
東洋大学を除籍されながら、偽造された疑いがある卒業証書を周囲に見せ大卒だと主張していた静岡県伊東市の田久保眞紀市長(55)。その市長を追及する市議会には田久保氏の「同級生」と名乗る人物から、卒業証書は同級生が余興で作ったと“告白”する内容の告発文が送られ、市議会は色めき立っている。
卒業式の後の飲み会で“ニセ卒業証書”を渡した?
「提出を拒否いたします」
8月8日夕、田久保市長は市議会の調査特別委員会(百条委)から出されていた、“卒業証書”の提出要請を拒む回答書を中島弘道市議会議長に提出。同市長の提出拒否は7月に続いて2回目だ。
また、百条委は市長に13日の会合に証人として出席することも求めている。市長は出席を検討しているとの情報もあるが、ここで出席や証言を拒むなどすれば議会は地方公務員法違反容疑で市長を告発し、不信任決議案の採択へ走り出す公算だ。
問題の“卒業証書”は、5月の市長選で田久保市長が当選する前から出回っていた「東洋大卒との学歴はウソだ」との情報を打ち消すために本人が周囲に見せて回っていたものだ。
「田久保市長は大学を除籍されていたとの告発文書が選挙後に市議全員に送られて疑惑が深まり、結局その内容は事実と判明しました。
この前の段階で田久保市長は、今は偽物と判明した卒業証書を市の広報誌に『大卒』と書く根拠として市幹部に見せたり、疑惑を否定する目的で中島議長らにチラ見せしたりしていました。
しかし7月2日の会見で自ら除籍されたと認めた後は公開を一切拒み、一度は『検察庁に提出して調べてもらう』と約束したものの、その約束も破った。
公職選挙法違反の学歴詐称の疑いで市内の業者から刑事告発されたので重要な証拠になるものは見せない、との論法です」(地元記者)
どうしても“卒業証書”を表に出したくない田久保市長は、これを顧問弁護士の事務所の金庫にしまい込み、弁護士は当局の押収は許さないとけん制している。
今度は第二の告発文書が
そうした中、7月下旬には第二の告発文書が中島議長に届いたことが報じられた。告発文書のコピーを見たというA市議が言う。
「差出人は田久保市長の大学の同級生で北海道の人物と書いてありました。田久保氏だけ卒業できないのはかわいそうだと、卒業式の後に池袋で行われた飲み会で(偽造した)“卒業証書”を渡した、という内容でした。
除籍の経緯については『彼女は1年生から進級したのち2年生を3回やって除籍ということになった』と書いてありました」(A市議)
「同級生が余興で作るようなレベルの出来ではありませんでした」
告発文書をA市議が見たのは、市議会がこれを「公文書」と扱うことを決め、市議に配布したためだが、どうやらこの内容も怪しい。
地元記者は「最初の告発文書が結果的に正しかったということが(公文書と扱うことを決めた)理由にされています」と話すが、そんな理由で差出人不明の文書を信頼して真相解明に役立つのだろうか。
これに絡んで証言するのは、以前は田久保市長と近かったBさんだ。
最近の市長の言動を見て「不信任決議案が提出されるのは仕方ないことだと思います」と話し、市長と距離を置くようになったBさんは第二の告発文書の中身に疑問を呈する。
「怪文書(第二の告発文)は3枚で、卒業できない田久保さんをかわいそうに思い、同級生が余興で卒業証書を作り、卒業式の夜に居酒屋で渡したと書いてあります。また偽物とわかるよう、名前の場所を変えたとも。
『右の者に学位を与える』という形でなく本文の中に『田久保眞紀に学位を与える』と名前を書いたという説明がされていました。
しかし、そこに私は違和感を覚えました。というのも私は第一の怪文書が出回った時に田久保さんから“卒業証書”を見せてもらったのですが、田久保さんの名は本文中ではなく右端の下に書かれてあったんです」(Bさん)
さらにBさんはニセ証書のクオリティの高さについても証言した。
「私が見た卒業証書はケースに入れられ、同級生が余興で作れるようなレベルの出来には見えませんでした。あれが偽物だとすれば業者などに依頼したのだと思います。それくらいしっかりした卒業証書でした」(Bさん)
そんな中、田久保市長は今、第二の告発文の内容を否定するための材料を集めているという。
「余興でもらった覚えがないという田久保さんは大学の友人に『卒業証書なんて作った覚えある?』ってメールで聞いていると言っていました。
今回のことで友人らは田久保さんのことを心配して連絡を取り合い、情報交換をしているみたいですが、誰も卒業証書を作ったなんて言ってないそうです。そもそも田久保さんは『卒業式の日は飲んだ覚えがない』って言ってます」(Bさん)
田久保市長が見せて回ったいた“卒業証書”が偽物であることは疑いのないところ。それでも市長が第二の告発文書の内容が事実と違うことを証明しようとしているのは、同級生からもらったとなれば「自分は最近まで卒業証書は本物だと思っていた」との主張が崩れると考えているためだとみられる。
第一の告発文書が「除籍」を正確に指摘した謎
田久保市長は記者会見で「30年前ぐらいのことで(卒業証書を)どのように手にしたのか、もう記憶が曖昧でございます」と入手先を説明していない。
同時に、6月28日に東洋大へ行き初めて自分が除籍になっていたことを知ったとの説明を続けている。
市議会の告発でこうした説明の真偽が解明されるかどうかは不透明だが、「除籍」の事実が明るみに出た経緯も今後、火種になる気配がある。
事情を話すのはBさんのようにかつて田久保市長と行動を共にしながら今は愛想をつかし「今後はもう応援はしません」と断言するCさんだ。
「田久保市長が大学を除籍されていたと指摘した第一の怪文書は、原本とみられるものが市内の店のコピー機に残っていたとの情報があります。そのそばに住む市の関係者が作ったのではないかとの噂が飛んでいます」
そう話すCさんがいぶかしむのは第一の告発文書が「除籍」の事実を正確に指摘したからだ。
田久保市長は以前から知人に「まあ、(大学を)卒業してないんですけどね、ハハハ」と軽く告白するなどうわさは以前からあった(♯2)。だが、それが除籍だとの話は出たことはない。
「怪文書を作ったのが仮にいま噂されている人物だとすれば、彼はどうやって市長が除籍されてることを知ったのか、謎ではあります」(Cさん)
水面下でなにが蠢いているのか。
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取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班