「『あの頃のあんたたち嫌いだった』って今でも芸人仲間に言われます」タイムマシーン3号・山本が明かす“大衆迎合”と揶揄され葛藤した不遇時代
「『あの頃のあんたたち嫌いだった』って今でも芸人仲間に言われます」タイムマシーン3号・山本が明かす“大衆迎合”と揶揄され葛藤した不遇時代

すっかりお茶の間に定着したタイムマシーン3号だが、その道のりは決して平坦なものではなかった。大衆ウケと玄人ウケ、その潮流に翻弄された25年のお笑いキャリアを、山本浩司が振り返る。

(全3回の2回目)

芸人が芸人を審査する時代の壁

――2000年結成のタイムマシーン3号は、若手時代の2003年ごろから「爆笑オンエアバトル」(オンバト)に登場。その圧倒的なオンエア率から、同期のオードリーやナイツより先にネタで注目を集めました。

山本浩司(以下、同)
 僕らはお客さんにウケたいと思ってスタートして、そういうネタをつくってたからそれがオンバトにハマったのかもしれません。ナイスミドル時代のオードリーもナイツも無名だったなかで、僕らのほうが世に出るのは早かったんですよね。

だから、「俺らいけんじゃね?」って気持ちは正直ありました。

ところが、松本(人志)さんや(島田)紳助さんといった芸人が芸人に点数をつけるというシステムのM-1(グランプリ)が盛り上がって、お笑いがお客さん主体から芸人主体になっていったんです。

――オンバトで注目されて鳴り物入りで挑んだ2005年のM-1決勝では7位と奮いませんでした。

やってることはオンバトと変わらなかったんですけどね。環境が変わっていたから同じことをやっても見え方が変わっちゃってたんです。

逆にその年に優勝したブラマヨ(ブラックマヨネーズ)さんや翌年の優勝したチュートリアルさんだったり、M-1の常連になっていた笑い飯さんや千鳥さんたちはそれまで玄人向けと言われてて、オンバトに落ちていた。

そういう人たちが主流になってくると、オンバトで輝いてた僕たちって“軽い笑い”だったんじゃないかって思うようになっていくんです。

自分たちはウケたいと思ってネタをつくってるけど、彼らは自分たちが本当に面白いと思うことをやって、ドンドン上に行ってると。

――玄人ウケ路線に切り替えることはしなかったんですか?

当時はアップフロント(ハロー!プロジェクトのアイドルが多く所属する芸能事務所)系に所属していたから劇場もなくて、アイドルのファンクラブやリリースイベントのMC仕事も多くて。



だから処世術として我を出さず女のコたちを活かして、目の前にいるお客さんを笑せることが大事で、芸人を笑わせようなんて発想すらなかったんですよ。別にそういう仕事がイヤでもなかったですし。

それが当時、自分たちの笑いをやってる芸人からはおもしろく映らなかったんでしょうね。芸人仲間から「あの頃のあんたたち嫌いだったわ」って今でもよく言われます(笑)。

YouTubeの好調はオンバト時代と一緒

――2013年から芸人が多く所属する太田プロに移籍。そして、2015年のM-1では決勝4位となりました。これは“ウケること”より“面白いこと”を意識した結果ですか?

いえ、それも環境が変わっただけで僕らがやってることは変わりません。2008年のM-1でノンスタイルが優勝したあたりからまた潮流が変わってきたんです。

――ノンスタイルはタイムマシーン3号の同期で、同じくオンバトでも活躍していました。

審査員の方々が少しお客さんに寄り始めたというか、世の中が黒く淀んだ笑いから、わかりやすい笑いを求め始めたんだと思います。鬱屈としたコンプレックスを笑いに変えるものよりも、ポジティブな笑いを好むようになったといいますか。

自分で言うのもなんですけど、2015年のM-1準決勝はうちがイチウケくらい会場が爆発してましたし。

――そしてネタだけでなく、近年ではバラエティでも引っ張りだこ。

ブレイクを果たしました。

いやいや、僕らなんてM-1で優勝してドーンって輝かしくブレイクしたというよりも、ちっちゃいロケットをずっと打ってる感じで、なんとなく出続けてるだけです。

それで気づいたら、有吉(弘行)さんや千鳥さんとか、誰かの横にいるって程度でしょ。だから今のポジションに納得してないんです(笑)。

――そうは言いつつタイムマシーン3号のYouTubeチャンネルの登録者数は100万人超。これは超人気芸人の仲間入りなのでは。

これも時代なんですよ。あの頃のオンバトと一緒で、当時大衆ウケしたものが回り回って20年後にYouTubeで同じことが起こってるだけなんです。

――大衆を相手にするという意味では一緒だと。

だから、2000年代中盤あたりのブラマヨさん、笑い飯さん、千鳥さん、麒麟さんとか「baseよしもと」っていう劇場でゴリゴリのセンスを出してた方々が活躍してた時期が異質で、大衆にウケることが最初から正義だったんじゃないかって最近思うようになりました。

あの頃はネタが先端を行き過ぎててヤリすぎだったんじゃないかって。

――ある種、信念を持って同じことをやり続けていたら、時代が戻ってきた。



まぁ、2005年のM-1で審査員のリーダー(渡辺正行)から「デブネタ一本でいくのは……」と指摘されて、いろいろ悩んで迷走した時期もありました。だから「一貫してた」というよりは僕らも「一周して戻ってきた」って感じですね。

僕らは“カメレオン芸人”

――それでも現在のポジションに納得していないという山本さん。今後の野望は?

やってほしいことをやり続けたいです。

――といいますと?

めっちゃカッコつけた言い方をすると、僕たちって“カメレオン芸人”だと思うんです。

アイドル番組でMCをやることもあれば、ロケやドッキリでギャーギャー言いながら体を張ることもある。そうかと思えば、関はパパタレントみたいなことをやるし、僕も恋愛について対談することもあったりと、あらゆる仕事をしてる。

前までは軸がないことがめちゃくちゃコンプレックスだったんですけど、むしろこれが自分たちの強みなのでは、と。

――制作サイドからは重宝されそうです。

多様性に溢れる番組づくりが多いなか、最前線にいない芸人ならではの生きる道ですよね。

千鳥さんとかは冠を背負って常に面白い企画を求められるけど、僕らは自分たちで企画することはなくて、仕事の99%が番組コンセプトに沿って動くこと。

だから、これからも求められ続ける芸人でいたいと思います。

――我を出さないのはアップフロント時代からある意味変わってない。それもそれでカッコイイ芸人の生き様ですね。

でも、軸がないのには違いないので、言い方を変えれば“骨なし芸人”なんですが……(苦笑)。

#3ではお金も知名度もあるのになぜか結婚しない山本さんのこじらせ結婚観を伺います。

#3へつづく

取材・文/武松佑季
撮影/是永日和

編集部おすすめ