
新宿・歌舞伎町、横浜のドヤ街、西成、モンゴル、インドと数多くの個性豊かなエリアに実際に住み、命知らずの取材を敢行してきたルポライターの國友公司氏。その半生を綴ったエッセイ集『ワイルドサイド漂流記 歌舞伎町・西成・インド・その他の街』はぞっとするエピソードに溢れているものの、読む者を冒険に誘う不思議な魅力にも溢れている。
本記事では書籍より一部を抜粋・再構成し、歌舞伎町のヤクザマンションから同じ歌舞伎町内に引っ越した先で出会ったおじさんとの思い出を紹介する。
歌舞伎町のラブホテルを不法占拠する蟹の密漁おじさん
1年という短い期間だったが、十七平米のワンルームでは手狭になってきたので、ヤクザマンションは引き払うことにした。ただ、新居はもちろん歌舞伎町周辺である。ヤクザマンションから歩いて3分のところにある2LDKのマンションに移り住み、もう5年が経つ。
6年も歌舞伎町に住んでいると、さすがにいろんなことが起きる。
とある真冬の朝、新居のベランダに出ると、目の前の駐車場の一角がゴミだらけになり、ホームレスらしきおじさんに占領されていた。引っ越したときからずっと気になってはいたが、この駐車場は所有者が経営を放棄しており、車10台分のスペースがあるというのに何にも使われていない状況が続いていたのだ。
そこからは早かった。初めは車2台分くらいの敷地がゴミで埋まっていたのだが、朝起きるたび、みるみるうちにゴミが増殖していくのである。1週間も経たないうちに、駐車場全体がゴミに覆われ、ただごとではなくなってきた。
「前のマンションに住んでいる者なんですけど、煙草でもいりますか?」
おじさんが冷やかしにきた通行人や、注意をする近隣住民に怒鳴り散らしていることは知っていた。こういう問題児と仲良くなるには、まずは酒か煙草を献上することが鉄則である。
「いいんか? じゃあ、ありがたくもらうわ」
私はそのへんに転がっていたライターを拾い、おじさんが咥えた煙草に火を付けた。
「こんなにいっぱい一体どこから集めてくるんですか」
「ここは新宿だぞ。少し歩けばまだまだ使えそうなモノがいくらでも拾えるぞ」
駐車場はもうシャレにならないくらい荒れまくっているが、よく見るとおじさんなりにゾーン分けしていることが見て取れる。北側には「キャリーケースゾーン」があり、その隣には「家電ゾーン」がある。テレビ、ストーブ、扇風機、アンプなんかもある。
「ここ、電気ないからテレビなんか映らないですし、アンプなんていつ使うんですか」
「そのうち使うだろ。まだ壊れてないんだから、もったいないだろ」
駐車場にはリビングまであった。ブロック塀の上にどこからか引っ張ってきたソファを設置し、ビニールシートで屋根を取り付けている。リビングに招待してもらったことがあるが、中には服がハンガーに吊されていたり、カセットコンロで調理をしたりしている様子もあった。
蟹の密輸がシノギのヤクザ
それから、おじさんを見かけるたびに煙草を差し入れるようになった。ただ、吸い終わった煙草をそのへんに捨てるおじさんを目撃してからは火事が怖くなり、贈答品は酒に変更した。夜の間にゴミが全焼でもしたら、たぶん私は死ぬ。
北海道で生まれたおじさんは、若い頃はヤクザだった。
シノギは蟹の密輸である。北海道から船で北上し、洋上でロシア船から蟹を引き取り、日本の裏ルートに流していたという。ただ、「あまりにも寒すぎた」という理由からヤクザを辞め、東京に出てきてからは土木関係の仕事をしていた。
駐車場の真ん中には90リットルのゴミ袋に詰められたおびただしい数の空き缶が積み上がっている。過去にどんなものか気になって空き缶拾いにトライしてみたことがあるが、こんな量を1人で集められるわけがない。
「この空き缶、1人で集めてるんですか」
「そうだよ。ずっと空き缶拾ってんだよ。歌舞伎町に行けば空き缶なんて腐るほどあるだろ」
この駐車場に出現するまでどうしていたかは知らないが、おじさんはやはりホームレスだった。歌舞伎町にあまたある飲食店と「空き缶引き渡し条約」なるものを結んでいるので、営業終わりの時間になると店の前に空き缶をまとめて置いておいてもらえる。それを深夜から朝方にかけて、おじさんが1人で私のマンションの前まで引きずってくるのだ。
おじさんは台車を3つ並べ、その上にメタルラックを何枚か敷き、結束バンドで繋ぎ合わせてひとつの大きな荷台にカスタマイズしていた。突然の雨で空き缶が入ったゴミ袋が濡れないよう、開いた状態のビニール傘を紐で固定している。
またある日は、駐車場で見知らぬ男がロボットのように一定のリズムでひたすら空き缶を潰していたので声をかけてみると、
「3日に1度バイトで来ることになったっす。よろしくっす」(見知らぬ男)
と、近所に住む生活保護受給者を雇っていたこともあった。
私が住んでいるマンションは今どき家賃の支払いが振り込みではなく手渡しである。下の階に住む老夫婦の大家に家賃を渡しに行くと、駐車場のことでノイローゼ気味になっていた。
やっぱり一番怖いのは火事である。得体の知れないホームレスの気まぐれで自分のマンションが全焼するかもしれないと考えると、当たり前だが気が気じゃないだろう。警察や新宿区にも相談しているが、駐車場の所有者と連絡がつかないのだという。
「自分で缶売って飯食ってんだオラ!」
しばらくして私はなんとなく点けた朝のテレビの情報番組に釘付けになった。自分のマンションの目の前が「新宿内の駐車場」として映し出されているのである。そして、顔にモザイクをかけられたおじさんがカメラクルーに向かって怒号を浴びせていた。
「自分で缶売って飯食ってんだオラ!」
朝の情報番組で腹がよじれるまで笑う経験は、後にも先にもないだろう。
おじさんは間もなくして、ニュースを観たか何かで冷やかしに来た通行人をぶん殴って刑務所に収容され、嵐のようにこの街を去って行った。溜まりに溜まったゴミは行政代執行で跡形もなく撤去され、空き缶とゴミだらけの駐車場は、何事もなかったかのように新しい駐車場へ生まれ変わったのだった。
あれから3年の月日が経ち、かつての駐車場の惨状が思い出に変わりつつあった頃、深夜に歌舞伎町の職安通りを歩いていると、とんでもない量の空き缶を積んだ見覚えのあるバカでかい台車を、サワガニくらいのスピードで、東に向かって押している2人組の男を発見した。
近寄って顔を確認すると、1人は知らん奴だったが、もう1人は紛れもなく3年前まで家の前の駐車場を占拠していたおじさんだった。
「昔、蟹の密漁してたおじさんですよね⁉」
「そう!」
刑務所を出たおじさんは身元引受人となったNPOから勧められるがまま生活保護を受給し、今は飯田橋方面にある部屋を借りている。
「家賃を払ったら月に7万円しか残らねえから、また空き缶拾ってんだ。部屋にいても何もすることねえし、体動かしたくなるからよ」
おじさんの見立てでは、空き缶は全部で約100キロある。新宿で売ると130円/キロにしかならないが、秋葉原まで持って行けば170円/キロまで跳ね上がる。
先週はたった1人で同じ量の空き缶を秋葉原まで運んだおじさん。丸2日間、ゾウガメくらいのスピードで荷台を引き擦り続け、秋葉原に着いたときには気絶寸前で、万世橋が霞んで見えたという。「さすがの俺でも無理」と悟り、運搬時だけまたアルバイトを雇っているのだ。
近隣も新宿区も困り果てていた
それから、新宿の各所でおじさんが占領しているらしき土地をいくつか見かけたが、どこもすぐに追い出されて定住できていない様子だった。しかし、約1年後の2024年末、おじさんはついに安住の地を見つけたようである。
そこは歌舞伎町の奥のほうにある廃ラブホテルだった。運悪くおじさんに見つかってしまい、エントランス部分も建物の周囲も、ゴミだらけにされてしまった。
「あれ、蟹の密漁していたおじさんじゃないですか」
「おう、元気にしてたか。まあ、いいから座れよ」
おじさんは拾ってきた椅子に「汚いからな」と言いながらビニール袋を敷き、私が座る場所を用意してくれた。ちょうどそのとき、ホットの「マックスコーヒー」を差し入れに来た謎の別のおじさんがやってきたが、おじさんは「これ、飲めよ」と私に譲ってくれた。
おじさんはラブホテルの前で金魚まで飼っている。「いたずらで割られる可能性がある」とのことで今はすぐ近くの駐車場に避難させてあるというので案内してもらった。
「こうやってエアーポンプも取り付けて面倒見てるんだよ。乾電池だけだと電源が切れるかもしれないから、ソーラー電池も用意してるんだ」
「なんで金魚なんて飼ってるんですか」
「俺は昔、漁師だろ。漁師は魚を飼うのも好きなんだよ」
おじさんは変わらず生活保護を受けながら部屋を借りているそうだが、部屋にはほぼ帰っていない。基本的には今私が座っている椅子に座りながら眠っているが、就寝時間は決まっていない。体が動く限り空き缶を拾い続け、目が開いている限り空き缶を潰し続け、気絶しそうになったらその場で眠るのだという。
私の脳内でスガシカオの『Progress』が流れ始めた。
「おじさんがここまでして空き缶拾いを続ける理由はなんですか?」
「好きなんだよ、空き缶拾いが。
ただ、当然ながら近隣も新宿区も困り果てていた。そのうち撤去されることは分かりきっていたが、年明けしばらくして廃ラブホテルを訪れてみると、おじさんが寝ていた椅子も、ゴミも、金魚も、すべて綺麗さっぱりなくなっていた。
また、安住の地を探す旅に出たのだろう。
写真/shutterstock
ワイルドサイド漂流記 歌舞伎町・西成・インド・その他の街
國友公司
でもその恐ろしさに惹かれて、僕も旅に出たくなる。
國友氏の『冒険の書』は、まるで呪いだ。
――清野とおる(漫画家)
歌舞伎町、西成、インド、モンゴル――行く先々で、衝撃的な出来事に次から次へと巻き込まれる。旅の途中で出会うのは、なぜか決まってラスボス級にパンチの効いた人間ばかり。時に命すら危険に晒し、「こんなはずじゃなかったのに……」と愕然とすることもしばしば発生。しかし、カオスで制御不能な状況であればあるほど、面白がって最終的にはすべてを人生の糧にしてしまう。気づけばワイルドサイドを全力疾走している著者のタフな野次馬精神が生んだ、大いに笑えてパワーがみなぎるエクストリームなエッセイ集。
■収録エピソード例
◉化石になったドヤの住人を発掘する
かつての同僚で前科九犯のシャブ中、青山さん。自衛隊→マグロ漁船→右翼→ヤクザというキャリアを歩んだ宮崎さん。出会い系サイトに「君の執事になりたい」と書き込んでいた「執オジ」。彼らは今どうしているのか?
◉憂鬱で退廃的なゲイ風俗店の待機室
就職せず男娼になった私は、野球部の後輩キャラ「ゆうた」&格闘技系男子「てつや」として指名を取りまくっていた。アクの強い常連客の要求に応え、労働に勤しむが、店のオーナーの逮捕によってモラトリアムは終焉を迎える。
◉『トゥモローホース』の悪夢
モンゴルの山奥で出会った某俳優似の男が繰り返し口にする「トゥモローホース、OK?」。その問いかけの真意が明らかになったとき、私は絶叫しながらMMAファイターばりの本気のファイティングポーズをとるはめに。
◉歌舞伎町のラブホテルを不法占拠する蟹の密漁おじさん
「ヤクザマンション」を引き払い新居で暮らし始めた矢先、駐車場を占領している謎の男性を発見。路上で大量の空き缶を集め、金魚と暮らすおじさんが見つけた“安住の地”は、歌舞伎町の奥に佇む廃ラブホテルだった。
■著者コメント(「まえがき」より一部抜粋)
ルポライターという職業に就いている私は、これまで意識的にいろんな街に赴いてきた。ときにはその街のことを知るために長期滞在したり、実際に住んだりすることもあった。一時期ホームレス生活をしていて、都内各地の路上や河川敷に住んでいたこともある。
思い返すと私はそれぞれの街で多大なる影響を受けていることに気付く。人は食べたものでできていると言うけれど、私は、自分が住んだ街で出会った「突飛な変わった人」によってできている。この本には、私が各地で出会った「突飛な変わった人」が私の人生観が変わる重要なポイントで出現しまくる。彼らの一挙手一投足が、読者のみなさんが住む街を選ぶ際の手助けになれば私も彼らも報われる。
■目次
まえがき
西成
来るとすべてがどうでもよくなる街
カラオケ居酒屋で一人、德永英明を唄いたい
百万円民泊の謎に迫る
化石になったドヤの住人を発掘する
最後の住人を静かに見守る「ホテルA」
モンゴル
「田舎はたまに行くからいい」は本当か
ウランバートルは意外と都会だった
筋トレに取り憑かれたモンゴルの青年ベルック
床屋が異常に多い街・ウルギーで総書記になる
アル中のカザフ族と八時間かけてアルタイ山脈越え
「トゥモローホース」の悪夢
インド・ネパール
インド最下層列車に現れたギャングたち
コルカタの野戦病院に倒れる
バラナシの死体焼き場で神様に恐喝される
カトマンズで見た月収二万円の生活
ニューデリーの最凶売春地帯で監禁未遂
東京(新宿・上野)
だから、私は男娼になった
憂鬱で退廃的なゲイ風俗店の待機室
「パリジェンヌ」で優雅なコーヒータイムを
歌舞伎町のラブホテルを不法占拠する蟹の密漁おじさん
このままずっと、新宿に住むものだと思っていた
横浜
横浜のワイルドサイドを駆け巡る
ドヤ街の真ん中に別宅を借りてみた
「新宿と横浜」二拠点生活のススメ
このままずっと、駅徒歩二十五分の街に住んでいたい
あとがき