
MLBの大谷翔平選手が、なぜ最初にロサンゼルス・エンゼルスを選び、その後ロサンゼルス・ドジャースに移籍したのか。この疑問の背景には、アメリカにおける2つの「ロサンゼルス」球団の全く異なる個性と、地域住民の意識が深く関わっている。
ロサンゼルス・エンゼルスはロサンゼルスのチームではない
大谷翔平がロサンゼルス・エンゼルスに入団したのは2017年のオフ(12月)です。第1章でも書きましたが、当時私はロスにいながら大谷についてはノーマークでした。
そもそも個人の趣味として野球観戦が好きなわけではないですし、マーケターとしても、今は野茂英雄やイチローのように日本人選手が珍しい時代でもないので、新しい日本人メジャーリーガーという存在にそこまで価値を覚えなかったからです。
そしてもう一つ大谷をマークしなかった理由として、彼が最初に選んだのがエンゼルスだったから、というのもありました。というのも、ロサンゼルス・エンゼルスは私の地元、ロサンゼルスのチームではないからです。この辺りの事情は、日本にいらっしゃる方にはわかりにくいかもしれません。
さて、「ロサンゼルス・エンゼルスはロスと名前がついているのに、なぜロサンゼルスのチームではないの?」と不思議に思った人もいるでしょう。簡単に言うと、東京ディズニーランドが千葉にあるのに東京を名乗っているようなものなのです。
ご存じのようにロサンゼルスという地名がつくチームはMLBに2球団あります。一つは現在大谷ほか、佐々木朗希、山本由伸が所属しているドジャースです。
大谷と並んでMVPトリオと言われるムーキー・ベッツ、フレディ・フリーマンという野手のほか、〝レジェンド左腕〟こと投手クレイトン・カーショウなどスター選手が揃っています。
ドジャースとエンゼルスの全く違うファンベース
そしてドジャースには過去にも多くの日本人選手が在籍してきました。野茂英雄、石井一久、そして前田健太などトップ選手がその全盛期を過ごしたのがドジャースです。
ドジャースは世界的にも知名度が高く、とくに野茂がパイオニアとして日本人メジャーリーガーの道を切り開いたチームでもあり、日本人にとってももともと馴染みのある球団かと思います。
そしてロサンゼルスを冠するもう一つのチームが、大谷が2023年まで所属していたエンゼルスです。大谷が活躍する前、日本人選手では1997年に長谷川滋利がオリックスから移籍し、その後は松井秀喜も所属しました。
2つのチームはいずれもロスをチーム名に使っていますが、共通点といえばそれくらいで、逆に言えば全く違う個性を持つチームです。
例えば、エンゼルスが本拠地にしている「エンゼル・スタジアム・オブ・アナハイム」は、ドジャースの「ドジャー・スタジアム」とは違ってファミリー向けの球場として知られています。
日曜の試合のあとは子供がフィールドに降りられたり、試合がない日は子供は10ドル(1450円)でスタジアムツアーに参加できたりと、チームの雰囲気からして違うのです。家族とお手頃なエンターテイメントとして行くなら断然エンゼルスです。
アナハイムをロス扱いすると、怒る人はいる
そして根本的なことを申し上げると、エンゼルスの本拠地はカリフォルニア州のオレンジ郡アナハイム市です。ロス近郊であるのは間違いないのですが、正確にはロサンゼルスではありません。
そして神戸と京都の人たちが大阪と一緒にされると気分を害するように、アナハイムの人たちもロサンゼルスと一緒にされるのを嫌います。ロサンゼルス在住二十余年の地元民の私としても「アナハイムの方々はロスの人ではない」という認識ですし、アナハイムの方々も同じことを思っているでしょう。
ロサンゼルスがバリバリの都会でアメリカのセレブが集まり、常に流行がアップデートされるような最先端の街であれば、アナハイムがあるオレンジ郡はもっと新興ファミリー層がゆったりと南カリフォルニアの温暖な気候を楽しむ街です。
ではなぜエンゼルスはオレンジ郡にありながら、ロサンゼルスと名乗っているのでしょう。それにはチームの歴史が関わってきます。
エンゼルスが本当にロスにあった時代
エンゼルスが誕生したのは1961年、俳優・歌手のジーン・オートリーがオーナーとなり設立されました。オートリーと言えばカントリーミュージックの先駆者で「歌うカウボーイ」という異名を持っていました。オートリーは俳優業などを引退した後、球団を設立したのです。
当時から今と同じロサンゼルス・エンゼルスという名前でしたが、設立時の本拠地はちゃんとロサンゼルスでした。しかし、既に人気球団だったドジャースからうまく客を奪い取ることができず、1966年にはアナハイムに本拠地を移し、名前をカリフォルニア・エンゼルスに改称します。
アナハイムには1955年にカリフォルニア・ディズニーランドが開園しており、その影響で多くの観光客が訪れる街になっていました。
その後、1997年にウォルト・ディズニー社が経営に参加しました。そして名前をアナハイム・エンゼルスに変えました。これには様々な理由があると言われています。一つはディズニー社はディズニーランドがあるアナハイムという地名の認知度向上を図ったということ。
またもう一つ、地域密着型のチームを目指すという意味でアナハイムという地名を選んだとも言います。ちなみにこのころディズニー社はスポーツ球団の経営に積極的で、NHL(アイスホッケー)では「マイティダックス・オブ・アナハイム」(アナハイム・マイティダックス)を1992年に設立していました(後に売却)。
一歩も動いてないのに、名前が変わりまくる
2003年には現オーナーのアルテューロ・モレノにエンゼルスの経営が移り、2年後にはより多くのファンを取り込みたいというマーケティングの観点から、名称を「ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム」に変更しました。より知名度の高い都市名を使ったのです。
しかし、このモレノの決定にアナハイム市が憤怒し、なんと訴訟にまで発展しました。このような紆余曲折を経て、2016年に今の「ロサンゼルス・エンゼルス」というチーム名になりました。
エンゼルスは、本拠地は変わっていないのにカリフォルニア→アナハイム→ロサンゼルスと10年間で2回も名前を変えた「落ち着きのない」チームでもあります。
球団経営は基本的には地域密着で進められるため、本拠地を変えることは相当な反発を地域から受けます。球団としてもできればしたくはないことでしょう。そんな中でエンゼルスが本拠地こそ変えていないものの、名前を頻繁に変えなくてはいけなかった事情を考えると、球団経営の難しさが想像できます。
大谷がいても観客動員数は減り続けた
モレノの名称変更もなかなか「成功した」とは言いづらく、エンゼルスがプレーオフの常連だった2000年代をピークに球場来場者数は下降傾向にあります。2006年が340万人だったのに対して、大谷のエンゼルス最後の年となった2023年は260万人ほどでした。
そしてロス在住者からしてみると、大変失礼ながらエンゼルスというチームは「へなちょこ」のイメージがあります。
とはいえ、そんなエンゼルスだからこそ、大谷はエンゼルスをMLBでのファーストキャリアに選んだのかもしれません。
大谷はエンゼルスに入団する前から、ドジャースから熱烈なオファーを受けていたと報じられています。高校時代からドジャースの日本担当スカウトは彼を追いかけ、熱意を伝えていたそうで、その後北海道日本ハムファイターズからメジャーに挑戦する際もドジャースは大谷獲得を目指しました。
それでも大谷がエンゼルスに移籍した理由の一つは、ベーブ・ルース以来となる「二刀流」の挑戦をしやすい環境がエンゼルスにはあったからです。つまりエンゼルスは強豪選手があまりいない弱いチームだからこそ、活躍の場を他の選手と奪い合うことなく、投手としても打者としても活躍できる環境だと計算してエンゼルスに行ったというのです。
チームが変わっただけでここまで扱いが変わるとは…
実際、ドジャースに移籍以降の大谷は、肘の怪我の影響から投手をお休みし、打者に専念しています(2025年4月現在)。ファンからは大谷の投手復帰を待ち望む声があがる一方で、現在のドジャースは超強力な投手陣を有していますから、ドジャースでは大谷が投手をしなくても大丈夫な状況です。
今やMLBのスターとなった大谷ですが、チームが変わっただけでここまで扱いが変わるのもなんだか不思議ですね。
文/岩瀬昌美
大谷マーケティング 大谷翔平はなぜ世界的現象になったのか?
岩瀬 昌美
野球界と広告界、2つの世界を制覇した大谷翔平の秘密に迫る
大谷翔平のメジャーリーグでの活躍は毎日のようにニュースになり、多くの史上初記録を生み出しています。しかし、大谷の本当のすごさは野球界のみならず、広告界も制覇したことにあります。大谷は年俸を超える年間100億円もの広告を獲得し、今や日本では彼の広告を見ない日はなくなりました。そしてアメリカでも大谷翔平は社会現象となりつつあります。一体なぜ大谷は前代未聞の世界的熱狂を巻き起こしたのか、その背景にはいかなるマーケティング戦略があったのか――アメリカでマーケティングに携わる著者が、実体験を交えながら考察します。
*以下、本書目次より抜粋
まえがき ロサンゼルス在住マーケターから見た大谷翔平
第1章 誰が大谷翔平に熱狂しているのか
第2章 大谷はエンゼルスに何をもたらしたのか
第3章 エンゼル・スタジアムを彩った広告たち
第4章 ドジャース移籍で大谷のバリューはどれだけ上がった?
第5章 大谷翔平広告の批判
第6章 大谷翔平から見るアメリカ経済
第7章 大谷翔平をマーケティングで活かす方法
あとがき