減税とは愛国そのものだ!「国イコール政府」という勘違い  "高い税金は社会の発展を妨げる"  政府批判は「日本嫌い」なのか
減税とは愛国そのものだ!「国イコール政府」という勘違い

参院選で減税を頑なに否定し、現金給付で誤魔化そうとして大敗を喫した石破首相と自民党。税金は人々の生活を支える重要な役割を果たす一方で、家庭や企業の負担にも直結している。

経済誌プレジデント元編集長で作家の小倉健一氏は「小さな政府と大きな政府の議論が繰り返される中、減税が経済に与える影響について改めて考える必要がある」と語る。「国イコール政府」という誤った認識が、国民の声を封じ込めている現状に小倉氏は警鐘を鳴らす。本稿では、小倉氏が具体的なデータと歴史的視点に基づき、「減税こそ愛国である」と主張する真意を解説。高い税金が社会の発展を妨げ、国民の活力を奪うメカニズムを解き明かし、日本の経済にとっての可能性を探るーー。本稿は小倉健一、土井健太郎、キヌヨ共著『図解 「減税のきほん」新しい日本のスタンダード』(ブックフォース)からの抜粋(一部編集)に、最新の動向を加筆したものです。 

政府への批判を「日本を嫌いな行動」だと決めつけ 

減税を求める発言をすると、政府に不満があるなら日本を出ていけと言われることがある。このような言葉を聞くと、国民として、国の発展を願う愛国者として納得できない気持ちになる。

政治家は、国民が税金の負担で苦しまないよう努力するべきであり、国民も政府の奴隷ではないのだから、税金を納めている政府に意見を言うのは当然のことだ。国民には、「税金を払っているのだから、もっと良いサービスを受けさせてほしい」と言う権利がある。

また、「増税するくらいなら、最初から税金を減らしてほしい」と言う権利も持っている。減税を求める意見は、後者の権利を使うことだ。

X(旧Twitter)では、「政府に文句を言うなら日本から出ていけ」といった極端な意見を書く人が一定数見られる。こういう人たちには、いくつかの共通した特徴がある。

 

まず、ナショナリズム、つまり自分の国を特別に守りたいという気持ちが強いことだ。ただし、これは単純な愛国心とは少し違い、特定の政治的な意見を守ろうとするものだ。 

次に、政府を批判する意見を受け入れない傾向がある。政府への批判を「日本を嫌いな行動」だと決めつけてしまう考え方だ。そして、物事を単純に考える癖がある。 

「政府を批判するなら出ていけ」 

例えば、「政府を批判するなら出ていけ」といった、極端で簡単な意見を言ってしまう。さらに、意見の違いを許さない姿勢がある。自分と違う意見を持つ人を敵だと考え、話し合いを避けようとする。

最後に、愛国心に基づいた意見が目立ちやすく、それに反対する意見が攻撃されることもある。このような雰囲気の中で、減税を求める国民の声がかき消されてしまう場面もある。

こうした「国を愛すること」と「行政を批判すること」とは全く違うのだが、埼玉県本庄市のホームページには、「市長メッセージ」として、下記の文面< 「国」イコール「政府」ではない>が掲載されており、行政と国とは違う点がわかりやすく述べられている。

<今日は、以前から私自身が気になっていたことについてお話します。テレビやラジオのニュースでよく耳にするのですが、政府の動きに関する報道を聞いていると、本来は「政府が」というべきところを「国が」と言っていることがあります。

特にネガティブな報道内容の時に多く聞こえるのは私の思い過ごしでしょうか。例えば、「国が押し付けた」とか「国が一方的に決めた」とか「国の責任」とか。みなさんも注意して聞いていれば分かると思います。

本来この言い回しは「政府が押し付けた」、「政府が一方的に決めた」、「政府の責任」と報道されるべきところを、あまりに「国が」「国が」の連発で、聞いていて私自身、違和感を覚えます>

政府批判の際に用いるべき言葉では、本来ない

<本来「国」とは、国土の自然環境から風土、伝統文化や歴史、そして多くの先人の積み重ねの上に成り立ってきた我々の社会の総体を示す言葉として使われるべきであり、我々が不断の努力を重ねてより良くして行くべき、我々の故郷であり母国また祖国、そのものを指す言葉であるはずです。政府批判の際に用いるべき言葉では、本来ないはずです>

< 一方、どうやら政府の側にも「国が」と言いたがる傾向が昔から強いことも事実であります。「国と地方との協議の場」などと平気で使っています。

本来は「政府と地方自治体との協議の場」と言うべきです。確かに国家行政は日本政府が代表しています。ですが、だからといって政府の立場の説明において、あまり「国は」、「国としては」と言われると、何となく「今の政府が過去現在未来の日本の全てを代表しているかのような物言いはやめなよ」と感じるのは私だけではないと思います。

「国といたしましては」という政府答弁はよく国会でも聞かれますが、「政府といたしましては」と丁寧に言い換えるべきなんではないか、そう思います>

愛国心とは、政府の立場に立つことではない 

<これらの言葉、特に「国」という言葉については、一方でネガティブに使おうとする偏った意図に、騙されず、また一方で、国、県、市といった言葉を政治や行政を司る我々が使うときは、そこには一種の謙虚さがあるべきではないか。以前からこのような事を感じていましたが、今日を機会として、みなさんにお伝えした次第です>

全くその通りである。愛国心とは、政府の立場に立つことではなく、国民一人ひとりの側に立つことを意味する。国民の生活を豊かにし、経済的な負担を軽くすることは、国の土台を強くし、国民の幸せを高めることにつながる。

減税は、国民が経済活動に積極的に参加し、国内での消費が増えることで、結果的に国全体の経済を元気にさせる可能性がある。

国民が安心して生活し、未来に希望を持てる社会を築くことは、国の本当の発展には欠かせない。

この考え方から見ると、減税を求める声は、国民の生活を良くしたいと願い、国の繁栄を望む、まさに愛国心から来る行動だと言える。

国民は、自分たちで国民の側に立ち、堂々と反論していくべきだ。これは、国民が自分たちの生活と国の未来を真剣に考えている証拠でもある。

 行政の大きな課題は「税金の使い方」 

ひるがえって、私が愛する日本における行政の大きな課題は「税金の使い方」である。

年金は若い世代ほど損をする仕組みであり、子育て支援も効果を上げていない。役所の無駄遣いや天下りなど、税金が正しく使われていない例が多い。

日本国憲法は「国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負う」とあるが、前文には「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」(政治の力は国民から来ており、国民の幸せのために使うべきもの)としている。

税金は払う必要があるが、その目的は「国民の生命と財産を守ること」なのである。

この問題を解決するには、税金のルールを定める必要がある。税金の上限を決めたり、使い道を明確にすることが重要である。

都道府県や市町村に権限を与え、地域ごとに工夫できるようにすることも良い方法である。増税して行政を拡大する自治体と、減税して民間活力を生かす自治体が競争できる状況を作るべきなのだ。

様々な実証研究で「減税が答え」だと示しているが、日本の中央政府は地方の競争を妨げている。

本当の愛国心とは

イスラムの学者イブン・ハルドゥーンは「税金が低いと人々は元気になり、文化も発展する」と述べた。高い税金は人々の暮らしを苦しくするだけでなく、社会の発展を妨げるものである。

税金は政府のものではない。国民が働いて得たお金を預かっているものである。政府は税金を国民のために正しく使う義務を負う。高い税金を取り、無駄遣いを続ける政府にお金を預ける必要はない。

政府や行政組織ではなく、日本国民と日本社会を発展させる。そのために必要なことをし、阻害するものを批判する。これが本当の愛国心であろう。

文/小倉健一

図解 「減税のきほん」新しい日本のスタンダード

小倉健一 , キヌヨ , 土井健太郎
減税とは愛国そのものだ!「国イコール政府」という勘違い  "高い税金は社会の発展を妨げる"  政府批判は「日本嫌い」なのか
図解 「減税のきほん」新しい日本のスタンダード
2025/6/301200円(税込)163ページISBN: 978-4991335617『図解 減税のきほん』は、減税に関する複雑な議論をわかりやすく解説した画期的な一冊です。 減税が社会に与える影響について、「サービスの低下」や「格差拡大」といった一般的な懸念に対し、実際のデータや過去の事例を基に、客観的な分析を提供します。 ドイツの事例や日本での経験を通じて、減税が経済活動や社会サービスに与える影響を詳細に検証。
図解やイラストを効果的に活用し、専門的な経済理論や「ブランシャールらの実証分析」などの研究成果を、一般読者にも理解しやすい形で紹介しています。 政府の規模と社会の関係性、税制が経済に与える影響など、現代社会における重要なテーマを、データに基づいて丁寧に解説。 経済政策に関心を持つ方から、社会問題を深く理解したい方まで、幅広い読者におすすめの一冊です。
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