「明日を回避したかった」…2度のオーバードーズ、3回のひきこもりを経た46歳女性が絶望の底を突いて見えた“自分のリカバリー”
「明日を回避したかった」…2度のオーバードーズ、3回のひきこもりを経た46歳女性が絶望の底を突いて見えた“自分のリカバリー”

スポーツ少女だった石丸あゆらさん(46)は3回ひきこもったことがある。理学療法士の学校に進んだが中退。

パティシエになる夢にも挫折して、ひきこもった。抗うつ剤で躁転し、自転車で有料道路を爆走し大ケガを負う。双極症と診断され、自室で薬を大量に飲んで死にかけたことも……。それでも、働くことをあきらめなかった彼女の人生を追う――。(前後編の後編) 

〈前編〉

「死んだら死んだでいいやと」

1回目のひきこもりを脱した石丸あゆらさん(46)は、調理師の資格を生かして4年ほどパートで働いた。だが、手取りは10万円弱。親の扶養に入ったまま自立していないことが後ろめたくて、フルタイムで学校給食の調理の仕事に就いた。31歳のときだ。

見よう見まねで必死に仕事をこなしたが、わからないことを周りの人に聞くのが苦手で、なかなか仕事に慣れない。2年目の夏休みに入ったら、張り詰めていた糸がプツッと切れてしまった。

仕事始めの日。石丸さんは2度目のオーバードーズをしてしまう――。

その当時、石丸さんには恋人がいた。

ひきこもった過去や双極症(うつ状態と躁状態をくり返す病気)を患っていることを知った上で付き合ってくれた穏やかで頼りになる人だった。仕事が辛くて結婚して辞めたかったのだが、彼に「今は結婚を考えられない」と別れを切り出されてしまう。彼との別れがショックで薬を飲んだのかと聞くと、石丸さんは否定する。

「結婚に関しては彼に依存的な状態だったんだと思います。別れようと言われたとき、結婚という円満に仕事を辞められる方法を失ったのが一番ショックでした。とりあえず、明日を回避したくてオーバードーズしたんです。仕事を辞める方法なんて、いくらでもあるのに、視野が狭くなっていて、死んだら死んだでいいやと」

飲んだ薬の量がそれほど多くなかったので大事には至らなかったが、石丸さんは再び、家にひきこもってしまった。

 一生食べていける仕事が見つからない

2回目のひきこもりは1年半に及んだ。食べることでストレスを解消していたら太ってきたので、ダイエットサイトをのぞくのが日課になった。

「舞茸と白滝を細かく刻んでご飯に混ぜて食べたり、1日中、ダイエットのことだけ考えていました。ダイエットガチ勢になると、サイトの中でも一目置かれるようになって。交流を続けていたら、自分は美容や健康が好きなんだなと気が付いたんです」

その当時、流行っていたのがリンパマッサージだ。理学療法士の学校で学んだことが活かせる部分もあって興味を持ち、研修を受けてリンパマッサージ店に就職した。

「初めて本当にやりたい仕事に出会った」と感じて、充実感もあり楽しく働けたという。店長を任されるまでになったが、結局、4年弱で退職した。

「店長になると売り上げノルマのプレッシャーがあって……。それに指の力を使うし体力が必要な仕事だから、体がしんどくなってきたんです。夜10時に終わって、お店を片付けて終電に乗って帰って来ると、疲れ切って動けなくて」

次の仕事の当てもないまま辞めてしまったので、職業訓練に通いパソコンの勉強をした。だが、やりたい仕事が見つからない。

「事務職を希望しても、39歳の未経験者を採用するわけない。じゃあ、一生食べていける仕事って何があるんだろうと悩みだしたら、落ち込んでしまって……。就職活動って、自分を売り込まなきゃいけないけど、私には売り込む要素がない。

社会不適合者じゃないけど、職歴は穴あきで、『この間何していましたか』と突っ込まれたら嫌なところだらけで。親にもいつまでも頼れないし、人生で初めて食欲をなくす状態になって……。またひきこもってしまったんです」

絶望して落ちるところまで落ちたから上がれた

食べられなくなるほどのひどい落ち込みから脱することができたのは半年後だ。理由を聞くと、石丸さんは少し考えこんだ。

「絶望まで行ったからですかね。落ちる途中でもがいて上がるのはパワーがいるけど、落ちるところまで落ちたので、底をちょっとトンと突いて、上がれた気がします。

あとは“あきらめと手放し”ですね。主治医に障害者手帳の取得もできると言われて、ある意味一般就労をあきらめた。障害者雇用を視野に入れて、就労移行支援事業所に行ったことも大きかったですね」

就労移行支援事業所ではさまざまなプログラムを受講した。そこで学んだことや出会った人たちのおかげで、自分が抱える双極症に向き合うことができたのだという。

「うつがテーマの映画や本にもすごく拒否感がありましたし、自分は怠けているとか心が弱いと人から思われているんじゃないか。ずっとそう感じていたのですが、それは自分の中にうつ病患者に対する偏見があるからなんだと気が付いたんです。

就労移行支援では、『自分にはこういう症状があって、どういう配慮をしてもらったら働けます』と説明しなきゃいけなくて、初めて自分の病気について勉強したんです。それで、うつ病は脳の病気なんだとわかったんですよ」

双極症になりやすい気質というのもあり、石丸さんも当てはまる部分があるそうだ。だが、その気質を持つ人が全員発症するわけではない。他にも何か、発症を誘発する要因があったのだろうか。

「正しいのかわかりませんが、極限まで運動をしていたせいか、私はストレスがあまり体に出ないんですよ。疲れたなと感じても踏ん張りがきいたし、体に出ないから無理できちゃった。一度始めたらやり通すべきという固定観念もあったので、知らないうちに限界を超えてしまったのかもしれないですね」

目指すのは、ひきこもり就労ピアサポーター 

40歳のとき、「起業しよう」と決めて開業届を出した。就労移行支援のプログラムで、仕事をしていて何にストレスを感じるか考えた際、「わからないのに聞けない」「自分で判断できない」ことがストレスだとわかり、「じゃあ、自分でやればいい!」と思ったからだ。

考えている事業は3つある。1つは物販事業だ。物販用のハンドメイド商品を作るためクラウドファンディングで資金を募ると100万円以上集まった。

物販事業で基盤を作り、ギフトショップを併設したカフェを作ることが2つ目だ。調子のいいときはカフェで接客を担当、調子が悪いときは物販用の商品を作ったり、ネットショップの管理をしてもらうなど、体調に合わせて仕事を選択できるような環境作りを目指している。

「ひきこもり自体は病気でも障害でもないので、ちょっとした工夫で働き続けられる方法はないかなと」

当初は、子ども食堂をやりたいと考えていた。実現に向けて学童保育で働いたり、社会人スクールで学んだりしたが、途中で「過去の経験を生かす方がしっくりくる」と感じて、方向転換したのだ。

生活費を稼ぐため、週3~4回アルバイト。

物販事業の準備を進めつつ、WRAP(元気回復行動プラン)というワークショップも開催している。精神的な困難を抱える人が自分で回復を促すためのセルフヘルプツールで、千葉市のひきこもりサポート事業の認定を受けて補助金を得て、昨年は26回開催した。

「ひきこもりだけでなく、生きづらさを感じている方なら誰でも参加できます。補助金は会場費でほぼ消えるので、採算はまったく取れていませんが(笑)、これが3つ目のメンタルヘルスケア事業です。“自分の機嫌を自分で取る方法“を考えるテーマトーク会として、カフェを開業しても続けていく予定です。

人のためとか大それたことじゃなくて、自分の人生に無駄はなかったと証明したいというか、これを進めていくことが私自身のリカバリーにもなるので、自分のためにやっている感じですね」

だが、起業したいと思っても、そう簡単にできるものではない。「すごい行動力ですね」と感心すると、石丸さんは「『自分でやろう!』と決めたときは軽躁(軽い躁状態)の力を借りたかな」と屈託なく笑う。

病気の特性を理解し、強みに変えたわけだ。

〈前編はこちら『有料道路を自転車で爆走した過去…スポーツ少女だった女性はなぜ“3度のひきこもり”になったのか』〉

取材・文/萩原絹代

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