〈独占取材〉工業地帯・川崎の新世代ラッパーCandeeとDeechが告白する地元の“傷”と“悲劇”「汚れてしまったイメージを払拭したい」
〈独占取材〉工業地帯・川崎の新世代ラッパーCandeeとDeechが告白する地元の“傷”と“悲劇”「汚れてしまったイメージを払拭したい」

7月、川崎市川崎区のライブハウス〈クラブチッタ〉に大勢の若者たちが押し寄せた。観客をわかせたのはCandeeとDeechという地元の新世代ラッパーだ。川崎区といえば「治安が悪い」と揶揄されることがあるが、数カ月前には“あの悲劇”も起きた。そんな街で2人は今、何を思い、何を歌うのか——。ラップミュージックを軸に“川崎”の深層をえぐったベストセラー『ルポ 川崎』の著者・磯部涼が独占インタビュー。(前後編の前編)

ダークサイドから生まれる新しい芸術

Candee(キャンディー)とDeech(ディーチ)というラッパーを知っているだろうか。

7月15日、川崎駅前にある〈クラブチッタ〉で、彼らのいわゆるツーマンライブが行われた。同会場はキャパシティ1300人ほどの、中規模のイベント会場だが、1988年の営業開始以来、日本のヒップホップ/ラップミュージックをサポートしてきたこともあって、ラッパーにとっての登竜門として知られている。

例えば1995年生まれ、地元・川崎区出身の幼馴染を中心に結成されたラップグループ=BAD HOP(バッド・ホップ)は、2016年に〈クラブチッタ〉でフリーイベントを行なって話題になったことを足掛かりに、2024年の解散公演時には会場が東京ドームになるほどまで成功した。

やはり川崎区を拠点に活動を続けてきたCandeeとDeechは、学年で言うとBAD HOPの2つ下。上述の東京ドームのステージにも上がった、今、日本のラップミュージックの新世代の中でも特に注目を集めるアーティストだ。

そんな彼らにとって、重要な一歩となる地元での初めての大きなイベントは大成功に終わったと言っていいだろう。チケットは完売、〈クラブチッタ〉の周辺は開場前より、全国から集まった若者たちでごった返し、その盛り上がりは近隣のクラブ〈mamuC〉で行われたアフターパーティまで続いた。

その日、CandeeとDeechが主催したイベントのタイトルは『WELCOME 2 SOUTHSIDE』という。そこでの“SOUTHSIDE”とは川崎市南部、つまり地元・川崎区を指す。

京浜工業地帯の要であり、駅前の繁華街では労働者のために“飲む・打つ・買う”の業種が発展してきた。また仕事を求めて、日本のみならず世界各地から集まった人々が他文化社会を形成。

川崎区はそのような街だからこそ、公害問題や差別問題、少年の非行問題などが発露する、現代日本のダークサイドの象徴として見られてきたようなところがある。

一方、同地で育ったBAD HOP、続くCandeeとDeechは荒地だからこそ芽吹く、新しい芸術があるのだということを知らしめた。そしてその表現は地元を越えて、多くの若者たちから共感を集めた。

ただ、CandeeとDeechは主催イベント『WELCOME 2 SOUTHSIDE』を、現代の若者が生きる過酷な現実をあえて強調せず、むしろいっときでもそれを忘れられるような、最高のダンスパーティとして演出した。

Candeeが自身の複雑な生い立ちについて歌った名曲「在日ブルース」が選曲されなかったことは少し残念に思ったが、終盤に披露された「カサブタ」の素晴らしさから彼らの意図が伝わってきた。

晴れた空に
吹かしてる煙
金を稼ぎ
癒してる痛み
昔のことならもういい
カサブタを剥がすように

忘れてない
傷だらけの日々
何もなかったかのように
過ぎ去る一日
昔のことならもういい
カサブタを剥がすように
(Candee & ZOT on the WAVE「カサブタ」より)

過去(傷)よりも、それを克服しつつある現在(カサブタ)を表現すること。かといって過去を忘却するのではなく、そっとカサブタを剥がしてみるように、傷に向き合うこと。

遺族も“地元”のステージに上がった

Candee/Deechの主催イベント『WELCOME TO SOUTHSIDE』の約2カ月前、5月1日にある事件が発覚していた。

川崎区大師駅前の住宅を神奈川県警がストーカー規制法違反容疑で捜索、白骨化した遺体の入ったバッグを押収。遺体の身元は前年12月から行方不明になっていた岡崎彩咲陽(あさひ)さん(当時20)と判明した。

そしてその住宅に住み、前年から彩咲陽さんをストーキングしていた白井秀征(ひでゆき)被告(28)が、アメリカから帰国したところを死体遺棄容疑で逮捕される(5月28日にはストーカー規制法違反容疑で、7月12日には殺人容疑で再逮捕。2025年8月現在までに死体遺棄罪とストーカー規制法違反で起訴)。

白井被告は、CandeeとDeechがかつて所属していた川崎区のラップグループ〈OGF〉のメンバーだった。

詳しくは後述するが、CandeeとDeechは彩咲陽さんのことも彼女が幼い頃から知っており、行方不明になった時点でSNSを通じて情報提供を呼びかけていた。

事件発覚直後にはライブのMCで被害者への追悼と、遺族へのサポートを訴えかけている。またそこでも言っていたように、白井被告とは4年ほど前に袂を分かっていた。

ただそれほど近い場所で、近い時期に起きた事件について、主催イベントではあえて具体的に触れなかったのは、事件がセンセーショナルなものとして消費されることを拒み、その痛みを彼らの表現として昇華していきたいという考えがあったからだろう。

その上で、CandeeとDeechは今回の取材を受けてくれた。本記事がこの悲劇的な事件の背景を理解するための助けになればと思う。

「事件があって、川崎も自分たちのイメージも汚されてしまったようなところがあります。『お前らも仲間なんだろう』みたいな感じで。実際には白井とはだいぶ前から別の道を進んでいたけど、それを知らない人からしたら仕方がないのかなとも思う」

CandeeとDeechは言う(以下、Candeeの発言は〈C〉、Deechの発言は〈D〉で表記)。

C「ただ、だからこそ、今回のライブは『WELCOME 2 SOUTHSIDE』というタイトルにしました。‟サウスサイド”は川崎市南部(川崎区)の意味。全国からいろいろなアーティストを呼んだし、先輩の(元)BAD HOPの人たちを始め、川崎区のアーティストにも出てもらった。

やっぱり全国から来てくれるだろうお客さんには川崎で遊んで、この街の良さを知ってほしかった。そうやってネガティブなイメージを払拭する。それが今、自分たちにできることだと思っています」

「My Block」(“地元”の意味)という曲で、彩咲陽さんの遺族を含め、たくさんの友人/知人、そして彼らの子どもたちをステージに上げたのには、そのようなメッセージが込められていただろう。

毎日のようにいた白井被告の家

CandeeとDeechはカサブタを剥がすように、過去を振り返ってくれた。

2人の出自を正確に言うと、Candeeは川崎区出身。Deechは東京都大田区出身で、高校時代に川崎区へ移住した。Candeeは被害者遺族である岡崎家とは、若い頃から付き合いがあったという。

C「岡崎さんの家には10代の頃、よく遊びに行っていました。そこに彩咲陽さんもいたと思うんですけど、歳が離れているのでまだ小さくて、記憶の中の姿と大人になった姿が結びつかなくて。ただ、僕らのことは覚えてくれていたみたいです」

岡崎家の兄弟にも、ラッパーが何人もいる。彼らが楽曲を通して彩咲陽さんを追悼する姿には、川崎区の文化を感じた。

D「弟さん(K-WILY)は事件の前、地方で僕のライブに来て、挨拶をしてくれたことがあって。そのときは『こんな若い子がラップをやるんだ。やっぱり川崎だなぁ』と思いましたね」

そしてCandeeとDeechは彩咲陽さんの遺体発見現場である白井被告の自宅にもよく足を運んでいた。

C「あそこには、10代の終わり、〈OGF〉を始めた頃は毎日のようにいましたね。特に僕とDeechと白井と、3人で遊ぶことが多かった。だからあんなことが起こるなんて、家の中を想像できるからこそ怖いです」

さかのぼると、Candeeと白井被告が出会ったのは小学生の頃だという。学校は違ったが、所属していたサッカー・チームが同じだった。中学生時代はほぼ付き合いはなく、行動を共にするようになったのは、〈OGF〉が始まってからだ。

C「〈OGF〉はもともとはギャングチームみたいなものだったんです。自分たちの世代にも暴走族はいましたけど、僕らが選んだのはギャングというスタイルで。でも、そこに白井はいなかった。それが『ちゃんとラップグループとしてやろう』っていうときに……誰が連れてきたんだろう? いつの間にかいたっていう感じで」

CandeeとDeechは〈OGF〉名義で2020年に発表したアルバム『DROP OUT』以降はグループから離れ、白井被告とも疎遠になる。ラッパーとして成功しつつある2人は、今、かつての仲間が起こした事件についてどう向き合うのだろう。

後編〈独占取材〉なぜ川崎の不良少年は新進気鋭ラッパーに変われたのか?  CandeeとDeechが語る仲間との決裂、拉致、そして“あの事件” に続く 

取材・文/磯部涼

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