいえ、いつ何があってもおかしくない状況でした。

私が緊急対応コーディネーターとしての判断を問われたのは、その夜のことです。現地スタッフから「軍事攻勢がとても激しくなってきている。攻撃対象地域から何人かのスタッフと家族が夜中に退避せざるをえない。一時的に事務所に避難してもいいか」と連絡がありました。

難しい判断でしたが、許可はできませんでした。スタッフだけではなく家族も入れれば、数十人を受け入れることになります。そうすると安全上の責任が取れなくなってしまいます。

家族や親族といっても、血縁関係のあるすべての人たちが押しかける可能性もあり、そうなれば数百人にもなりかねませんでした。またどのような人たちなのか、武器を携行しているかなど確認しようがありません。

もしそのような人たちが紛れ込んでいれば、イスラエル軍に攻撃の口実をあたえてしまうことにもなりかねず、結果として、医療活動の停止を余儀なくされ、患者やスタッフの命を脅かすことにもなります。

スタッフたちは、私の説明と判断を尊重してくれました。

――シビアな判断ですね。日本で暮らしていると想像もつかない現実です。

私がガザ地区に入ったのは、2023年10月7日以降、ガザの紛争が激化してから10か月後です。私がガザの地を踏むまでは、情報の多くはメディアに頼るしかありませんでした。人間が存在できないほど破壊しつくされているのではないか。ガザに対して、そんなイメージを持っていたんです。

実際にガザに入ると、確かに街は破壊しつくされていたのですが、サインオブライフと言えばいいか……命のサインを確かに感じました。

ガザに入ってすぐに地中海沿いに延びる通りに足を延ばしました。そこには生気がみなぎっていました。通りには露店が並び、荷台を引くロバや馬、給水のためのタンクローリー、買い物客でひしめいていました。あれだけの破壊のなかで、苦しいながらも人々の生活がある。

ガザの人口の約3割が10歳未満です。そのせいか、ガザの人々のエネルギーを感じました。日本で報じられる“ガザ”とは違った面を見た気がしました。もっとも、人びとが日々生きぬこうと必死になっているわけですから、当然と言えば当然だったのかもしれません。

瀬戸際まで追い詰められた病院

――戦下とはいえ、人々の日常生活がある。だからこそ、国境なき医師団による医療の維持が重要になるわけですね。

それは少し違います。そもそも、ガザの人びとの”日常”は既に崩壊しているんです。紛争が激化する以前に必要とされ受けていた医療サービスと同じものを受けることは、もはや不可能です。

ですから国境なき医師団としては、多くの制約と限りあるリソースを考慮して、何を優先すべきか考えて行動しています。

緊急人道医療援助団体として最優先事項は”ライフセービング(救命)”です。基礎医療を提供できる団体は他にあっても、入院や手術、さらに集中治療といった高次治療を行える団体は多くはありません。

最新の状況はわかりませんが、私が活動していた時期(約10ヵ月前)には、36あった病院のうち、機能していたのは17で、うち多くは部分的にしか機能していないと言われていました。

それに加えて、基礎医療を提供する診療所などの多くは機能不全に陥っていました。その結果、基礎医療から高次医療を必要とするすべての患者さんが、かろうじて機能している病院に殺到しているという状況でした。

総じて、ガザの医療体制はほぼ崩壊していると言えるのだと思います。部分的に機能している病院でさえ瀬戸際まで追いつめられていました。 

そんな状況で、国境なき医師団としては、熱傷治療や集中治療といった高次治療を含め、基礎診療から、内科、外科、小児科、産科といった範囲までカバーする必要がありました。

医療施設が攻撃を受けた例は、ウクライナやイエメン、シリアでもありました。しかし、基礎医療レベルから高次医療レベルにいたるまで医療施設が万全に機能せず、医薬品や器具などの供給も途絶え、これほどまでに医療体制全体が破壊されんとしている現場を私は知りません。

構造物だけでなくシステムさえ破壊されようとしている、そのレベルは、今まで経験したことがありませんでした。

瓦礫の山や、かろうじて残った建物の一部、えぐられた地表を目の当たりにして、地上に存在するもののみならず地面の下奥深くまで破壊つくそう……そんな破壊する側の意志さえ感じました

それだけではなく、公的な国際機関や多くの国々が批判しているにもかかわらず、破壊が続いている。その点においても、ガザは、これまで私が見てきた現場とは異なると考えます。

構成/岡田裕蔵 撮影/村上庄

ガザ、戦下の人道医療援助

萩原健
国境なき医師団の緊急コーディネーターが見たガザ「36あった病院のうち完全に機能している病院はゼロ」「他の紛争地とは破壊のレベルが違う」
ガザ、戦下の人道医療援助
2025/4/252,200円(税込)260ページISBN: 978-4834253993

国境なき医師団(MSF)の緊急対応コーディネーターが、戦時下のガザで、人道医療援助活動に携わった6週間の貴重な記録。
至近距離での空爆、戦車による砲撃、繰り返される退避要求……。集団的懲罰のような状況の中、必死で医療に携わり、少しでも多くの命を救おうとする人々や、疲弊しながらも希望を失わないガザの住民や子どもたちの姿。
活動責任者として、スタッフの安全を確保しつつ、地域住民との交渉などにも奔走する著者が、さまざまな背景も交えながら、戦下のガザの現実を描く。

高野秀行さん(ノンフィクション作家)推薦!
「ニュースやSNSでは見えないガザ紛争の現実に瞠目した」

【目次より抜粋】
序章
「ガザ地区のブロック分け」の発表/イスラエルの主張する人道的努力/パレスチナとイスラエルの歴史的経緯

第一章 ガザの地へ
国境なき医師団(MSF)と緊急対応コーディネーター/退避と移動の繰り返し

第二章 ガザの地で
民主的に選ばれたハマス/深夜〇時の退避要求、早朝五時の空爆/人道地域内への激しい軍事攻勢の始まり/懲罰というより拷問/至近距離の軍用ヘリによる攻撃

第三章 人道医療援助活動
タバコ一箱五〇〇ドル/液状石鹸強奪事件/絶対的に不足している水/武器を用いた家族同士の争い/半減した病院/ムフタールとの会合

第四章 イスラエル軍攻勢激化の二週間
その場を一刻も早く離れろ/国際人道支援団体宿舎集中地域への退避要求/少女とビスケット、そして希望としての子どもたち/狂気的な殺戮を止められない国際社会

第五章 季節と情勢の移ろい
戦時下のポリオ予防接種キャンペーン/退避要求が出ても病院に残る/熱々のアラブパン

第六章 停戦交渉、軍事攻勢、人道医療援助活動団体
治安を乱す者たちと守る者たち/人道にかける者たち/給水パイプライン、海水淡水化装置/焼け焦げたシファ病院

第七章 六週間の終わり
足を切断した子どもたち/原爆投下のあとのヒロシマの写真のようだった

終章
互いの正義をぶつけることに意味はない/人間の尊厳/ガザ・マリン天然ガス田/俺たちはアラブなんだよ――コンセンサスの難しさ/ハマスが第一党になった選挙――冷徹な国際政治/MSFの人道医療援助活動/そのあと――流転する中東

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