「結婚に逃げたところもあった」中村あゆみが『翼の折れたエンジェル』から40年経った今、錚々たるママたちを集めてフェスを開催する理由
「結婚に逃げたところもあった」中村あゆみが『翼の折れたエンジェル』から40年経った今、錚々たるママたちを集めてフェスを開催する理由

昨年デビュー40周年を迎えた歌手の中村あゆみさん。今年はブレイクのきっかけとなった名曲『翼の折れたエンジェル』のシングルリリースから40年となる。

デビュー時からの二人三脚のマネージャーとともに、「紅白を目指す」という目標を掲げ、日々メディア展開を送っている。 

 

後編では、突如売れっ子となった中村さんの当時の様子と自分を見失いかけた時期、それを乗り越えたうえでの今の思いを語ってもらった。(前後編の後編) 

中村あゆみの挫折

1984年に歌手としてデビューし、1985年に発表したサードシングル『翼の折れたエンジェル』が大ヒットした中村あゆみさん。

メジャーデビュー直後のシングル2作目までは思ったように話題とならず、イベントにもファンが10人程度しか来ない日々が続いていたという。

しかしそんな日常は、サードシングル『翼の折れたエンジェル』が売れたことにより一変。同時期に中村さんのキャラクターがおもしろいとレギュラー番組が次々と決まったこともあり、知名度も一挙に全国区となった。

1986年には東京・明治神宮野球場で行なわれたワンマンライブに約3万人を集めた。

「音楽のことなんてまだ全然わかっていなかったけれど、プロデューサーの高橋研さんから『とにかく騒ぐように』って言われてその通りにしました。そうしたら(私を)見ている人たちが喜んでくれるからそれが楽しくて、自分なりにがむしゃらにやっていました」(中村さん)

「顔と声がミスマッチで六本木で遊んでいるユニークな女の子」だった中村さんのスター性を見抜き、デビューに尽力していた石岡和子さん(現マネージャー)という頼れる存在が常に横にいたものの、知名度が上がり、後輩たちが増えるにつれ、音楽との関わりについて悩むようになってくる。

お世話になっていた事務所が提案する方向性についていけなくなったり、「ロック歌手・中村あゆみ」の生みの親ともいえるプロデューサー、高橋研さんとのコンビもビジネス的な理由で解消することになった。

「私はもともと、(音楽の)素養があったりだとか、ものすごくなりたくて歌手になったわけではなかったんです。

女性のロック歌手といえば、白井貴子さんや山下久美子さんといった、ロックのために生まれてきたような先輩がいました。そういった先輩方が道を切り開いてくれたおかげで、私や、レベッカのNOKKOちゃん、渡辺美里ちゃんなんかが注目してもらえたと思う。



中島みゆきさんや松任谷由実さん、竹内まりやさんみたいなもともと素晴らしい楽曲が作れて、人々を魅了する歌声を持っている、音楽のために生まれてきたような方たちを見ていると、ヒットを経験していたとしても『私なんてイカサマ野郎じゃん』って思うようになったんです」

娘から言われた言葉にハッとする 

作詞作曲をこなせるようになっても、その悩みを払拭することはできなかった。

「それで……。結婚に逃げたところもあったと思います」

歌手としてではなく、妻らしく、母らしく、女らしく生きてみよう。

2度目の結婚の際には、娘が生まれた。子どもの誕生はこれまでの人生で何よりも嬉しく、歌手としての活動を休止し、当時の夫を支える立場となり子育てにも全力投球をした。

しかし、そこにあったのは、ニセモノどころか、本当の自分を押し殺す日々だった。

そんな折。なにより本人が「歌う中村あゆみ」を求めていたことに、一番身近な存在からの指摘で気づく。

「娘が私のPVを見つけて『歌っているママかっこいい』といわれ、ハッとしたんです。そもそも娘も、私に対して良妻賢母を求めていなかったんですよね(笑)」

母であり、女であり、歌手・中村あゆみでいたいんだ。

シングルマザーとして生きることを決め、中村さんはもう一度ステージに戻った。

「『他人は他人、自分は自分』という心境になってから、私はすごく楽になったの。若いころはもっと自由に生きていたはずなのにね。

あのときの娘の言葉で、見失いかけていた本当の自分に、気づくことができた」

そんな中村さんは、自分の経験を踏まえ、いま人生に悩んでいる人にこうアドバイスを送る。

「自分を俯瞰してみてほしい。生きるってすごくシンプルなことだって気づいてほしい。社会的にこうだから、っていう考え方はもう古いと思う。

あなたが今、悩んでいるなら、自分にとって何が気持ちいいか、好きか嫌いかでもっと判断していいんだよ、って」

歌手としての挫折があったからこそ、学んだ人生観。紡ぎ出される中村さんの言葉はとても優しさで溢れている。

例年開催されていた『ママホリ』の次の舞台は…

2021年より年に1回、中村さんは『ママホリ』(ママHOLIDAYフェスタ)というイベントのオーガナイザーを務めてきた。

これは、コロナ禍で疲れ切っているママたちを元気にするため、中村さんと同じくママであるアーティストが集結するというライブイベントだ。

「私たちアーティストも公演ができなくなり、大変だったんです。そのマイナスのエネルギーを、プラスに変えようと。ママたちが子ども連れで心から楽しめるイベントをやりたいな、と考えて。

観客もママも、演者のママも、一緒に楽しんでしまおうと。

ママだって、自分の気持を大切にして楽しんでいいんだよ、って」

中村さん自身が直接掛け合い、会場の交渉から始まり、文化庁やさまざまな企業の支援も取り付けた。

「会場にはベビーカーのまま入れるようにしたし、ライブ中に子どもが泣いたって構わない。私たちアーティストだって、来ているお客さんだってみんなママの気持ちが痛いほどわかるもの。だから、お祭り騒ぎで楽しいイベントですよ」

これまで、中村さんと同じ時代を走ってきたレベッカのNOKKOさんを始め、相川七瀬さん、斉藤由貴さん、hitomiさん、AIさん、土屋アンナさんなど、錚々たるママたちが参加してきた。

「第1回目のときからNOKKOちゃんは二つ返事で参加してくれたし、斉藤由貴さんは会場をあっという間に由貴ワールドにしてしまう不思議な魅力がすごいのなんのって(笑)。hitomiちゃんもAIちゃんも土屋アンナちゃんも、ほんとに素敵な人たちでステージングがすごい! みんなママだけど、自分らしさも見失わずにいて、尊敬できるメンバーです」

毎回好評の『ママホリ』だが、今年2025年は開催せず、来年のために準備中だとか。

「演奏中に会場の子どもが泣いても全然いいし、ベビーカーOKのイベントのままですが、『ママ』の壁を取っ払おうと考えているんです。世の中には、ママになれなかった人や、愛犬や愛猫などのママでいる人、シングルファーザーもいます。そんな、さまざまな人に向けてのイベントにしたい。

でも、『ママ』というキーワードは残したいから、『母の日』、5月10日に、NHKホールでやります。イベント名も『スーバーレディースフェスティバル』に。

コンセプトは『母なる愛を持った女性アーティストが世界に愛を発信する場』。

素敵でしょ?(笑)」 

瞳を輝かせながらイベントについて柔らかい表情で語る中村さんの隣には、彼女をまさに母のように見つめる石岡さんがいる。

「私は子どもを持たなかったけれども、あゆみちゃんの娘を孫みたいな気持ちで育ててきました。あゆみちゃんは私に次の世代と関わる接点を作ってくれた存在でもあるんです」(石岡さん)

「自分なりの価値観」という翼を羽ばたかせ、人生を進んでいこうと頑張っている人たちを、中村さんはいつまでも応援し続けている。

PROFILE 中村あゆみ(なかむら・あゆみ)●1966年6月28日、大阪府生まれ、福岡県育ち。1984年に高橋研プロデュースによるシングル『MIDNIGHT KIDS』で歌手としてデビュー。翌1985年にリリースした3枚目のシングル『翼の折れたエンジェル』が日清カップヌードルのCMに起用されて大ヒットを記録する。1999年の出産を機に音楽活動を休止したが、2004年に2度目の離婚を経て、歌手活動を再開。

10月24日に大阪・ビルボードライブ大阪、31日に神奈川・ビルボードライブ横浜でワンマンライブ「中村あゆみ AYUMI NAKAMURA WONDERFUL NIGHT 2025 40th Anniversary 熱く、美しく、ときめきの夜AYUMI WORLD全開」を開催。

取材・文/木原みぎわ

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