
日本社会では、3組に1組が離婚するといわれるが、インドの離婚率は非常に低く、約1.1%だ。これはインドの結婚制度や文化的背景が結婚と離婚に大きな影響を与えているためだが、日本とは大きく異なるインドの結婚観とはどういったものなのか。
朝日新聞の特派員記者が現地で見たその実態について、『『インドの野心』人口・経済・外交――急成長する「大国」の実像』より一部抜粋・再構成してお届けする。
お見合い婚社会でマッチングアプリ活用へ
インド人の80%以上がお見合い結婚をしている。
この国に赴任したばかりのころ、地元紙が報じていた記事に目がとまった。14億人もの人口がいるインドの人々は、どうやってパートナーを探し、家庭を築いていくのだろうか。
試しに、私と年齢が変わらない40代の男性運転手になれ初めを聞くと、「親戚が紹介してくれた女性とお見合い結婚をした」「結婚式の日まで、その女性と会ったこともなかった」と言うではないか。
多くの場合、親や親戚が必死になって良き相手を探し回ってきた。手広く相手を募ろうと、子どものプロフィールを新聞広告に載せて募集する人までいる。
とは言え、首都のニューデリーや商業都市のムンバイ(旧ボンベイ)に行くと、若い男女がショッピングモールで買い物をする姿もみかけるし、自由恋愛を楽しむ若者も増えてきている。
そんな社会の変化も後押ししてか、この国ならではのマッチングアプリの人気が高まっていると聞き、当事者に話を聞くことにした。
まず話を聞けたのは、南インドの中心都市チェンナイの通信会社で働くハリハランさん(30)。2022年11月、スマホで結婚相手を探そうとマッチングアプリに登録した。
5カ月後、同じインド南部の別の街に住んでいたシータ・サティシュさん(26)とつながった。ハリハランさんは「彼女とは初めて会ったように思えなかった。
ここから、2人だけで愛を育むのかと思いきや、お互いの親も一緒になって電話やビデオ通話でやりとりをしたという。しばらくして初対面を果たし、その数日後には婚約。アプリでつながってから半年もたたないその年の9月に、結婚式をあげた。
2人は同じ思いを口にした。「親戚や友人たちから紹介される一般的なお見合い婚だと、相手が好みじゃなくても断りにくい。ネット上にはうその情報を入力する人もいたけど、自分の好みの条件を事前に選択できるのが良かった」
親の顔の広さがものを言った時代から、子どもたちの意思や最新のサービスを使いこなせるかが相手探しの重要なカギになってきているということだ。
結婚に際して根強く残るカースト
2人が使ったアプリを開発したのは、チェンナイの企業「マトゥリモニー・コム」を創設したムルガベルさん(52)。コンサルタントとして米国で働いていた00年に、出身地域や言語が同じインド人コミュニティーの交流を図ろうと、結婚相手を探すサービスなどを立ち上げた。
スマホが普及するにつれて、20代の男女の間で利用者が急増。「マトゥリモニー」の年間登録者は約800万人に上るという。
アプリでは、お互いの名前や写真、年齢、身長、職業、学歴といった基本情報を入力する。
ただ、この国ならではの選択肢も数多い。
例えば、相手がベジタリアン(菜食主義者)かどうか。インドでは、ベジタリアンが数億人規模に達すると言われており、重要な情報なのだ。
伝統的な身分制度であるカーストは、今も根強く意識されている。カーストによる差別は憲法で禁止されているが、名字でカーストが分かる場合もあり、地方を中心に我が子を同じカーストの相手と結婚させたいと望む親はまだまだ多い。
インドには、バラモン(司祭)、クシャトリア(王侯・戦士)、バイシャ(庶民)、シュードラ(隷属民)という古代の階級制度を起源とする身分に加え、「カースト外」として位置づけられ、かつては不可触民と呼ばれたダリットの人々もいる。
さらに、伝統的に引き継がれてきた職業や地縁、血縁などをもとにしたジャーティ(生まれ・出自)による分類もされており、その数は2000~3000近くあると言われる。
「マトゥリモニー」では800以上もの選択肢から自分のカーストを選べるようになっているが、利用者から「自分のカーストが選択肢にない」という連絡が来て、付け加えることもあるという。
言葉の壁や宗教の違いもこの国ではつきまとう。
「多くのインド人にとって、結婚式は人生で最もお金を使う機会」
インドは多民族国家で、連邦公用語であるヒンディー語以外に、憲法で定められている言語が21もある。ヒンディー語や英語が流暢に話せない人も多く、相手がどの言語を使っているのかは大事な要素になっている。国民の約80%を占めるヒンドゥー教徒が、少数派のイスラム教徒と結婚するのもタブー視されている。
さらに取材を進めると、生まれた年月日と時刻、場所の情報をもとに星の巡りを計算し、未来を占う占星術を頼りに、相手選びをする男女や親が多いことも分かった。
南部ケララ州の警察官として働くニドゥヒン・デブさん(33)とアクヒラさん(27)は、マッチングアプリを使い、住んでいる地域が近いといった条件に加えて、占星術が示す「良き相手」に合致する相手を見つけるまでに2年近くかけた。
結婚式には、親や親戚、友人たち750人を招待して盛大に祝った。「結婚するまで時間がかかったけど、お互いに考え方も合うし、良い相手に恵まれた。3人くらい子どもを産みたい」とアクヒラさんたちは声を弾ませた。
30歳以下の人口が半数を占め、人口ボーナス期のただなかにあるインドの結婚市場は急拡大を見せ、22年には結婚の人気シーズンである11~12月だけで約320万組が式をあげたと言われる。式をあげる時も、占星術を使って縁起の良い日や時間を決めていく。
首都ニューデリーでは週末に結婚式の開催が集中したことで「結婚渋滞」も発生。巻き込まれた新郎が式に遅刻するケースもあったと報じられた。
豪華な食事や衣装、宝石、飾り付けはもちろん、時には高級ホテルを貸し切りにしたり、何千人もの招待客を呼んだりして数日間にわたる祝宴を開くカップルもいる。
大富豪が娘の結婚式のために約1億ドル(約140億円)をかけたと報じられるなど、国内の結婚市場の規模は約500億ドルに上るとの試算もある。
ムルガベルさんは「多くのインド人にとって、結婚式は人生で最もお金を使う機会。
インドの離婚率は1%?
「インドの離婚率は1%を少し上回る程度しかない。それだけ結婚を真剣に捉えているということだろう」
結婚相手などを探すマッチングアプリを開発したムルガベルさんの言葉が引っかかっていた。
なぜそんなに離婚率が低いのだろうか。永遠の愛を誓った夫婦と言っても、何十年も一緒に生活すれば、性格や価値観の違いが出てくる場合もあるのではないか。そんな疑問を抱えながら、首都ニューデリーにある裁判所を訪れた。
法廷の出入り口周辺は順番を待つ親族や関係者であふれ、かなりにぎやかだ。基本的に静寂に包まれている日本の裁判所とは大きく違う。裁判長の許可を得て法廷内に入ってからも、外で待機する人たちの声が聞こえてきた。
傍聴をしていると、30代前後とみられる夫婦が、透明の板で仕切られた裁判官の前に立ち、ダウリーと呼ばれる持参金を巡って争っていた。ダウリーは、結婚する際に、妻側の家族が夫側にお金や物を渡す古い風習だ。本来は違法だが、「贈り物」などとも呼ばれ、数百万円から数千万円になるケースもある。
少しでも社会的地位が高い男性と結婚させたい妻側と、それにつけ込む夫側の思惑が相まって、社会に広く浸透してきた。女性側の負担は重く、夫側の要求に応えられず、家庭内暴力に発展するケースも少なくない。
匿名を条件に取材に応じてくれた女性(37)は、親戚の紹介で結婚した際、夫側の要求で150万ルピー(270万円)ほどのダウリーを渡したと明かした。
だが、結婚後に妊娠できないことが分かると、夫側は「補償」として、バイクを購入するよう要求。夫からは「役に立たない女だ」とののしられ、殴られたり蹴られたりした。命の危険を感じ、しばらくして夫の家から逃げ出した。
彼女は、中学校の年頃までしか学校に行けず、読み書きも十分にはできない。仕事をしている夫に比べて家庭での立場はどうしても弱くなってしまう。「夫と離婚して、ダウリーとして支払った分を取り戻したい」と小声で語った。
ダウリー関連で殺害された女性は約6500人
私が取材をした時は、ちょうどインドで総選挙が実施される直前だった。多くの候補者は、「女性の活躍」を訴えていたが、彼女は信用できないと言った。「選挙の時にだけ『女性に○○を支給する』と訴える政党も多いし、その多くが実現しない口約束だと感じるから」
2022年の警察統計によれば、ダウリー関連で殺害された女性は約6500人で、約1700人が自ら命を絶った。
ただ、検査を担当する医師が、隠語を使って性別を教えてくれるケースもあるようだ。例えば、インドで有名なお菓子「ラドゥ」なら男の子、「バルフィ」「ジャレビ」なら女の子を意味するといった具合だ。極端な事例では、別の国の病院まで行って性別を診断してもらい、男の子でなければ中絶させようとする夫婦までいると報じられている。
首都の裁判所で女性たちを保護する支援員によると、毎月80~90人から家庭内の問題についての相談を受け持つといい、ほぼ全てで女性側がダウリーを夫側に払っているという。夫側に殺虫剤を飲ませられたり、背骨を殴打されたりと、命に関わる暴力事案も多いというから驚きだ。
世界経済フォーラムが2023年に発表したジェンダーギャップ指数で、インドは146カ国中127位(日本は125位)に沈んだ。インディラ・ガンジー元首相ら、女性が活躍する機会もあるが、23年7月~24年6月の労働参加率は男性の78.8%に比べて、女性は41.7%にとどまった。役所への提出書類では、父親の名前は記入するのに、母親は書かないケースが少なくない。
女性は結婚後に家庭に入り、2人程度の子ども(特に男の子)を産み育てることを期待される。男女の経済格差や家父長制の影響は大きく、「離婚は、社会的なタブーだ」との見方も少なくない。それが、「1%」にとどまっている実態なのだろう。
女性支援員は「この国では、夫の言うことは絶対という考えが今も根強い。女性の教育をさらに拡充して、意識を変えていく必要がある」とこぼした。
文/石原孝 伊藤弘毅
『インドの野心』人口・経済・外交――急成長する「大国」の実像(朝日新聞出版)
石原孝 伊藤弘毅
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