雷の光に息が止まる「あの日の光を体が覚えている…」8歳で被曝した女性の80年間消えない後悔と忘れられない匂い
雷の光に息が止まる「あの日の光を体が覚えている…」8歳で被曝した女性の80年間消えない後悔と忘れられない匂い

戦争によって、トラウマ体験をしたのは兵士だけとは限らない。命からがら生き延びた一般市民も同じ危険にさらされていた。

世界で唯一、原爆投下されたこの国でなんとか命を拾った人もまた、今でも癒えない深い傷を負っている。

 

『ルポ 戦争トラウマ 日本兵たちの心の傷にいま向き合う』 (朝日新書)より、一部抜粋、再構成してお届けする。

銀色とも白ともいえない光

東京都杉並区の久保田朋子(87)は、被爆体験を日常生活の中で思い出してしまう1人だ。

突発的に激しい雨が降った2024年7月上旬のことだ。突然の光と共に、柱の時計がはじけたような音を立てた。リビングの天窓に稲光を見た久保田は、急に息ができなくなった。心臓が縮みあがり、体が動かない。しばらくじっと動かずに、動悸がおさまるのを待つしかなかった。

雷が過ぎ去った後は、決まって食事が取れなくなる。「あの日の光を体が覚えているんじゃないかなって」。久保田はそう言う。

雷の1番古い記憶は小学生の頃だ。空が光ると、母のそばへ駆け寄った。

恐怖は、母が亡くなった大学生の頃からより強くなった。反射的に、その場にあるもので頭を覆わずにはいられない。兄はいつも、「お前はいい年して情けないな」とため息をついた。

なぜ、こんなに雷が怖いのか─。

1945年8月6日。久保田は疎開先の広島市宇品町にある祖母の家にいた。

あの日は雲1つない晴天だった。朝7時に起きると、祖母は勤労奉仕に出かけ、すでにいなかった。母は、体が弱い姉を病院に連れて行く支度をしている。「空襲警報のサイレンが鳴ったら、外に出てはダメよ」。母の言葉を聞きながら、久保田はぼんやりと庭を眺めていた。

その瞬間、銀色とも白ともいえない光に包まれた。

意識を失った。

どれくらい経ったか分からないが、母の声で気がつくと、隣の部屋まで吹き飛ばされていた。耳の後ろにできた切り傷を止血し、家族で河原に避難することになった。

自宅は爆心地から2.5キロほどのところにあった。外に出ると、瓦や土塀のがれきが30センチほど積もっていた。

爆心地の方向に進んだ。河原は血を流した人であふれ、女性や子どもの泣き叫ぶ声が響いていた。船着き場には、やけどで風船のように顔が膨らんだ少年が座っている。唇は腫れ上がり、目は線だけになっている。その少年は「水、水がほしい」とか細い声を出していた。

その少年の隣に目をやると、祖母の家の前に住んでいた女性がいた。その時初めて、顔が膨らんだ目の前の少年は、よく遊んでもらっていた中学1年の男子学生だと、久保田は気づいた。

少年の名前は、三木一壮。登校前に顔を合わせると、いつも優しく「おはよう」と声をかけてくれた、近所のお兄さんだった。久保田は水をあげたいと思ったが、「水を飲ませると死んでしまう」と周りの大人に諭され、かなわなかった。

翌日、祖母の家の近くを歩いていると、空き地から煙が上がっていた。のぞいてみると、古材を井桁に組んだ中、火が回った三木の遺体が反り返るように跳ねたのが見えた。怖さを感じた久保田はその場から走って立ち去った。なんとも言えない、「ものすごい嫌な臭い」が鼻に残った。

自宅に帰ってこなかった祖母は、眉間に瓦が直撃して亡くなっていた。

相次ぐ家族の死、結びついた原爆の記憶

一家が広島市中心部を離れたのは原爆投下から3日目だった。広島県内の田舎に逃れた。日本の敗戦から4カ月後の11月ごろ、久保田の一家はもともと暮らしていた東京へ戻った。

「よくお元気でお帰りでしたね」。近所の人は親切だった。

だが、家族からは「原爆の話はしちゃダメよ」と言い聞かされた。

戦後10年の間に、姉と兄が相次いで亡くなった。被爆後からずっと体調が悪かった母も、床から起き上がれなくなった。

「第5福竜丸事件」が起きたのは、ちょうどその頃だ。第5福竜丸事件というのは、1954年に日本のマグロ漁船がマーシャル諸島のビキニ環礁でアメリカの水爆実験に巻き込まれ、乗組員らが被曝した事件のことだ。この事件は、放射線の人体への影響が注目される契機になり、国内の原水爆禁止運動につながっていく。

久保田にとっても、この事件がきっかけとなり、初めて、病と原爆を結びつけて考えるようになった。白血病になった母は自分を責めた。「広島に連れて行ってしまって、子どもたちに申し訳ない」と。その数年後、母も息を引き取った。

異常なまでの稲光への恐怖が、原爆とつながったのも、この頃からだ。

そして、のどが渇くたびに、久保田の脳裏には、近所のお兄さん、三木の姿がよみがえり、最期に水をあげることができなかった後悔で胸が詰まる。

洋服や日用品が焦げると、死体を燃やす臭いが鮮明によみがえり、吐き気をもよおす。

久保田はいまも、広島には足が向かない。「嫌な思い出っていうのはずっと消せないんだって(痛感する)」。その後もずっと、「自分は被爆者なんだ」という思いがついてまわった。

子どもをもつつもりはなかったが、夫の家族の強い希望で25歳の時、長男を出産した。産声を聞いた時、自分の口から出てきた言葉は「指はちゃんとありますか」だった。身近な被爆者が病気になるたびに、「もしかしたら私も」と思ってしまう。

なぜ、こんなにも苦しめ続けられなければならないのか。そう考えると、次第に「この理不尽な苦しみを伝えなければ」という思いが強くなっていった。被爆者団体に所属し、70歳を超えた頃、勇気を振り絞って小学4年生に体験を語った。語ってみると、心の中にずっととどめていたものを、吐き出せた気がした。気持ちが少し、楽になった。

「人生がスタートして8年目で、原爆を体験してしまった」。

被爆の記憶と共に、人生が積み重ねられてきたような気がする。「自分はもういいんです。でも、次の世代で同じことが起きないように、子どもや孫の心にトラウマを残さないように考えてほしい。そのために死ぬまで伝えなきゃって思っているんです」。

久保田は静かに語った。

文/後藤遼太、大久保真紀 

『ルポ 戦争トラウマ 日本兵たちの心の傷にいま向き合う』 (朝日新書)

後藤 遼太 大久保 真紀
雷の光に息が止まる「あの日の光を体が覚えている…」8歳で被曝した女性の80年間消えない後悔と忘れられない匂い
『ルポ 戦争トラウマ 日本兵たちの心の傷にいま向き合う』 (朝日新書)
2025/6/131,045円(税込)320ページISBN: 978-4022953216戦後80年、元日本兵の子や孫がようやく語り始めたことがある。戦争トラウマだ。
過酷で悲惨な戦場を経験した元兵士の多くが心を壊した。悪夢、酒浸り、家族への暴力……壊れた心が子や孫の心もむしばんでいく負の連鎖。
隠された戦争の実相に迫る。 
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