
茨城県・土浦にあるソープランド『ニューティアラ』に在籍する新波(しんば)リアさん(23歳)。店の看板嬢である彼女は、過去に子役として活躍し、単体セクシー女優の経験もある。
「男でなければ堕ろせ」
リアさんは東京都杉並区で日本人の父親とフィリピン人の母親の元に生まれた。母親が彼女を妊娠したときは夫婦仲が最悪で、すでに姉がいたこともあり、父親は「男でなければ堕ろせ」と宣言していた。
「結局、私が女だったので一家離散。姉は施設に、私は母に引き取られました。ただ母は日常会話程度も日本語が話せなかった。父に捨てられて、(役所に)私の出生届を出すとかそういう手続きをするのは不可能だったんだと思います」
リアさん自身は曖昧な記憶だというが、近所の人の通報もあり、2歳くらいから施設で育ったという。施設に入ってからは運動会などの行事に親が来ることはなく「自分の置かれた状況を何となく察していました」と語る。
リアさんが小学4年生になった頃、離れて暮らす母親の誕生日プレゼント探しで、たまたま行った吉祥寺で芸能事務所にスカウトされたという。
「スカウトされたことは素直に嬉しかったです。あまり自己肯定感が高い方ではなかったので…」
芸能界には施設育ちのタレントはいるが、施設で暮らしながら芸能活動をしていたという人は少ないだろう。彼女は「施設にいることを他言しない」というルールのもと、芸能活動を開始した。
「未成年なのでオーディションも撮影も親の送迎が必須。
容姿に恵まれていても“親がいる子”には敵わない
マネージャの心配をよそに芸能活動は順調だった。人気子ども向け教育番組、大手ゲーム会社のCM、少女向け雑誌のモデル…など着々と仕事が決まった。だが彼女は常に「劣等感を感じていた」と話す。
「そもそも、芸能活動をする子は裕福なんですよね。白金、松濤、麻布に住んでいるような子が多かった。オーディションもみんな毎回違う洋服で、人気子供服ブランドに全身を包んでいました。
複数人での撮影があったときは色味が被ってしまったりすると、『着替え持ってる?』と聞かれ、その度に心がギュッと小さくなるような感覚でした。私はいつも施設から支給されたサイズの合っていない“誰か”のお下がりの洋服だったから。
左右が違う靴下の時は『あ! 間違えて履いてきちゃった』って嘘をついて笑ってました」
事務所のレッスンは完全無料だったものの、まわりはお金を払って有名な先生からダンスレッスンやウォーキングのレッスンを受けていて、羨ましく感じたそうだ。その様子を見た彼女は「親が最大のサポーターなんだな…」と幼いながらに理解した。
「レッスン帰りに親子で原宿へ行ってクレープを食べたりすることがあったんです。でも、『うちはママが厳しいから』と嘘をついて帰っていました。
さらに少女漫画誌で「たまごっち」の紹介をする誌面のモデルに選ばれた際にはこんなこともあった。
「私を含め5~6人くらいの女の子が選ばれたんですが、全員自分のたまごっちを持って撮影するという企画だったんです。でも私はたまごっちを持ってなくて。『なんでたまごっちを持っていない子が受かったの?』ってママたちの声が聞こえてきて、もう涙を堪えるので必死でしたよ(笑)」
機転を利かせたスタッフがたまごっちを貸してくれて、撮影はことなきをえたそうだが、当時のことを笑って話すリアさんはどこかつらそうだ。
事務所から仕事を依頼されるも、施設側のジャッジがあり、全てのオーディションや仕事に行くことは出来なかった。
「施設の先生たちも前例がないから『この仕事はいい』とか『これはダメ』の判断がつかなかったんだと思います。自分の置かれている状況はもちろん理解していても、“親と暮らしていればな…”という気持ちはなくなりませんでした」
高校進学を前に芸能活動を続ける道が閉ざされる
モデルの仕事と並行し、俳優業をやっていきたいと考えていたリアさんだったが、事務所からはグラビアアイドルへの転向を進められる。
「中学くらいから急激に胸が大きくなってしまったんです。Fカップくらいあって、どうしてもモデル体型からは離れてしまいました。だから事務所の言うことも一理あったとは思うのですが、当時の私には受け入れられませんでした」
事務所との話し合いは平行線のまま。そんな時、芸能活動を続けるにあたって施設でも大きな問題が生じてしまう。
「それまではごまかしごまかし芸能活動をしていましたが、高校受験の時期になって選択肢が狭まりました。
両親からは連絡がたまにくる程度で引き取ってくれる様子はなく、芸能活動を続けていく道は閉ざされてしまった。
「またか…って感じでしたね。また親がいないことで希望することを選択できない。事務所とは方向性の違いでギクシャク。施設にいるなら高校に行って芸能活動を3年休まなければならないし、高校に行かないなら施設を出て1人暮らし。
ハンデがあっても頑張っていればきっといつか…って信じて頑張ってきたけど、親とお金がないと無理なんだという現実に直面して絶望しました。もうどうにでもなれって」
リアさんは自暴自棄になり、高校に進学することもせず、施設も脱走した。そして、一人暮らしをしている友人の家に住むようになる。昼はコンビニ、夜は飲食店と二足の草鞋を履いてフリーターとして生活をするようになった。
「コンビニのオーナーがすごくよくしてくれました。
だが、数年後いつもようにコンビニに出勤すると人気商品だけ見事になくなっており、店はもぬけの殻だった。
「最初は強盗が入ったかと思いました。慌てて警察に電話しましたが…夜逃げでした。何度も遊びに行ったオーナーの家にも行きましたが誰もいない。家族だって言ってくれてたんですけどね」
さらに最悪なことに、リアさんがこれまで働いて預けていた給料を全額持ち逃げされていたのだ。
「オーナーに『3年間給料を貯めてコンビニのオーナーになれ。俺が全て段取りしてやる』と言われて、給料を全て預けて、貯めてもらっていました。オーナーからもらったお金は、お正月にみんながインフルエンザで倒れてしまった時に、代打で出勤してお年玉としてもらった1000円だけ。
今となれば私のことは最初から『家族』という言葉を巧みに使って、仲良くしていたら給料を払わないで済むって思っていたのかもしれませんね」
「お前はもう俺たちの家族だ」その言葉を信じきっていたリアさん。コンビニが突然なくなり、掛け持ちしていた飲食店の給料日まではほど遠い。
「ご飯が食べられなくなるかもしれない…」途方に暮れたリアさんは風俗の門を叩く――。
取材・文/吉沢さりぃ 撮影/矢島泰輔