20代で2度の乳がん、左胸の皮膚だけ残して全摘出したアイドル…彼女が「これが最後かも…」と泣いた過去を乗り越え発信する理由
20代で2度の乳がん、左胸の皮膚だけ残して全摘出したアイドル…彼女が「これが最後かも…」と泣いた過去を乗り越え発信する理由

埼玉県を中心に活動し、10月7日にはメジャーデビューを控えたアイドルグループ・大宮I☆DOLL。キャプテンの市ノ瀬律(いちのせ・りつ)さんは、20代の若さで乳がんが2度発覚している。

先日にはXに「乳がん再発手術後1ヶ月でこんな元気そうな人いる?」と投稿するなど前向きに近況を発信しているが、闘病は現在も続き、一時は「これが最後かも」と毎回感じながらステージに立つ日々だったという。 

2023年にステージⅠの乳がん、今年に再発

市ノ瀬さんが最初に乳がんと向き合ったのは2019年1月。当時は別の事務所でアイドルグループ加入を控えており、母の勧めもあって「忙しくなる前に」と、健康診断の項目になかった乳がん検診を受けた。

結果は乳がんの“疑い”で、まだ若いため、摘出・検査しないと断定できないとの告知だったという。

──当時の心境について教えてください。

市ノ瀬律(以下、同) びっくりしたけど、「大泣き」することはなかったです。それより「検査なんてしなきゃよかった」と思っちゃいました。

実は、摘出・検査のせいで、当時加入を控えていたお披露目ライブが延期になり、会場も当初より小規模になってしまって。でも結果は「ほっといたら乳がんになる可能性が高そうだけど、今はまだ大丈夫」みたいな感じで、「結局は病気じゃなかったし、検査しなかったら出られたのに……」と悔しくなってしまいました。

こうした思いもあり、年に1回は経過観察するよう言われていたけど、その後、4年間、行きませんでした。今振り返ると、行っておけばよかったと感じています。

──正式にがんが発覚したのはいつごろでしょうか?

今のグループに入った後、2023年の頭です。それまで半年ほど胸にしこりを感じていて、前の病院は検査の件で苦い思い出があったので、別のところに行きました。

でも、そこは「その若さで乳がんなんてないから大丈夫!」と軽い感じで。家族に話したら「前に疑惑があったんだから同じ病院に行きなさい」と言われ、4年ぶりに同じ病院で診てもらいました。

今度は「がんの可能性がかなり高い」という診断で、手術後の病理検査で正式に乳がんとわかり、3月に左胸の皮膚だけ残して中身は全摘出。広がっていくがんは2cm未満で、ほとんどが転移しないがんだったことから、早期発見のステージⅠでした。

──今年6月には再発も公表されました。

術後も3ヶ月に1回は乳腺外科に通い、年1で検査も受けていたところ、再発が見つかって今年6月に再び摘出手術を受けました。

再発により、毎日の薬と半年に1回注射を打つホルモン療法では不十分とわかったので、年末には放射線治療を受けます。

また、これとは別に形成外科で乳房の再建もしていて。病院側の連携ミスもあってまだ終わっていないので、10月のワンマンライブ後には4回目の手術を受けます。年1くらいで手術していますね。

「これが最後のライブかもしれない」と1人で泣いていた

──それだけ手術が多いと、ふだんの体調はいかがですか?

実は、がんの影響で体調が悪かったことは1度もないんですよ。2年以上薬を飲んでいるので、副作用があるくらいです。

ただ、最初の手術は2週間くらい管を入れた状態の入院生活で、痕も残ったりと大変でした。

術後も半年ほどは違和感が残り、ライブ中に痛くなる瞬間もありました。

──noteやXを拝見すると、乳がんと明るく向き合ってらっしゃいますよね。

他の人よりちょっと元気なさそうなだけでめちゃめちゃ心配されちゃうので、誰よりも元気そうにはしてるんですよね(笑)。

でも、最初にがんが確定した2023年は、どんどん不安になっていました。しこりが明らかにおかしかったのですが半年ほど放置していましたし、病院に行っても手術しないと乳がんかわからず、摘出後しばらくしてから「乳がんでした」という感じなので、その間はずっと……。

乳がんと診断されてからも、検査や診察のたび「結果によってはアイドル活動できる日常が崩れてしまうのではないか」という気持ちがあり、常に薄氷を踏んでいるようで……。

──はっきりしないとその間はずっと不安ですよね……。その不安を解きほぐす存在などは?

当時は家族にも言えず、1人で抱えていました。メンバーにも言わずにライブに出ていたので、私がライブ中に泣いたときも意味がわからなかったと思います。

──泣いたライブというと?

私のいる大宮I☆DOLLは応援歌のような曲が多いんですが、『永遠Dreamer』という曲に「悲劇的なシナリオだって/きっとこの手で変えてみせるから」という歌詞があって。

誰にも言えなかったからこそ、歌詞が自分に寄り添ってくれるようですごく響いたんです。当時は毎回「これが最後のライブかもしれない」という気持ちで立っていたので、1人で泣いてました。

──やはり、歌に懸ける思いは変化しましたか?

歌詞の理解が深まりました。ファンの方からも、前より魂を感じるとか、歌への感情や重みが違うと言われることが多いです。

実際、自分たちの歌に励まされる側になったら、染み込み具合が全然違ったので、誰よりも重みを表現できるかなと思います。

──ご自身で作詞作曲もされていますが、そちらも感じ方は変わりましたか?

そうですね。1月に弾き語りのソロコンサートでファンの方に向けて作った『陽だまりの記憶』というオリジナル曲を披露したんですけど、「笑い方を忘れた/息をするのも諦めた/この道の先で君と出会えた」という自分で書いた詞が自分に染みて、歌うたび泣けるんですよ。

私の人生や感情をつづった曲だけど、聞く人によって自分を重ねられると思うので、それぞれに響く曲だったらいいなと思います。

20代でのがん経験も「別に特別じゃない」

──本業の歌以外にも、以前から水着の仕事をたびたびされています。手術の前後で魅せ方などは変わりましたか?

前だったら胸を強調するようなポーズもしたかもしれないですけど、もうそういうのはしないですね。最初の全摘出は小さな痕だったんですけど、6月の再発手術の痕は水着から出ちゃうような位置だったので。

これは結構ショックもありましたし、手術前から決まっていた先日の撮影会も、ビキニの予定を変更して違う水着を着ました。

でも、もともと巨乳自慢とかじゃなく“くびれが自慢”みたいな感じで腹筋も鍛えてたので、前以上にそっちをおしていこうと!

──そこも前向き変換とはさすがです…! もとからポジティブな性格なのでしょうか?

私、2年前の手術を公表したときもほとんど泣かず、ファンの方に「めっちゃメンタル強いね」「がんだなんて見えなかった」ってすごく言われたんですよ。

でも実際は、そうすることで自分を守っていたというか。

ちょっとでも不安を漏らしたら、もう何もしゃべれなくなると思って。

不安の見せ方もわからないというか、手放しに心配されて励ましてもらうみたいなのが得意じゃなくて、見せないほうが自分にとって楽なんです。

そもそも、“がん”って聞くと重い感じがするだけで、自分の病気は別に特別じゃないとずっと思ってるんです。

──特別じゃないといいますと?

がんを公表してから、「自分もこういう病気で~」「自分も通院してて」と教えてくれるファンの方が結構たくさん出たんですよ。

それを聞いたら、「みんな言わないだけで、大なり小なり、いろんな事情のなかでそれぞれ闘ってるんだな」というのを、前以上に感じるようになりました。

 ──なんだか感激しました。最後に、今後目指すものを教えてください。

私だからこそできる表現があると思ってます。20代半ばで乳がんが見つかり、術後2年で再発、今後も治療の副作用や再発の不安もありますが、この感情や経験も武器にステージに立ち続けたいです。

人の心に響くような表現者になり、同じように何かと闘っている人に寄り添えるようなパフォーマンスを届けたいですね。

たまに「乳がんについての啓発をしてください」という声もいただくので、私でよければぜひ。それをきっかけに、グループのことをもっと知ってくれたら嬉しいです。

最後に…… 間違いなく検査は早めにやったほうがいいです。私なんかでも、そういうきっかけになればと思います。

取材・文/久保慎

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