〈このままだと5年しか生きられない〉右腕切断も合併症の脅威おさまらず…“ピッカリ投法” 佐野慈紀さんが明かす糖尿病の恐ろしさ
〈このままだと5年しか生きられない〉右腕切断も合併症の脅威おさまらず…“ピッカリ投法” 佐野慈紀さんが明かす糖尿病の恐ろしさ

その予備群を含めると日本人の5人に1人が罹患しているとされる糖尿病。薄い頭髪を活かした“ピッカリ投法”でお茶の間の人気者だった元プロ野球選手の佐野慈紀氏(57)もその恐ろしさを身をもって知ったひとりだ。

糖尿病により野球人の命ともいえる右腕を切断して1年、彼は今なお予断を許さない状況にいる。〈前後編の前編〉

「まさか自分が糖尿病になるなんて…」

「糖尿病は恐ろしい」

佐野さんは毎回決まってこの言葉で自身のブログ記事を締める。それは球界OBで誰よりもその恐ろしさを知る男の精いっぱいの警鐘なのだろう。

「糖尿病という名前は知っていて合併症が生じる危険性があると何となく認識していても、具体的にどうなるってみんな知らないじゃないですか。

僕もこうなって初めて知りましたけど、だからこそ発信していきたいんです」

約30年前、決して金払いがいいとは言えない近鉄バファローズという球団で、中継ぎ投手初の1億円プレーヤーとなった。だが、“稼ぎ頭”にして苦楽をともにした彼の右腕は、すでにない。

発端は引退後、フリーで野球評論家活動をしていた39歳のころだった。

「肺炎で入院したときに血液検査をしたら、血糖値が350(mg/dL)で糖尿病と診断されました。まさか自分が糖尿病になるなんて想像していなかったので驚きましたね」

空腹時血糖値の正常値は99mg/dL以下。誰が見ても異常な数値だった。

糖尿病とは、血液中の糖をエネルギーに変える「インスリン」というホルモンが何らかの理由で働かなくなって、血糖値が上昇してしまう病気。そして、高血糖の血液が体内をめぐることで血管が傷つき動脈硬化となり、「神経障害」や「腎臓病」、「心筋梗塞」といった深刻な合併症を引き起こすのだ。

糖尿病には免疫異常やウイルス感染によってインスリンがほとんど、あるいはまったく分泌されなくなる「1型」と、生活習慣や遺伝によってインスリンが不足する「2型」とに大別される。

佐野さんが診断されたのは「2型」。彼の世代のプロ野球選手といえば、暴飲暴食が日常化した選手も多かった。やはりそうした不摂生が原因だったのか。

「たしかに食事量は一般の人よりも多かったと思いますが、引退後は夜中にたくさん食べることはなくなっていたし、家族もいたので飲みに行く機会もすっかり減っていました。

だから糖尿病は誰にでも起こりうる病気だと感じています」

「右腕切断は生きるための選択」

糖尿病患者の90%以上が「2型」とされており、こちらの深刻度は比較的低い。正しい生活習慣によって改善が期待されたのだが……。

「糖尿病が発覚して2年後、なかなか血糖値が下がらないのでインスリン注射をするようになり、その頃に糖尿病は完治しない病気だと知りました。

血糖値が正常値に戻っても、免疫力低下による合併症がいつ起こるかわからない。当初は軽く考えていただけに、愕然としました」

佐野さんはできるかぎり節制した生活を送った。それでも、病魔は佐野の体を着実に蝕んでいく。インスリンの投与を始めて10年後の2019年には心不全を発症。恐れていた合併症が起こり始め、人工透析を受ける生活へ。

そして、2023年からは神経障害による感染症が猛威を振るい始める。

同年4月、石油ファンヒーターで右足中指を低温火傷したことをきっかけに右足中指切断、12月、小さな傷から壊疽(えそ)が広がり右手人差し指と中指を切断。そして翌年5月1日、それでも右手の感染症の広がりがおさまらず、右腕を切断するにいたる。

56歳の誕生日の翌日の出来事だった。

野球人にとっての命ともいえる右腕。決断に躊躇はなかったのか。

「感染がこれ以上広まらないように一日おきに腕を洗浄をするんですが、とにかくこれが痛かった。この痛みから逃れられるなら……という思いがひとつ。

それと指から腕への感染スピードが尋常じゃなかった。ここで判断が遅れたら心臓へ転移する恐れもあったから、感傷に浸るよりも生きるための選択として決断せざるを得なかったんです」

術後、洗面所の鏡を見ると右腕のない自分が写っている。

「受け入れられたか? そんなの受け入れなきゃしょうがないですよ。とはいえ、やっぱりネガティブになって、頭の中がゴチャゴチャになるときがありました。

でも現役時代も私生活も、腕の洗浄のときだって強がるのが僕の性分。

いわゆる障がい者になったけど、自分にエールを送ってくれる人や同じ病気で苦しんでいる人がいる。僕は元プロ野球選手でありがたいことに知名度はあるから、この境遇を自分からドンドン発信していこうって」

今年5月、病気の経過を含む半生を綴った『右腕を失った野球人』(KADOKAWA)を出版。メディアへ多数出演して糖尿病の恐ろしさを話すなど、啓蒙活動にいそしんでいる。

「このままだと5年しか生きられない」に告げられても…

右腕を失って1年、その生活はどうか。

「隻腕になっても特に不都合はありません。最初苦労したのはゴミ袋を縛ることかな。でも口を使うことでなんとかクリアしました。腕を失ってわかることは、みんなとにかく優しい。ごはん屋さんに行くと、店員さんが本当に親切にしてくれる。

どちらかというと、今は長い入院生活で弱った足腰のほうが問題。右足の中指がないのもあって、歩いてるとすぐバランスを崩してしまうんです。少しずつ一日に歩く距離を伸ばしていって、下半身の筋力を戻していかないといけませんね」

昨年12月には少年野球大会の開会式に出席し、左手で初の始球式も行った。

マウンドの少し手前から投げたボールはワンバウンド投球となってしまったが、「マイナス10点」と冗談を飛ばすなど公に元気な姿を見せている。

しかし、病魔が去ったわけではない。

2024年1月には、同じく糖尿病が原因で心臓弁膜症を発症。かなりの重症で、この病気によって現状、心臓が35%しか機能していない。「このままだと5年しか生存できない可能性が高い」と当初、医師から説明を受けるほどだった。

「いつも頭の片隅に死の恐怖があります。じつは去年の11月から4月まで腰の感染症で再入院していて、そのころは気持ちも落ち込んでいました。

でも今は体調もずっといいし、血糖値ももはや正常値なんです。それができるならもっと早くがんばっとけよって話なんですが(笑)、とにかく今は10年でも20年でも30年でも生きるつもりでいます。

目標はまずはキャッチボールができるようになること。またイチからトレーニングしていきます!」

右腕を失っても野球が生きる糧であることに変わりはない。後編ではそんな“野球人” 佐野慈紀の現在地と、世間を騒がせたあの騒動について聞く。

取材・文/武松佑季
撮影/榊智朗

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