
戦争や災害などの悲劇的な歴史的出来事の現場を訪れる観光をダークツーリズムという。その第一人者である井出明氏が大阪・関西万博を訪れた。
中国とトルクメニスタンは自国の政治体制に自信?
観光学の基本的な問いに「北朝鮮に観光で行ってよいか?」という問いかけがある。
独裁国家に観光で行くというのは外貨を直接与えることになるし、観光客向けのプロパガンダを自国に持ち帰った場合、それはその国での人権侵害を見えにくくさせてしまうという批判がしばしばなされる。
実は万博にもこうした側面があり、日本国民の税金を用いて独裁国家のPRや物販に協力するというのは倫理的な問題になりうる。
この点については、“ガクシャ”を含めて万博関係者はお茶を濁しているため、今回は人権問題を抱える国や戦争被害国のパビリオンを集中的に訪れて調査を試みた。換言すれば、「人類の悲劇を巡る旅」であるダークツーリズムを万博会場で実践したわけである。
さて、独裁国のパビリオンを中心に回るといっても実はこれがけっこう難しい。しばしば中華人民共和国(以下、中国)は独裁国家にグルーピングされるが、中国自身がそれを認めたことはなく、彼の地には彼の地の民主主義が存在しているという論理である。
このように、どう見ても独裁体制ではないかという国でも建前上は民主主義を標榜するので、独裁国をピックアップするだけでも難儀である。
そこで、今回はイギリスのエコノミスト誌のランキングに沿って、民主主義指数の極端に低い最下位グループを見ていくことにした。
ただこの段階でも問題があり、そもそも独裁体制をとる国は万博のような国際親睦イベントに参加するメリットが少ない。出展したとしてその国の暗部があげつらわれることになりかねない。
今回、エコノミスト誌の、2024年民主主義指数ランキングの最下位からの3カ国であるアフガニスタン(167位)・ミャンマー(166位:出展予定であったが、地震のために未オープン)・北朝鮮(165位)は、もとよりパビリオンを出していない。また日本にもその独裁制がよく知られるロシア(151位)とその盟友ベラルーシ(152位)も出展していない。
この観点からすれば、あれだけの大型パビリオンを出している中国(145位)とトルクメニスタン(161位)は、それだけ自国の政治体制に自信を持っているともいえよう。
「脱力的な独裁国パビリオン」
エコノミスト誌ランキング下位グループで出展が確認できるのは164位の中央アフリカであり、「やっと独裁国の展示に出会える」と駆けつけてみると、2つあるブースのうちの一箇所は、コーヒー袋が4つ展示されているだけであった。
それもそのはず、中央アフリカでは現政権とまさにその独裁体制を打ち負かさんがための民主化勢力との間で激しい内戦が起きており、外務省の海外安全情報においてもレベル4の「退避してください」が発令されたままである。
このような状況下で、一応万博に協力してくれた現政権は義理堅いという感じがしなくもなく、遠く日本の地から平和を願わずにいられない。中央アフリカ以外にも、万博では極端に手を抜いたような展示の独裁国パビリオンにしばしば遭遇するが、本国事情を鑑みればやむを得ないのではないかと同情を禁じえない。
民主主義指数が非常に低いラオス(160位)の展示にも足を運んでみた。その展示で象徴的なのは援助を軸とした日本との関係性が強調されていた点であった。
独裁国の政治体制の維持温存に日本の税金が使われてよいのかという問題もあるが、我々の払った税金の行く末が確認できるという意味では、こうしたパビリオンも意味があるかもしれない。
私は仕事柄よく海外に行くが、日本政府は奥ゆかしいというか、かなりの対外援助をしているにもかかわらず、現地でも日本国内でもあまりアピールしていない。
今回、業者への工事費未払いのためにパビリオンが完成せず、ようやく工事再開となったネパールでは、2015年の地震の際に日本、アメリカ、中国などから大きな支援を受けているものの、現地で観光客の目に入るのは米中からの支援実績ばかりで、日本の貢献はほとんど確認できない状況であった。
関西万博で日本の国際貢献がより可視化されるのであれば、万博への反対の声も弱まるかもしれないが、残念ながらそうした外交戦略の場として、この地はあまり上手く活用されていない。
被害国の状況
独裁状況の他に、戦争の被害についても万博で確認できないかと探ってみた。地球上には一方的な侵略を受け、虐げられた状況になっている地域は数多くあるが、その中でも日本人に馴染みが深いのはウクライナであろう。
ウクライナのパビリオンは、コモンズC館に入っており、一見したところかなり地味であった。
展示全体のコンセプトが“Not For Sale(売り物ではない)”とあり、その内実が何か気になっていたのだが、ぬいぐるみや調度品などの展示物のバーコードにおもちゃの銃を向けて読み取ると、小さな画面に戦禍のウクライナが表示される仕様であった。
さすがにお祭り状態の万博会場で血まみれの写真を掲示するわけにもいかないであろうし、この国の気概と工夫が感じ取れる良い試みであった。参加者は熱心に画面の内容を読んでいたため、「ウクライナの自由と民主主義は誰にも渡さない」というメッセージが来場者の胸に深く刺さったのだと思う。
イスラエルとパレスチナのパビリオンは
もうひとつ、一方的に攻められている「国家」として、モンズD館のパレスチナのパビリオンにも足を運んでおきたい。パレスチナを国家として承認していない国も多い中で、パレスチナに国と同格の展示を認めているのは万博事務局の英断であったと言える。
パレスチナも、当然のことながら廃墟や瓦礫を見せるわけにもいかず、風光明媚なパネルを中心に展示を構成するわけだが、私の興味を引いたのは「3分で簡単な説明をさせていただきます」という案内であった。
若い女性が、それほどこの地に関心のなかった人たちを相手に、ガザにおける平和な人々の日常生活が危機にさらされているという状況を短い時間で見事に解説していた。被害に関する直接の映像資料もない中で、あれだけの熱のこもった話は見る者の胸を打つ。
実はイスラエルはコモンズC館にパビリオンを出しており、両館は比較的近い距離関係にある。イスラエルがまさかガザのジェノサイドについて触れるはずもなく、どういう展示をしているのかとパビリオンを覗いてみると、嘆きの壁にメモを挟んでくれるサービスが行われており、筆者は「パレスチナに平和を」と書いてみた。
実行された時点で私にメールで連絡が来るそうなので楽しみにしているが、はたして約束は果たされるのであろうか。
万博をダークツーリズムの視点から観る人もあまりいないと思うが、複雑な国際関係を念頭に置きつつ回ってみると、それはそれで現代世界の行き詰まりが感じられるかもしれない。
ただ、小中学校が遠足や修学旅行先として万博を訪れる場合は注意が必要だろう。事前学習であてがわれた国が尋常ではない独裁体制を敷いている可能性もあり、何のために万博に行くのか意義がわからなくなるかもしれない。
小中学生がインターネットで調べて「この国では大量虐殺が行われています」というレポートを出してきた時、彼ら彼女らの胸中に深いトラウマが刻まれてしまわないかと懸念する。
国家と国家の対立の中で多くの命が奪われている現状下、関西万博のスローガンである「ぜんぶのいのちと、ワクワクする未来へ。」が逆説的に感じられ、悩みを深めながら夢洲の会場を後にした。
文/井出明