市民権を得た「シスターフッド」の現在地と、その先 山内マリコ×吉田恵里香
市民権を得た「シスターフッド」の現在地と、その先 山内マリコ×吉田恵里香

この数年で、小説や映像作品において“シスターフッド”を謳う作品が増えたが、その言葉が内包している精神性や多層性については、まだそこまで認知されているはいえない。2012年のデビュー作『ここは退屈迎えに来て』以来、女性同士の友情や繫がりにフォーカスした物語を紡ぎ続けてきた山内マリコさんと、向田邦子賞を受賞した『恋せぬふたり』や、昨年国民的な反響を呼んだNHK連続テレビ小説『虎に翼』の脚本家として知られる吉田恵里香さんが、シスターフッドの現在地とこれからについて語る(全3回の1回目)

「『虎に翼』はドラマ史に残る名作」

山内 『虎に翼』、素晴らしかったです! 朝ドラは毎作チェックしていて、再放送で見た『おしん』が最高傑作だと思っていましたが、それに匹敵するようなドラマ史に残る名作でした。ロケ地めぐりで名古屋市の市政資料館にも行ってきました。



吉田 ありがとうございます。うれしいです。

山内 ひとつお聞きしたかったことがあって。序盤の明律大学編が本当にキラキラしていて、『ぼっち・ざ・ろっく!』(2022年)みたいに女子がわちゃわちゃしている魅力があります。ずっと見ていたいと思わせるパートでしたが、意外と短くて。あそこを引き伸ばすこともできたと思うのですが、そうしなかったのには理由があったのでしょうか。

吉田 明律大学編は、プロローグのつもりで描いていたんですよ。あの頃の寅ちゃんは、努力ですべてを変えられると信じているし、支えてくれる仲間もいる。人を傷つけることもないし、誰からも好かれて、無敵のきらめきを放っている。そんな彼女の姿が視聴者の心をつかんで、このパートをいちばん好きになってくれるんじゃないかなって、当初から想像していました。

だからこそ、万能感が永遠に続くと信じていた寅ちゃんが仲間を失い、仕事でも心を折られて、自分のことを特別だと思わなくなってからが、真の意味で視聴者と寄り添う存在になる。だから勝負だなとも。

山内 ああ、なるほど。あとから、あれはかけがえのないものだったと気づく宝物みたいな時間だから、すごく潔くいかれたんですね。女学生だった戦前と、母として迎えた戦後で、寅ちゃんの背負うものもまるで違っていきます。女性の社会的立場の変遷だけでなく、寅ちゃんは人を傷つける側にもまわってしまうし、権力を象徴する存在にもなってしまう。

吉田 寅ちゃん自身が「スンッ」される側になる過程を描くことは、大事だなと思っていました。同時に、主人公だからといって、何かを成し遂げる人だからといって、ずっと同じモチベーションを保ち続けている必要はないし、間違ってもいいんだと。寅ちゃんが「はて?」を失う姿も大事に描いていました。

その紆余曲折が、最終的に寅ちゃんが自分は特別ではない、特別にさせたのは時代なのだと思うところにつながるので。

山内 納得です。人は変わるし、そのことを描くことはとても真摯なドラマ作りの姿勢だと思います。作者はいくらでも恣意的にコントロールできてしまうから。

吉田 あと、ドラマをつくるうえではどうしても、登場人物を固定して描きがちで、それが感情移入につながるから大事なことではあるんですけれど、現実にはそれほど強固な人間関係を長く続けていけることって稀じゃないですか。

自分にはない、スペシャルなものを主人公が持っているというだけで、自分事として観てもらえないこともあるんじゃないかな、と思うんです。

環境によって自分自身の考え方や価値観も変わるし、それによってつるむ人も、昔から知っている人との関係性も変わっていく。そういう、本来あるべき姿を描きたいという気持ちはつねにあります。

――それこそ『虎に翼』のなかで、寅子とは学生時代からの親友で兄・直明の妻でもある花江との関係が、寅子の置かれている状況によって変化していくのが印象的でした。いつ何時も一番の理解者である唯一無二の存在、というのとは少し違っていて。

吉田 この人じゃなきゃだめなんだ、とべったり寄りかかりすぎる関係は危ういなって、私自身、感じているので。でもだからといって、そこに濃密な絆がないわけではない。

女性同士の関係性を描くときに、そのあたりの塩梅をうまくとらえきれないまま「女だから〇〇だ」という変な同調圧力をかけたものをシスターフッドと表現することにも違和感があるので、ここ数年、なにかにつけ「ああ、シスターフッド的なやつね」と作品をひとくくりにされる感じにも、実はちょっと抵抗がある。

山内 わかります。私がデビューした2012年にはまだシスターフッドという言葉は誰にも通じないマニアックなものでした。私は「女同士の友情」って呼び方をずっとしていて、自分のなかに概念としてはあったから、「こういう小説を世の中に増やしていくことが自分の使命なんだ」という思いで書いてきました。

2010年代後半からフェミニズムとともにシスターフッドの概念がだんだん広まって、言葉として認知されるようになったのは2020年代に入ってから。

帯のコピーにも使えるようになるとジャンル化が進んでいって、もやもやしはじめてもいました。シスターフッドをあまり礼賛的に描いた話ばかりだと、友達がいない人に劣等感を抱かせてしまわないかな、とか。

吉田 山内さんの『一心同体だった』(2022年)という小説も、環境や年齢によって、そのつど「親友」だと思える存在が変わっていくという連作ですよね。

山内 はい。私の観測では、十代からずっと同じ女友達とスペシャルな関係性をキープできるのは、都内の中高一貫私立女子校の子たちだけなので。地方の公立校は卒業と入学で人間関係がリセットされるし、卒業後に地元に残るか県外に出るかでまったく違う人生になりますから。

――山内さんが、そもそもシスターフッドという概念を身の内に宿して小説を書くようになったことには何かきっかけがあったのでしょうか。

山内 大学時代に、彼氏より大事だと思える女友達に出会って、友情がスパークしたんです。それまでは恋愛のウエイトのほうがはるかに大きかったし、彼氏が人間関係の中で最上位にくるものと思い込んでいた。恋愛至上主義だと同性に心の底からは気を許せないので、女友達のことを妬み嫉みの感情まじりに見てしまうところもあって、それも苦しかったんです。

だけど、ものすごく気の合う、親友と呼べる存在ができたことで、恋愛なんて大したことないなって思えた。彼女との関係を通して自分を形作っていったし、世界の見え方が変わって、革命が起こったみたいでした。



私が十代、二十代の頃は、女性が読むものも書くものも恋愛小説しか選択肢がない感じで、世の中で提示されている価値観がロマンティックラブイデオロギー一択。だけど人生で一番素晴らしかった出来事は親友との出会いだから、私はそれを書きたい、と。

新人賞を受賞した2008年の時点では、女の子同士の友情は少女小説的な、一般文芸より劣るものなんだとストレートに言われたこともあります。隔世の感がありますね。

吉田 私自身の話ですが、仕事が忙しくて子育てもしていると、なかなか友達と会うこともできなくて。そんな日々に追われるなかで、私は誰かにとってスペシャルな存在になりえているのだろうかと、ふと考えたことがあったんです。

どうにか時間を捻出して会いたいと思う親友も、私にとっては一番の存在でも、もしかしたら彼女にとってはそうじゃないかもしれない。でもそれの何がいけないんだろう、と同時に思った。

世の中には、お互いを唯一無二だと確信できる関係性を美しく価値の高いものとしてとらえる向きがあるけれど、大事なのは自分にとって相手がどんな存在であるかということで、相手にとって自分が5番でも6番でも関係ないじゃないか。

必要なときに寄り添い合えて、支え合えて、何より自分がその人の存在に救われていればなんの問題があるだろうと考えるようになりました。唯一無二の関係も素敵だけど、こういう考え方もあるよね、それはそれで素敵だよねって。

山内 シスターフッドの物語を書き続けていると誤解されがちなんですが、私も四六時中、女友達とお茶してるわけではないし、関係が途切れてしまった友達もいます。

自分の生活でいっぱいいっぱいになっているうちに、女友達との距離が遠く離れてしまうことは普通にある。というか、世の中そういう人が大半ですよね。

吉田 ほんと、そう思います。だから、あなたじゃなきゃだめだと言われたい、自分にとってそういう相手を見つけたい、という人にはスペシャルな関係性を描いた物語も刺さると思うのですが、それをあまりに美しいものとして描きすぎると、山内さんがおっしゃるように、そういう人を見つけられない、そもそも見つけたいとも思わないという人を抑圧することに繫がってしまう。

馴れ合う必要はないし、必ずしもずっと一緒にいなくてもいい、だけどどちらかが倒れそうになったとき寄りかかれる存在としてあり続けること、踏ん張りたいときに励みになれることが理想。シスターフッドという言葉が普及したからこそ、その言葉を使うことで神聖化されすぎる怖さもある、と感じています。

山内 かつては恋愛小説や恋愛映画だらけで、恋愛していない人にとっては、肩身が狭くなるような世の中でした。今こうしてシスターフッドがフィーチャーされることで、友達がいない人に同じ思いをさせてしまっているかもしれないです。

シスターフッドの概念が育った背景には、ただ「私たちの友情最高!」ってだけじゃなく、女性が社会で生きるには、結婚して男性のパートナーを得ることが必須だった社会構造があります。

そのためには男性に好かれなくちゃいけない、受け身になってプロポーズを待たなきゃいけない、そうしないと幸せになれないと思い込まされていた。そうじゃない道もあったよ、こっちのほうが楽しいし幸せな感じがするよ、と提示するために、ずっと書いてきました。

ただ、そういう価値観が市民権を得たことで、友情をむやみに礼賛するのも違うと思いはじめて。
『マリリン・トールド・ミー』(2024年)では別のアプローチを試みています。

――コロナ禍で孤独な日々を送る女子大学生のもとにある晩、マリリン・モンローから電話がかかってくる、という少しファンタジックな導入の物語ですね。

山内 マリリン・モンローみたいに、すでに死んでしまっている外国の映画スターであっても、その存在が自分を励ましてくれて、支えになっているなら、それはもう親友と呼んでいいんじゃないか? そういう対象との間にも、友情に近い絆を育むことができているんじゃないか? という思いで書きました。

根幹にあるのはマリリンへの友愛なので、シスターフッドの物語のバリエーションですね。ただ一方で、果たしてシスターフッドという概念は本当に定着したのだろうかという疑問もあって。

たとえば地元富山の若い人たちを相手に毎年講演会をしているのですが、必ず最初に同じ質問をします。「ジェンダーという言葉を知っていますか?」にはほとんどが手を挙げるんです。だけど「意味を説明できますか?」と聞くと、一人二人。シスターフッドって言葉も大半が知らなかった。

出版や映像業界では食傷気味になるほど使われている言葉だけど、実は全然人口に膾炙していないってことは、肝に銘じておきたいです。

――確かに、業界だけで浸透している言葉や価値観はありますね。伝える努力が足りないまま、新しいものに飛びついてしまい、結局定着しきらないということも。

山内 最近、著作の文庫化に際して「帯の惹句にシスターフッド文学という言葉を使っていいですか」と担当さんから確認されました。シスターフッドという言葉があまりに使われすぎていて、忌避する作家さんもいるかもしれないからと。

だけど、飽きているのは業界の人か、よほどの読書家だけで、とくに地方にはまだまだ届いていない。手垢もついてきてますが、私は使っていきますよ(笑)!

吉田 誰に向けて話すかによっても、変わってきますよね。確かに業界の人たちにとっては「またこれか」と思われてしまうかもしれない、わかりやすい言葉にくるむことで誤ったイメージの伝播につながってしまうかもしれない、と懸念するからこそ、私も企画書にはあまりシスターフッドという言葉を使わないようにしているのですが、視聴者や読者に向けては、ときに、同じテーマを何度でも口酸っぱく言い続けることが必要だとも思います。こすり倒してもまだ、届いていない人というのは絶対にいるはずなので。

山内 本当にそう! 実は私、女性二人が美味しいごはんを食べて幸せを嚙みしめる系のドラマは、「もう飽き飽きなんだよ!」と柚木麻子さんに愚痴ったことがあって。そしたら、「それを言うなよ。恋愛ドラマはいくら作られても、飽き飽きだなんて思わなかったじゃないか!」とたしなめられました(笑)。

飽きるほど作られてナンボだし、なんなら、飽き飽きするのはシスターフッドというテーマのせいじゃなくて、作り手側の工夫が足りていないってことなのかもしれない。

吉田 恋愛ドラマには、たぶん、いろんな味があるんですよ。同じ食材を使っても調理方法によって味や印象が異なるように、ジャンクなものも高級感のあるものも、それぞれに楽しめる選択肢が用意されている。

だけど今、女性ふたりの関係性を描くとき、料理でたとえるなら和食しか用意されていない状態なんですよね。だからどうしても、たまには違うものがほしい、と思ってしまう。どうしても成功体験を踏襲してしまうし、そもそも和食を求めている人の数が圧倒的に多いから、冒険ができないというのもあると思うんですけれど。

構成/立花もも 撮影/大槻志穂
(『すばる』2025年6月号より)

すばる 2025年6月号

すばる編集
市民権を得た「シスターフッド」の現在地と、その先 山内マリコ×吉田恵里香
すばる 2025年6月号
2025/5/21,100円(税込)166ページISBN: -

【連載】
桐野夏生「聞こえたり聞こえなかったり」(4)

【小説】
上田岳弘「マンサ・ムーサ」

【小説短期集中掲載】
遠野遥「吸血鬼」(2)

【対談】
山内マリコ×吉田恵里香「シスターフッドのその先へ」

【特集:ハン・ガン 死と再生の文学】
斎藤真理子「「ごはん」から見えてくるハン・ガンの文学世界」
川村湊「漢江に注ぐ水流――ハン・ガンと「四・三事件」」
金ヨンロン「私はそれを見たいだろうか――ハン・ガン『別れを告げない』を読む」

【第十回渡辺淳一文学賞発表】
木下昌輝『愚道一休』

【第四十回詩歌文学館賞発表】
詩部門/中尾太一『フロム・ティンバーランド』
短歌部門/中根誠『鳥の声』
俳句部門/中村和弘『荊棘』

【連載】
山内マリコ、池澤夏樹、小川洋子、金原ひとみ、高山羽根子、松田青子、滝口悠生、鏡リュウジ×東畑開人、角幡唯介、赤坂憲雄、姜尚中、岸本佐知子×杉田比呂美、村井理子、渡邉裕規、岡野大嗣、安達茉莉子、小津夜景、高羽彩、朝吹真理子、辻山良雄、エリザベス・コール

【プレイヤード】
演劇、美術、映画、待川匙「読書日録」、本

【日日是好日】
鈴木ジェロニモ(3)

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