
とろサーモンやかまいたちなど、人気芸人のマネージャーとして吉本興業の社員として働くいっぽう、吉本坂46のメンバーやソロアーティストとしても、その多才ぶりを発揮していた樺澤まどかさん。2023年8月に吉本興業を退社し、オーストラリアへの移住を発表してから約2年。
英語での日常会話はできるように
ーーまずは、海外移住を終えた率直な感想を聞かせてください。
樺澤まどか(以下、同) 本当に最高でした。もともとワーキングホリデーで1年滞在する予定だったんですが、楽しすぎて「まだ帰りたくない!」と思ってしまって。結局、学生ビザを新たに取って、7カ月ほど滞在を延長しました。そのビザの期限が切れたので、今回一時的に帰国することになったんです。
ーーそもそも、どうしてオーストラリアを選んだんですか?
正直、そんなに深い理由はなくて。英語圏でワーホリができる国が限られている中で、オーストラリアは親しみがあったんですよね。
というのも、大学時代にオーストラリア出身の同級生がいて、彼女から話を聞いていたこともあって、他の国よりちょっとだけ身近に感じていたというか。
あとはざっくり、「天気がよさそう!」とか「海の近くに住んでみたい!」とか(笑)。でも都会も好きだから、ビーチもあって都市っぽさもあるシドニーに惹かれた感じです。
ーー前回のインタビューでは「ビーチでお酒が飲みたい」って話されていましたよね。
それが実はオーストラリアでは外でお酒を飲んじゃダメなんです(笑)。ビアガーデンのようなお店ならOKなんですけど、道端とかビーチでの飲酒は禁止されていて、叶いませんでした。
でも、気候はとにかく最高で、特にシドニーは滞在中ずっと晴れていましたね。天気が悪いことで有名なメルボルンでさえ、例年にないほど晴れていて。結果的に、オーストラリアを選んで本当に正解でした。完璧な選択でしたね。
ーー語学力を身につけることが留学の目的だったとのことですが、成果はいかがでしたか?
もともとは英語がまったく話せなかったので、日常会話をできるようになったのは大きな進歩ですね。
「ペラペラ」とまではいきませんが、なんとか言いたいことは伝えられるようになりました。言葉が出てこない場面も多いですけど。
シドニーではシェアハウスで暮らしていたんですが、住人が全員英語話者だったんです。毎日顔を合わせて、自然と会話するなかで、少しずつ英語が身についていったのかなと思います。もちろん、参考書を読んだり、英会話アプリで勉強したりもしていましたが、やっぱり一番伸びたのは、日常の中で実際に会話することでしたね。
トラブル続出の海外生活「通っていた学校が潰れて……」
ーー初めての海外生活ということで、トラブルもいろいろあったとか。
そうですね、特に家探しは本当に大変でした……。シドニーで最初に住む家を探していたときは、英語がほとんど話せなかったので、内見に行っても会話がうまくできなくて。家主からすると「この人、大丈夫かな?」って不安になりますよね(笑)。案の定、何度も断られました。
ーーシドニーでは何件くらい内見されたんですか?
実際に内見まで行けたのは4~5件くらいかな。それより前の段階でつまずくことが多くて。アプリでオーナーとメッセージをやりとりするんですが、私の文章が変だったのか、そこで返信がこなくなることがほとんどでした。50件以上は送ったと思います。
ようやく内見に行けても、オーナーはその場では「YEAH!」みたいにノリがいいんですけど、あとからメッセージで「他の人に決めました」ってあっさり(笑)。もう本当に家探しはめちゃくちゃ苦労しましたね。
あと同じように、仕事探しも本当に大変でした。
ーーシドニーでもメルボルンでも、飲食店でアルバイトされていたんですよね。
シドニーでは日本食レストランとアイスクリーム屋さんで働きました。そこは友人や地元の方に紹介してもらったこともあって、スムーズに仕事を始めることができたんですよ。でもメルボルンでは、応募からすべて自分でやってみようと思って。履歴書のようなものを直接お店に持って行って、とにかく配りまくりました。
向こうでは、まず試しに働いてみて良ければ採用、という流れが一般的なんですけど、実際には全然受からなくて…。オンラインも含めると、100件くらい応募したと思います。でも、マジで受からない(笑)。英語にも慣れてきていたので、「いけるっしょ」と思っていた分、めちゃくちゃ凹みました。正直部屋探しよりも辛かったですね。
ーーメルボルンでは通っていた語学学校が突然閉校してしまったとか。
本当にびっくりしました。もともと「経営難で閉校するかもしれない」という噂は、うっすら流れていたんです。
それなのに、あっさり閉校。あとで聞いた話では、先生たちもまったく知らなかったみたいです。私はそのあと近隣の別の学校に移してもらえたのですが、友だちもできて、仲の良いクラスだったので…超ショックでしたね。そこで働いていた先生たちは職場を無くしたため強制帰国だったそうです。
とろサーモン、かまいたちの動向は「最初は遮断していた」
ーー吉本興業のときに担当されていた、とろサーモンやかまいたちの動向はチェックしていましたか?
一応していましたね。でも最初のうちは、「せっかく留学したんだから、日本の文化は遮断してストイックにやろう」と思っていて、日本のお笑いは観ないようにしていたんです。
でも、英語がまったく話せないうちは笑うことも少なくて、そんなときに、お笑いのYouTubeを観てリフレッシュしていました。
ーーご本人たちと連絡を取ることは?
(とろサーモンの)久保田さんは、たまにLINEを送ってきてくれていました。「元気?」「ちゃんと飯食えてんのか?」「お金困ってないか?」みたいに、親戚の叔父さんみたいに、いつも気にかけてくれていて。
あと(かまいたちの)山内さんもInstagramを見て「痩せすぎちゃうか?大丈夫か?」とコメントをくれたり、ネットニュースになった私の記事のリンクを送って「ウケるね」って反応してくれたりしましたね。
ーー(とろサーモンの)村田さんと(かまいたちの)濱家さんは…?
連絡はほとんど取らかなったです。
ーー帰国後、皆さんとは直接お会いになりましたか?
久保田さんには会いました。久しぶりにお会いしたら、もう面白すぎて、幸せでした。
数カ月後にはまた海外、次はイギリスへ
ーー前回のインタビューでは、ご自身の死生観にも触れていました。海外留学を経て、価値観に変化はありましたか?
変わったと思います。よくある「海外に行って、価値観変わりました!」っていう、あのベタなやつなんですけど(笑)。
「どうせ死ぬんだから、好きなことをしよう」というマインドはより強まった気がします。これまでは「好きなことをやろう」と思いながら、「ヤバい、私もう30歳だ……」って年齢に対する焦りもあったんです。
でも向こうでは、年齢を聞かれることは全然なくて。
ーー日本だと、「いま何歳なの?」「仕事辞めてどうするの?」みたいな会話から始まることも多いですよね。
実際に帰国して親に会うなり「YouTubeとかインスタとかアパレルとか色々やってるけど、何がしたいのかよく分からなくなってるね。今後どうしたいの?」と言われました。
「まずおかえりだろ! 私のアンチかよ」と返しましたけど(笑)。
オーストラリアでできた友人は私が何歳かも知らないし、私も相手が何歳かわからない。私がバイトをしていた飲食店のオーナーはおそらく40歳くらいなのですが「特に将来のプランはないけど、今のビジネス辞めたいんだよね」なんて悲愴感なく平然と話してくる。
でも、それでいいんだなって思ったんです。年齢とか経歴にとらわれず、そのときにやりたいことをやっている。その姿がすごく自然で素敵に見えて、私も改めて「好きなことをしよう」って思えました。
ちなみに、YouTubeも本当に少しだけですが収益化できていますし、ありがたいことに日本でのファンミーティングのチケットも完売しました。これも基本的には人に頼ることができない環境に身を置けたことで、成長できたなと思っています。
ーー今回の帰国は一時的なもので、また海外に行く予定だと伺いました。次はどちらへ?
今考えているのは、イギリスです。これまでイギリスは、ワーホリで行くには抽選に当たらなければいけなくて、なかなかハードルが高かったんです。でも昨年から先着順に変わって、私にもチャンスがありそうなので、チャレンジしてみようかと。
それに、ロンドンには私の単独ライブを企画・プロデュースしてくれた、吉本興業の元社員さんが住んでいるんです。その方が「ロンドンで樺澤のライブやりたい」って言ってくれているので、実現できたらいいなと。その足掛かりとしても、イギリスに行きたいですね。
ーーちなみに日本滞在中は、何をする予定ですか?
ちゃんと家族と過ごしておこうかなと。イギリスには、ワーホリで最長2年間滞在できるんですよ。それを想像したときに、「次帰ってくるときまでに、実家の人たちは元気なのかな?」と思って。
家族で過ごせる時間も限られるのかもしれないので、日本にいる間くらいは、なるべく一緒に過ごそうかなと思っていますね。
群馬の実家はド田舎すぎて何をするにも遠すぎて、本当に本当に不便で、ストレスが溜まるんですけどね(笑)。
取材・文/毛内達大
撮影/松木宏祐