
組織の経営・マネジメントに詳しい小笹芳央氏は、昨今議論されている「ジョブ型雇用(職務に対して報酬を決める働き方)」が日本に根付くのは難しいと指摘する。日本では「メンバーシップ型雇用」と呼ばれる、業務内容や勤務地などを無限定に雇用契約を結ぶ雇用システムがメインで、解雇法制の厳しさや降格人事が難しいという事情があるからだ。
書籍『組織と働き方の本質』より一部を抜粋・再構成し、メンバーシップ型雇用の利点とともに、今後の展望を解説する。
真の目的は、若手有望人材への報酬シフト
「ジョブ型雇用」とは、1人ひとりの職務を明確にして責任の大きさと成果で報酬を決める雇用システムのことです。他方、これまでの日本型雇用は「メンバーシップ型雇用」と呼ばれ、業務内容や勤務地などを無限定に雇用契約を結ぶ雇用システムです。
最近はジョブ型に移行しようとする企業が増えていますが、その背景にあるのは、専門人材の確保、グローバル競争力の向上、働き方の多様化、年功序列・終身雇用の限界などです。
しかし、表向きの理由はともかく副次的な目的として、新たな価値を生まない人材の給料を下げ、その分を新たな価値を生む人材に振り分けたいということがあるのではないでしょうか。
カイシャ君の基本的価値観が経済合理性にある点を考えれば当然のことでしょう。
年功序列・終身雇用が長く続いてきた結果、価値を生み出しづらい社員層の人件費を削減し、ITエンジニアなど労働市場において獲得競争が激しい人材への報酬に振り分けたい、新たな価値を生み出す若い社員層への報酬に割り当てたい、というのが多くの企業の本音であることは間違いないでしょう。
いまや、ITなしにビジネスを行うことは難しく、IT人材は引く手あまたの状況であるため、報酬も高騰しています。「高いからいらない」というわけにはいかず、優秀なIT人材を確保するためには高い給与を払う必要があるのです。
しかし、給与総額を増やせる企業は少なく、誰かの給与を増やすためには、誰かの給与を減らす必要があり、そのために「ジョブ型人事制度」と称して人件費の再配分を志向している企業が増えているというのが私の解釈です。
かつて「成果主義」の導入が声高に叫ばれた時期がありましたが、成果主義もまた、価値を生み出す人材と生み出さない人材を見極めて、人件費の再配分を行うことが主な目的でした。
しかし、成果主義に制度を変更して業績が急激に好転した企業があったでしょうか。30年以上にわたる日本経済の停滞を考えると答えは「No」です。
では、ジョブ型雇用に制度を変更して、業績が好転する企業がこれから出てくるでしょうか。私はかなり懐疑的に捉えています。
仕事(=ジョブ)に値段をつけることは不可能
本来のジョブ型は、「仕事(ジョブ)に値段」をつけ、その仕事を遂行する人が誰であろうと同じ報酬を払う仕組みです。
他方、メンバーシップ型は、能力給・年功給・成果給・属人給などにより、「人に値段」をつけ、どんな仕事を行っていようとも同じ報酬を払う仕組みです。つまり、報酬を支払う対象を「仕事」(=ジョブ)にするか、「人」にするかが、報酬制度の最初の大きな分岐点となるのです。
さて、ここで問題です。はたして、仕事(ジョブ)に値段をつけることはできるのでしょうか。
たとえば、サッカーでセンターフォワードはいくら、ゴールキーパーはいくらと値段をつけているチームはありません。野球でもピッチャーはいくら、4番バッターはいくらと決めているチームはありません。他のスポーツも同様です。
大谷翔平選手、リオネル・メッシ選手など、結局はポジションではなく、その人材そのものに値段をつけているのがプロスポーツ界の常識です。
ビジネスにおいても、たとえば、研修を企画・計画し、実行する仕事に値段をつけることができるでしょうか。人的資本経営で、人材への投資を重視している現在と、それ以前では、その仕事の価値は大きく違うでしょう。
仕事の価値は、社会環境や経営戦略などによっても、日々刻々と変わるものです。
ましてVUCA(市場やテクノロジーの変化が激しく予測が困難)の時代です。環境変化が激しい中、その都度ジョブに値段をつけるなどということは不可能です。
ジョブ型のジョブ内容を規定する「ジョブディスクリプション」を書いているうちに環境変化が進み、そのジョブの価値が上がったり下がったりして、内容が意味をなさない状況に陥ってしまう。そんな笑えない状況に陥る可能性も十分にあるのです。
日本版のジョブ型雇用は、本来のジョブ型ではない
現在、日本で導入が進められているジョブ型人事制度の多くは、仕事ではなく「役割(職責と成果)」を規定しています。正確には、ジョブ型ではなく「役割型」や「ポスト型」なのです。
また、役割やポストを規定しても、ジョブディスクリプションは書かないケースも多々あります。
つまりジョブ型と言いながら、内容はジョブ型とは似て非なるものになっているのです。
本来のジョブ型は仕事に値段がついているので、人事評価は行われません。ジョブディスクリプション通りの仕事が行われたのなら、評価する必要はなく、決められた報酬が支払われます。
一方、日本はどうかと言えば、役割やポストを規定しているため、その役割を全うできたのかどうか、半年ごと、あるいは1年ごとに、役割遂行に対する人事評価を行っています。
この点でも、本来のジョブ型とは大きく違います。
そして、人事評価は「温情評価」になりがちで、その役割から「ポストオフ(降格)」させることも困難です。このポストオフに関しては、ほとんどの企業の人事部にとって頭の痛い問題となっています。
日本版ジョブ型雇用は、経営努力の結晶
本来のジョブ型は、仕事を規定し、その仕事ができる人を採用し、仕事を任せます。ですから、経済環境やテクノロジー、経営戦略によってAという仕事がなくなれば、その仕事を担っていた人を解雇することができます。
仕事がなくなったのだから、その仕事をしていた人を解雇するのは当然という考え方です。仕事がなくなったら、他の仕事を与えるべきと考える日本版との大きな違いです。
そして、新たな仕事が必要になれば、その仕事を規定し、報酬を決め、人材を募集し、その仕事ができると判断した人を採用し、仕事を任せます。
つまり、外部環境や経営戦略に応じて、臨機応変に人の採用・解雇ができる雇用システムが真のジョブ型なのです。
しかし、日本では解雇法制の厳しさがあります。また、産業別や職種別の組合ではなく企業別組合が中心です。このような背景から真のジョブ型への移行は困難だと言えるでしょう。
私は逆に旧来のメンバーシップ型の良さも見直すべきではないかと考えています。おそらく、このような考えは少数意見でしょう。
解雇法制の緩和に関しては必要だと考えますが、臨機応変に人の採用・解雇ができる雇用システムが日本に定着するようにはどうしても思えません。むしろ中長期的な成長を志向したメンバーシップ型の利点も残すべきだと考えます。
メンバーシップ型によって働く個人の心理的安全性を担保しながら、一方で必要に応じて前向きな関係解消も可能な状態を作ること。
この一見矛盾するようなテーマを昇華させる最適解を探ることが、今後の企業経営に求められる大きな挑戦テーマだと考えています。今後もいろいろな会社で最適解を探る試行錯誤が続くことになるでしょう。
バズワードのように広がっている日本版ジョブ型雇用の正体は、社員との柔軟な「関係解消」ができないという縛りの中で、人件費の再配分を行うための苦肉の策(=日本企業の知恵)であり、経営努力の結晶だと言えるのではないでしょうか。
さて、あなたの会社では「ジョブ」や「ポスト」に報酬を払っていますか?「人」(=能力や成果)に報酬を支払っていますか?
それとも能力等級と役割やポストを組み合わせたハイブリッド型ですか?
いずれにせよ、ジョブ型雇用というフレーズに惑わされずに、そもそも論でどのような評価や報酬の仕組みが「One for all,All for One」の実現に近づくのかを考えること。いまは社会的な試行錯誤のプロセスだと解釈していいと思います。
これに関しても、リアル出社かリモートワークかと同じく、人材の優秀層がどのような仕組みを望むのかが、企業の対応を決めることになるでしょう。
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組織と働き方の本質 迫る社会的要請に振り回されない視座
小笹芳央
【内容紹介】
「人的資本経営」「パーパス経営」「ジョブ型雇用」
「自律分散型組織」「女性管理職比率」……
トレンドワードに捕らわれず“核心”を捉えよ!
組織変革の第一人者が、経営・マネジメントの“あるべき姿”を解説。
本書は、日本の組織変革の第一人者である著者が「会社とは、いったい何か」「組織は、どうあるべきか」という“本質”を主軸に、経営やマネジメントの在り方を解説するものです。
近年、企業を取り巻く環境は目まぐるしく変化を続けており、今後の予測が極めて困難なため、「経営の中長期的な見通しがつかない」と言われるようになっています。
「人的資本経営」「パーパス経営」「ジョブ型雇用」「自律分散型組織」「働き方改革」「女性管理職比率」「ダイバーシティ」……。実に多様なキーワードが広まり、国や社会からの要請も増えています。しかしながら、それらの本質を見抜くことなく、当面の対応をしがちになり、従業員の時間と労力は会社の見えないコストとして生産性を押し下げ、また対応した人間の仕事への効力感や誇りを奪っているケースが散見されると、著者は分析。
「このままでは、経営者や管理職層、働く人々が徒労感や無力感に襲われてしまうのではないかという憂いと、日本企業の国際競争力がさらに低下してしまうのではないかという危機感を抱くようになりました。私の過去の経験や現在の立場上、どうしてもこのまま世の風潮に対して沈黙していてはいけないという感情に突き動かされたのが、本書を執筆することになった理由です」と著者は語ります。
著者が経営する会社は、経営学・社会システム論・行動経済学・心理学などの学術成果をもとにした基幹技術「モチベーションエンジニアリング」を開発し、国内最大級の社員クチコミデータベース(約1,860万件)や、組織状態データベース(延べ12,650社、509万人)、人材育成関連データベース(延べ11,640社、148万人)など、膨大なデータを蓄積してきました。
本書は、それらをもとにした統計的なファクトデータやコンサルティングの豊富な実例を交えながら、トレンドワードの本質に迫り、組織変革のあるべき姿を描き出します。
経営者や管理職のみならず、人事・経営企画・IR・広報担当者などのコーポレート部門、さらには次世代を担うビジネスパーソンにとっても企業変革のための示唆に富む一冊です。
【目次】
第1章 会社・組織・マネジメントの本質
1「会社」とは、いったいナニモノなのか
2「組織」の成立要件と存続要件
3「マネジメント」の本質的な役割
第2章 社会的要請の本質
1「女性管理職比率」の罠
2「人的資本経営」の真相
3「働き方改革」の困惑
4「日本版ジョブ型雇用」の正体
第3章 個人の働き方の本質
1「働く個人」は「投資家」である
2「ワークライフバランス」の落とし穴
3「キャリアデザイン」の幻想
4「副業・兼業」の是非
第4章 組織変革の本質
1「自律分散型組織」の限界
2「パーパス経営」の成否
3「ダイバーシティ」を深掘る
4「組織変革のメカニズム」を解き明かす
第5章 環境変化適応の本質
1「テクノロジーの進化と仕事」の未来を展望する
2「労働市場適応」のサバイバル
3「均衡状態に安住する」+「手段の目的化」という病