
十両在位約3年、平幕と十両を2度も往復した末、26歳で横綱に昇進した叩き上げの力士・千代の富士。歴代3位となる通算31回の幕内最高優勝を果たし、通算1045勝、脅威の53連勝など、小兵ながら数々の記録を打ち立てた昭和の大横綱は、なぜ多くの力士が衰える30代で全盛期を迎えることができたのか。
『ビジネスに効く相撲論』より一部抜粋・再構成してお届けする。
叩き上げた力士から学ぶ「最後に勝つ力」
革新的な技術や商品を世に輩出した企業や起業家は、早くして成功することも少なくありません。
成功者は若くても先鋭的なものを生み出せますし、その価値を伝えることもできます。そして何より、それを応援してくれる人にも恵まれます。SNSが普及するずっと前から、それは変わりません。
大相撲の世界もデータで見ると、横綱そして大関は、たとえ「遅咲き」であっても20歳前後で十両までに昇進しているケースがおもです。
才能ある力士は、その片鱗をキャリア早期から見せているものです。
しかし、成功者がすべて若くして世に出てきて、順風満帆にキャリアを重ねているのかというと決してそうではありません。時代と共に〝勝てる戦い方〟は変わるものです。
実際に、数年前までは業界のトップにいた人間が、時代の変化に追いつけずその地位を降ろされる、というニュースが後を絶ちません。
いつまでも過去の成功体験や、やり方にすがっていてはいけないのです。
千代の富士は、26歳で横綱に昇進した後もその成長を止めず、多くの力士が衰える30代で全盛期を迎えた異色の存在でした。
横綱クラスの力士なら2場所で通過することもある地位で足踏みしたのは、彼が壁にぶつかっていたからです。
千代の富士は幕内に入る前からアスリートとしての素質が高かったものの、体重は100㎏未満と小兵なほうでした。
近年では、自分より1.5倍重い相手への勝率は大きく下がるというデータもあります。当時の平均体重を考えると、彼の体格ではかなり不利な環境だったことがわかります。
さらに、当時の千代の富士は投げ技中心の強引なスタイルで、肩の脱臼を繰り返し、たびたび休場。
休場は番付を下げるだけでなく、治療から稽古復帰まで1からやり直しになるため、積み上げたものが何度もリセットされるリスクを抱えていました。
ルックスやスケールの大きさは光っていたものの、細身でケガが多い。そんな千代の富士は、まだ「個性派力士」の枠に留まっていたのです。
中堅になってもなお、成長を止めないためには
千代の富士はこの時点でスキルと経験の限界に差しかかりましたが、ここから自身の相撲内容と脱臼グセに向き合います。
有名なエピソードですが、脱臼グセを克服するために千代の富士は当時まだ珍しかった筋力トレーニングを取り入れて肩の周りの筋肉を強化しました。
千代の富士といえば力士とは思えないような筋骨隆々(きんこつりゆうりゆう)なあの体型を思い浮かべる方も多いと思いますが、彼は1日1000回もの腕立て伏せと筋トレを行いました。
それは壮絶なもので、部屋の畳を4ヶ月に一度取り替えなければならないほどだったと報じられています。
相手を引っ張り込んでの強引な投げではなく、前まわしを引きつけて頭をつける、私たちが知っている強い千代の富士のスタイルに変更したのです。
1981年に初優勝を飾ったときの相撲もまさにこの形でした。
北の湖に頭をつけて素早く攻め、上手投げで仕留めたあの一番は、大相撲の名場面として今でも映像がたびたび紹介されます。この取組の視聴率は52.2%を記録し、相撲中継としては現在でも歴代最高の視聴率となっています。
その後は北の湖からバトンタッチを受け、一人横綱時代を経て35歳まで大相撲の第一人者として息の長い活躍を見せ続けました。脱臼グセは引退まで続きましたが、引退の1年以内に優勝も経験した本当に強い横綱でした。
優勝回数歴代3位の31回が、何よりもその強さを物語っています。
千代の富士のように素晴らしい才能を持っていても、どこか弱点があるとなかなか勝つことができないのは、体重制限のない大相撲の厳しさだと思います。
しかし千代の富士は二つの限界に真摯に向き合い、克服するための道を模索し、答えのないところに答えを導き出しました。これほどの小兵で、いわゆる横綱相撲とは異なるスタイルで一時代を築いた力士は千代の富士以外に存在しません。
持つ者だけが成功するわけではないということを、千代の富士は私たちに教えてくれました。
足りない部分があっても、自分の武器と苦手を克服するための方法にたどりつけば成功することも夢じゃないのです。
最後に勝てるビジネスパーソンになるために
一方でその道が過酷であることも事実です。
答えを教えてくれる人が誰もいない中、自分で考え、道なきところに道を作る。それが誤った道になることだってあり得ますし、角界は保守的な世界なので人と異なることをすると親方やファン、解説者から批判を受けることだって考えられます。
それでも挑戦し続けることで、「最後に勝つ人」になれるのです。
若い社長やキャリア組は限られています。席が空かない中でも試行錯誤を繰り返し、ようやく巡ってきたチャンスをものにして上がっていくしかありません。
チャンスが訪れるそのときまで諦めない粘り強さと、自分の強みを分析する客観的な目線を持つことが求められます。天才ではない以上、誰もが平等に苦労しなければならないという現実を受け入れていくべきです。
持たざる者にとって、成功への道が決して平坦ではないことを胸に刻み、日々精進していきましょう。
文/西尾克洋 写真/shutterstock
『ビジネスに効く相撲論』(三笠書房)
西尾克洋
土俵で起きていることは、あなたの職場でも起きている。
プレッシャーにどう立ち向かうか。
仲間とどう高め合うか。
自分の力をどう出し切るか。
そのヒントは、意外にも“大相撲”にあった!
【戦い方】相撲も仕事も攻めて勝て
【育て方】才能を伸ばす部屋、ダメにする部屋
【決断】横綱はいつ、引き際を決めるのか?
【組織】親方、部屋制度、番付……日本型組織に学ぶリーダー論
相撲ファンから熱い支持を受ける現役会社員兼相撲ライターが、
名勝負や力士たちの言葉を引きながら、
現代ビジネスに効く“勝ち方”を読み解く。
~目次~
第1章 なぜ、相撲がビジネスに“効く”のか
相撲にはビジネスのすべてが詰まっている
相撲を知ると〝勝負の鉄則〟が見えてくる
日本の歴史と教養が身につく
新人、ベテラン、外国人、巨漢、細身──そこにヒューマンドラマがある
第2章 力士から学ぶ「戦い方」
ビジネスの場を「土俵」と思え
人の褌(ふんどし)で相撲を取るな
「勝ち越し」という勝利の概念
一つの技術を磨き続ける力士もいる
番狂わせはどういうときに起きるのか
勝負の場では「本当の自分」が出る ではどうするか?
個性が集まる(株)大相撲でオンリーワンプレイヤーになれ
不調のときは自分を見つめ直すチャンス
どうしても戦わなくてはいけないときは
第3章 相撲部屋という「育て方」
強い弟子を育てる親方の指導方法
スピード出世の危険さ
将来強くなる力士は先輩力士の〝ここ〟を見る
女将(おかみ)さんに学ぶ真心、親心
才能を伸ばす部屋、ダメにする部屋
第4章 力士から学ぶ「精神力」
叩き上げた力士から学ぶ「最後に勝つ力」
勝ち越した力士、負け越した力士のメンタルに学ぶ
土俵際、耐える力士は何を考えているか
第5章 横綱たちの「哲学」
横綱になれる力士、なれない力士の違いとは
横綱は孤独と戦う
大の里は、なぜブレないのか
最も愛され、最も叩かれた横綱・朝青龍
横綱はいつ引退を決めるのか
キャリアプランは引退した横綱たちに学べ
「あんな相撲取った俺が一番悪い」いかに己に厳しくあれるか
第6章 これまでの相撲論、これからの相撲論
データで見る相撲──相撲のレベルは上がり続けている
大相撲は〝稼げる仕事〟か?
伝統と改革の狭間で
変化がないと、部屋も会社もいつかは潰れる