
漫才コンビ・金属バットと東京ダイナマイト。対戦予定だったTHE SECONDの欠場、ツーマンライブの延期、その後、開催された興業の大成功。
東京ダイナマイトはなぜ吉本に入ったのか
──金属バットのお二人からは、東京ダイナマイト、あるいは二郎さんはどう見えていますか。
友保隼平(以下、友保) めちゃめちゃ東京やなぁって。
小林圭輔(以下、小林) 吉本っぽくないなぁって。
ハチミツ二郎(以下、二郎) もともと反・吉本だったからね。M-1も、俺らが決勝に行った2004年はアンタッチャブルと東京ダイナマイトだけが違う事務所で、次の2005年の決勝はタイムマシーン3号だけ、2006年はアマチュアの変ホ長調だけ、2007年はサンドウィッチマンだけ、あとは全組吉本。
それ以降も2010年にM-1が一旦なくなるまで、ずっと1組か2組しか吉本以外の事務所はいなかった。だったらもう内部に入って、ぶっ壊してやろうと思って。
友保 えらい物騒な動機。
二郎 外にいたら誰が悪者かわからないから。それで2009年に吉本に入ったの。でも、会ってみると会長も社長もいい人で。
友保 おるか、そんなやつ。
──東京ダイナマイトは、吉本に移籍してすぐに劇場でトリを務めてましたよね。
二郎 最初は5分の出番でギャラも一番安いところから始めたけど、1ヶ月後くらいかな、トリになったのは。
小林 はや~。
友保 何があったんすか、その1ヶ月に。
二郎 その1ヶ月というより、それまでに散々いろんなライブでトリやってきてたから。事務所とか関係ない寄せ集めのライブって、時代ごとに客寄せパンダがいるんだよ。『エンタの神様』で人気になった芸人とか。
客はそういう芸人も出るから来るんだけど、主催者としてはトリにはさせたくないわけ。そうなると、トリは漫才がいいってことになって、俺たちがトリになる。そういうのをずっとやってきた結果。
友保 トリが漫才だと締まりますもんね。
二郎 そういえば前に、よしもと浅草花月で、どういうわけか、俺らより先に坂田(利夫)師匠の出番がある日があって、出番を終えた坂田師匠が、俺たちに向かって「お先に勉強させてもらいました」って言ったんだよ。
友保 うわぁ。
二郎 あれは驚いた。あと別の日では、中田カウス・ボタン師匠の時間の都合で、どうしても師匠たちの出番が先で、俺らがトリになることがあって。カウス師匠がゆっくり目の前に来て「俺らのあとにトリできるんか?」って。
友保 うぇ~い。
二郎 シャレだったとは思うんだけど。それでどうにかトリを終えたんだけど、舞台を降りながら頭の中でドラクエのレベルアップした時の音が流れたな。
小林 しびれますねえ。
吉本の中にインディーズを作る
二郎 金属バットも吉本とはいえ、吉本の本流ではないでしょ。
友保 全然ちゃいますね。若手の頃から吉本の劇場に出続ける下積みとかもやってないんで。
二郎 芸人の最初はNSCでしょ?
友保 そうです。でも卒業したあと、劇場のオーディションに全然受からんくて。もうええわって、劇場に行かなくなったんですよ。それからはずっとインディーズのライブに出まくってました。
小林 関東のインディーズライブにもちょくちょく行ったりもして。
二郎 吉本の劇場じゃなく、インディーズのライブに出てたんだ。そこからどうやって吉本に戻っていったの?
友保 M-1の予選とか敗者復活の動画がちょっと話題になったりして、それを吉本の人に見つけてもらって、ようやく仕事が増えてきた感じですね。
二郎 見つけてくれたのは、大阪の吉本の人?
友保 いや、東京です。だから東京の仕事けっこうあるんですよ。
二郎 俺もインディーズでずっとやってたからね。ただ、今とは時代がだいぶ違う。俺たちの頃は鳥肌実という人がいて、インディーズながら1万人規模の動員だった。
友保 けっこうな数ですね。
二郎 インディーズでも、それで生活できてたんだよ。今のインディーズ、要は地下芸人って、生活できてないでしょう。
友保 まったくできてないです。
小林 バイトばっかり。
二郎 金属バットがインディーズのライブに出てた頃は、どんな感じだったの?
友保 それなりに楽しくはやってましたけど、それだけでは食っていかれへんので。
二郎 インディーズでも吉本としての芸歴には数えられるの?
友保 わしら吉本を辞めたわけではないので、芸歴のスタートはNSCで結成した時からですね。
二郎 そっか、劇場には出てなかったけど、辞めたわけではないのか。
友保 そうなんすよ。
二郎 でもそう考えると、今も劇場には出てないけど、ネタはおもしろいやつっていっぱいいると思うんだよね。芸風的に上に上がりづらかったり、単純に数が多すぎて見つけてもらえなかったり。
友保 ぎょうさんいると思いますよ。
吉本内にもTHE OUTSIDERが絶対いるはず
──大阪のインディーズのお笑いシーンは今もあるのでしょうか。
友保 吉本の芸人が一切出られなくなって、今はだいぶなくなりましたね。吉本以外の人たちが集まってやってるライブがポツポツあるくらいで。
小林 僕らの頃はワッハ上方ってとこで無料ライブをやってたんですけど、そこがダメになってから一気に減ったというか、散らばっていきました。
二郎 じゃあもう、俺たちで吉本の中にインディーズを作ろうよ。だって今のシステムだと、ちゃんとNSCの授業を受けて、優秀な成績を収めて、卒業してからも真面目に劇場のオーディションを受けて、そこから上がってきたやつしか出てこれないじゃん。そのシステムには乗れないTHE OUTSIDERが絶対いるはずでしょう。
友保 刺青まみれの若者たちにチャンスを与える的な。
二郎 もちろん、こっちで運営と管理はするけど、スタイルは好きにやらせて。変な芸名も付けて。
友保 名前まで。そんな責任持たれへんですよ。
──二郎さんは、猫ひろしさんやサンキュータツオさんの名付け親ですよね。
二郎 あとは、タイムマシーン3号の関太とかね。鬼越トマホークの(坂井)良ちゃんにも付けたんだよ。「クリストファー・トリス」っていう。
友保 ははは。なんすか、それ。
二郎 なんか外国人っぽいから。でも使ってくれてないね。
爽やかに司会している人のほうが恐い
──かつてははぐれ者のイメージもあった芸人が、いまや昼のワイドショーでコメンテーターを務めたり、社会的にも認められる存在になったことについては、どう感じていますか。
二郎 別に今も認められてはないでしょう。
友保 芸人なんてクソですからね。
二郎 もしそういう傾向があるのだとしたら、M-1の影響でしょうね。M-1で芸人に対する世間の見方は確実に変わったとは思う。
友保 難儀ですわ。いまや道端でおしっこもできないし、女しばいたら即終わりでしょう。芸人はめちゃくちゃしていいって聞いてたのに、それが許されないなんて、ほとんど詐欺でっせ。
二郎 そんなこと言ったら、俺が先輩方から聞いてた話なんて、全部なかったことになってるから。もはや歴史として存在しないことになってる。
小林 せめて立ちションは許してほしいですね。
二郎 そういう流れを仕方がないとは全然思ってないけど、もう俺自身が真面目になっちゃってるからな。病気になってスキャンダルも起こせないし、普段はシングルファーザーで子育てして、アメブロに作った料理の写真上げる生活だよ。
友保 いい生活じゃないですか。
二郎 昔は芸人っていうだけで、チーマーみたいなやつから喧嘩売られてたりしたのに。
友保 えー、街歩いてて?
二郎 そうだよ。それで、ウド鈴木さんがめっちゃ喧嘩強いっていう伝説が生まれた。
友保 出た。
小林 一番強いって噂は聞いてます。
友保 返り血を浴びて立ち尽くしてたとか。
二郎 高校で柔道やってた人だからね。次々と柔道技でチンピラたちを。
友保 やっば。
二郎 今の時代、そういうファンタジーすらも許されないからね。
── 一昔前は、強面の芸人も多かったように思います。
二郎 いや、実は強面に見える人たちよりも、爽やかに司会やっているような人たちのほうが、実際はこわい。
友保 ありゃ~。
二郎 だから千鳥とか麒麟の川島とか、そういう時代を若手の頃にギリギリ経験している芸人たちは、ど真ん中で仕事しながらこなしているように見えて、いろいろ苦悩や我慢があるんだろうなって思う。
友保 狭間の世代ですね。
「令和ロマンが攻略したことでM-1は終了!」そして、東京ダイナマイトの漫才活動休止宣言の真相 #3へつづく
取材・文/おぐらりゅうじ 撮影/名越啓介