山内マリコはなぜ『アンダーステア』でアダルト業界を舞台にした物語を描いたのか 山内マリコ×吉田恵里香
山内マリコはなぜ『アンダーステア』でアダルト業界を舞台にした物語を描いたのか 山内マリコ×吉田恵里香

2012年のデビュー作『ここは退屈迎えに来て』以来、女性同士の友情や繫がりにフォーカスした物語を紡ぎ続けてきた山内マリコさんと、向田邦子賞を受賞した『恋せぬふたり』や、昨年国民的な反響を呼んだNHK連続テレビ小説『虎に翼』の脚本家として知られる吉田恵里香さん。ふたりがシスターフッドの現在地とこれから、さらには山内さんが『すばる』にて連載中の「アンダーステア」について語った。

(全3回の2回目)

シスターフッドでいうと、『アナと雪の女王』が大きかった

――昨今、エンタメ重視のドラマであっても社会的なテーマを盛り込むのが普通になってきましたよね。楽しみながら視野を広げていけるのは、いいことだとも思うのですが。

山内 社会的なテーマが盛り込まれる傾向は、それだけ世の中が荒れて社会問題が顕在化しているからという背景もあると思います。SNSによって意見が共有され、映画自体も考察合戦の対象になって、作り手を刺激したはず。

シスターフッドでいうと、2013年に公開された『アナと雪の女王』が大きかったですね。それまで真実の愛=異性愛という規範でプリンセスものを作ってきたディズニーが、エルサとアナという姉妹愛も、真実の愛として描いた。ここからフェミニズムとシスターフッドの流れが世界的に生まれて、2017年の#MeToo運動で完全に潮目が変わりました。

某大物映画プロデューサーが告発され、ハリウッドがちょうど今のフジテレビのような感じになって。男性優位だった映画業界がそこから変わって、作られる作品も一気に変わりました。

この流れがハリウッドから世界中にトリクルダウンして、フェミニズムやシスターフッドが〝当たり前〟のものになっていったと見ています。

ただ一方では、「そういうのが流行っているから」という感じで、「仏作って魂入れず」みたいな作品に出くわすことも度々あって気になっています。たとえば『哀れなるものたち』(2023年、日本公開は2024年1月)という映画とか……。

吉田 昨年、かなり話題になりましたよね。

好きな役者が沢山参加していましたし、私も観て面白かったし好きな映画であるのは間違いないんですけれど、性加害、避妊や性病に対するフォローがなく、性に対するアプローチがやや一面的というか……言葉を選ばずにいうと、男性にとって口当たりのいい作品なんだろうなと皮肉交じりに感じたりもしました。

山内 フェミニストの人もけっこう絶賛だったのですが、私はどうも引っかかってしまって。フェミニズム的な要素が、露悪的なセックスシーンを現代に撮ることの免罪符のように機能している感じがしました。

フェミニズム要素があれば新しい感じがして、女性の観客に称賛されて賞もとりやすくなる、便利なものとしてフリーライドされている感じで。フェミニストが主体的にしているセックスなら、どんなにハードでもOK、みたいな。

吉田 映画を観たあとに原作を読んでみたんです。脚本家として脚色の凄さに驚きつつ「あぁ、そこを切り取って、そこを省いたのか」と少々モヤモヤしました。原作はリプロダクティブヘルス・ライツ(性と身体のことを自分で決めて自分で守る権利)の話が幾度も出てきます。劇場版では、その部分が広義の意味でのフェミニズムに飲まれて消えてしまっていた印象です。

山内 #MeToo運動以降、フェミニズムやシスターフッドをテーマに掲げたほうが、おそらく企画が通りやすくなっていて、必ずしもフェミニストではない人も、物語にそういう要素を盛り込むようになった。

本当の意味でフェミニズムを理解しているわけではない、理解しようともしていない作り手が、単に「今ウケるテーマ」として手を出しているんじゃないかなと、時々思います。でもそれが、メジャーになるということかも。
代償ですかね。

吉田 個人的な好みでいうと、去年の(第96回)アカデミー賞で対抗馬とされた『バービー』(2023年)のほうが好きでした。搾取の構造は本当に男女の性別で決まっているのかという問いかけも含めて、テーマの掘り方も一歩先を行っていたと思うんですよ。

でも、おそらく『バービー』が男性にとって心地よく味わえるものではないのだろうなということも観ていてわかってしまった。その結果が、『哀れなるものたち』の4部門受賞。『バービー』は歌曲賞だけ。たぶん、フェミ枠の映画を2本受賞させるわけにはいかなかったんだろうなと、思惑は理解しつつも「なんで?」って思いました。

『バービー』で助演男優賞にノミネートされたライアン・ゴズリングも、監督のグレタ・ガーウィグと主演女優のマーゴット・ロビーがノミネートすらされなかったことに失望している、と声明を出していましたしね。慣例と違っていたとしても、もうひと枠増やせばいいじゃない、と思うんですけど。

山内 映画に限らず、賞というのは権力によって恣意的に動くものなので、近年のアカデミー会員のジェンダーバランスが、白人男性優位に偏らないようにしているというのはいいことだと思うんですよ。でも、まだまだ結果にがっかりすることは多くて。今年(第97回)オスカー5部門を受賞した『アノーラ』(2024年、日本公開は2025年2月)も、私は受け入れられなかった……。

主人公がセックスワークに就いている背景は一切語られないんです。

アノーラがなぜその仕事に就いているのか、どういう気持ちを日々味わっているのか、アノーラ自身のドラマはなにも描いてない。そのくせセックスシーンにはめちゃくちゃ尺を使ってる。そのセックスも、ヤりたい盛りの若造の相手をしているだけで女性が愛を感じるタイプのセックスではない。

ショーン・ベイカー監督はセックスワーカーをずっと描いてきたそうですが、あまりに掘り下げがないので、頭を搔きむしりたくなりました。『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』(2017年)が名作なので期待していたんですけど。

吉田 私は『アノーラ』自体はかなり好きだったんですけど、セックスシーンに尺を取りすぎということは完全同意です。主役に理由を持たせなかったのはセックスワーカーを主役にする場合、「実は家族が病気」とか「親の借金を肩代わり」といった言い訳が必要だった。でもそれ自体、理由がなければセックスワーカーは主役(ヒロイン)になれないという蔑視になるからかなと思いました。

理由は貧困で、様々な感覚がマヒして彼女の日常になっているのかと。でも仰る通り、セックスシーンを削って、彼女が様々なことを搾取されていることに気づいていない、マヒしている描写はあっても良かったのかも? まぁ、そういった諸々の「?」が、もっといえば物語のほとんどが、ラストシーンのための前振りだと思うからなんですよね。

山内 確かにラストは素敵でした。
でもあれもユーリー・ボリソフの力だし、『コンパートメントno.6』(2021年)まんまで……。

吉田 まんまなのは、私も思いました。前振りの段階での引っかかる表現諸々が良くも悪くも、観てもらう客層を広げるためな気がしています。本当に観せたいラストや美しいシーンのために、それまでは助走みたいな映画の作り方もあるのかなとも思います。

受け入れられなかった山内さんと、モヤモヤするところもありつつ楽しく受け入れられた私が価値観とか解釈の違いをぶつけあいながら語りあう……そこも含めて映画の楽しみ方のひとつだと思います。

私は色々な解釈を語りあうのが大好きなのですが、今はそういった議論も許されない雰囲気が強いじゃないですか。それが残念だなと思って。

山内 そうですね。フェミニズム映画が隆盛する流れが来ていましたが、『アノーラ』がオスカーを総取りしていったのを見て、バックラッシュ期に入ったのを痛感しました。去年の『バービー』のパージぶりから懸念はしていたのですが、トランプ政権がまた誕生したこのタイミングで、ついに来たかと。アカデミー賞はどんな作品に栄誉を与えるかが、社会的なメッセージになるのに。

吉田 私、今年のアカデミー賞の主演女優賞は『サブスタンス』(2024年、日本公開は2025年5月)のデミ・ムーアなのかなぁと予測していました。

映画はまだ観られていないのですが、テーマや描写の仕方が挑戦的で応援したい作品だったので。(※対談後、観に行きました。内容に思う部分はあれど主演女優賞を取って欲しかった気持ちは大きくなりました)

受賞したマイキー・マディソンは本当に素晴らしかったので納得ではあるのですが、今回最多の5部門受賞と聞くと、『アノーラ』だけがよかったんだという声が生まれかねない。

セックスワーカーの女性が道を切り開いていくというストーリーが評価されやすい土壌の、そもそもの歪みみたいなものを考えると、複雑な気持ちにはなりますよね。

これから先、作品がどんどん、まっさらな状態で評価されることが難しくなっていくのはつらいな、と。物語って、誰かが生きていくために書かれているものだから。誰にでも愛される名作ばかりではないのは、あたりまえなんですよ。逆に、あまりに大勢の顔色をうかがいすぎると、誰にも愛されない作品が生まれてしまうし。

変わらない社会で小説が描くべきこと

――そのなかで、山内さんが『すばる』掲載の連載長編「アンダーステア」でAV業界を舞台にした物語を描こうと思われたのは、なぜだったのでしょうか。

山内 直接的なアイデアは、雨宮まみさんのことを考えていたときに思いつきました。もし、まみさんが#MeToo以降も元気だったら、どんなものを書いたかなぁと。どういう視点で性加害のことを書いただろうかと考えていたときに浮かんだアイデアが元になっています。まみさんはAVライター経験があるので、よし、アダルトビデオ業界のことを書こうと決めました。



吉田 序盤を読んでいいなと思ったのは、セックスワークに従事する女性の悲劇性にスポットライトを当てていないところでした。悲劇な現実がエンタメのジャンルのようになることに抵抗があるので。

どうしても、なぜその仕事を選ぶに至ったのか、社会でどんな搾取が行われていたのか、ということがメインテーマになりがちだけど、主人公の蜂矢ユキはむしろ、AV業界のスタッフとして働くことで、加害者側に組み込まれていく。その姿に、はっとさせられるものがありました。

今、とくにXになってからのTwitterには、AVのタイトルだけでなく女優さんの切り抜き動画も勝手にどんどん流れてくるじゃないですか。見慣れすぎて感覚が麻痺しちゃっているところを「それはおかしいよ」と改めて言ってくれることにも意義があるなと思っています。

山内 ありがとうございます! この作品ではセックスワーカーを描くというより、アダルトビデオとは何なのかを、特に前半では掘り下げたいと思っていて。性って文化的なものだから、AVが今の私たちの性を形作ってしまっている部分は大きいと思うんです。

あくまで男性向けの性的ファンタジーという体で作られているものだけど、見る人は男も女もそれを教科書的に受け取ってしまいます。無意識レベルで「セックスのやり方」として学習して、模倣している面もあって。結果、男性向けの性的ファンタジーに女性が巻き込まれて、付き合わされているんじゃないかと。

既婚男性に訊くと本当にセックスレスの人が多いんですけど、性欲はもちろんあるわけで、みんなAVで処理していると言う。つまり、家庭の中のセックスを歪めてもいる。ポルノを制作すること自体が違法というアジアの国もたくさんあるなか、日本のAVが国外でもすごく見られていて、影響力はとても大きい。そういった、AVが及ぼしている思いがけない影響って無数にありそうで、それが何なのかを主人公の蜂矢を通して発見していきたいなと思っています。

吉田 根っこの部分をしゃべりたいな、と思うんですよね。たとえばAV業界のあり方について誰かが批判すると、女優さんから「私の仕事を奪わないでください」と声があがることもあるじゃないですか。

山内 AV新法以降、とくにそうですね。

吉田 批判する人が問題視しているのはポルノにおける搾取の構造であり、女性を性的に扱うことで生まれる蔑視や、今なおなくならない性加害の問題が大半です。本来はその産業に関わる人全ての環境が向上することだと思います。

AVに限らずですが、何か問題がある産業に対して「全て廃止にしてしまえ」というだけでは何も変わらない。当然反発が生まれます。問題が個人の職業選択の自由について議論がすりかわると、収拾がつかなくなってしまう。

人によって何が死活問題となるかは違うのだということも含めて、広い視野で描かれようとしているのも感じられて、この先の展開がとても楽しみになりました。

山内 うれしいお言葉です。AV業界をモチーフに描きつつ、もう少し大きな構造を描きたいなとも思っています。10年くらい前、SNSで女性たちが声をあげる草の根的な動きが活発になり、このまま議論が進めばきっといろんなことが改善されていくだろうという機運を感じていた時期があったんです。でも結局、そうはならなかった。社会を動かしているメインメンバーが男性である以上、女性が声をあげるには限界がある。そういう失望を希望に変えられるような物語を目指しています。

構成/立花もも 撮影/大槻志穂
(『すばる』2025年6月号より)

すばる 2025年6月号

すばる編集
山内マリコはなぜ『アンダーステア』でアダルト業界を舞台にした物語を描いたのか 山内マリコ×吉田恵里香
すばる 2025年6月号
2025/5/21,100円(税込)166ページISBN: -

【連載】
桐野夏生「聞こえたり聞こえなかったり」(4)

【小説】
上田岳弘「マンサ・ムーサ」

【小説短期集中掲載】
遠野遥「吸血鬼」(2)

【対談】
山内マリコ×吉田恵里香「シスターフッドのその先へ」

【特集:ハン・ガン 死と再生の文学】
斎藤真理子「「ごはん」から見えてくるハン・ガンの文学世界」
川村湊「漢江に注ぐ水流――ハン・ガンと「四・三事件」」
金ヨンロン「私はそれを見たいだろうか――ハン・ガン『別れを告げない』を読む」

【第十回渡辺淳一文学賞発表】
木下昌輝『愚道一休』

【第四十回詩歌文学館賞発表】
詩部門/中尾太一『フロム・ティンバーランド』
短歌部門/中根誠『鳥の声』
俳句部門/中村和弘『荊棘』

【連載】
山内マリコ、池澤夏樹、小川洋子、金原ひとみ、高山羽根子、松田青子、滝口悠生、鏡リュウジ×東畑開人、角幡唯介、赤坂憲雄、姜尚中、岸本佐知子×杉田比呂美、村井理子、渡邉裕規、岡野大嗣、安達茉莉子、小津夜景、高羽彩、朝吹真理子、辻山良雄、エリザベス・コール

【プレイヤード】
演劇、美術、映画、待川匙「読書日録」、本

【日日是好日】
鈴木ジェロニモ(3)

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