
さまざまな「〇〇ハラスメント」という言葉が増殖し、職場を中心に横行している。「何がハラスメントとして捉えられるかわからない」と、若手社員と距離をとっている管理職や中年世代の会社員は多いだろう。
書籍『若者恐怖症――職場のあらたな病理』より一部を抜粋・再構成し、経営学者の舟津昌平氏にハラスメントが生むハラスメントについて解説してもらった。
スメハラの何が問題か?
たとえば匂いで周囲を不快にさせる嫌がらせ「スメルハラスメント」、通称スメハラについて考えよう。産経新聞の特集記事では、「スメハラで精神的に追い詰められてる」「職場でのたばこの匂いが気になる」といった投稿が連日SNSを賑わせているという。
SNS! SNSは別に企業の相談窓口ではないことは、あまり知られていないようだ。
厚生労働省はパワハラやセクハラにはガイドラインを設けているもののスメハラには明確な基準がない。ゆえに「喫緊の課題と捉えられていない」と記事で述べられる。
「喫緊」なる概念が浮上する。つまり「他にもっと大事なことがある」。記事内でも「セクハラやパワハラと同様に扱うのは難しく、どちらかといえばエチケットマナーに近い」と解説される。
たとえば喫煙者が多い職場で体調が悪くなってしまう。だから職場に改善を要求するケースは妥当極まりないし、職場としても対応すべきだろう。ただ「においが加害になっている」という事象自体は残念ながら「後回し」にならざるを得ない。
自分にとって不快なことをハラスメント扱いして他者に解決を求める。もはや当たり前になっているこのプロセスには大きな問題がある。他者に「それは優先順位として重要でない」と言われたらそこまでなのだ。そしてほとんどすべての会社は個人の問題を最優先事項に据えない。
さらに言えば「この人クサいからどうにかして」と声高に叫ぶことは「逆ハラスメント」になりうる。相手がオジサンだから何を言ってもいいと居丈高になり(優越的な関係)、仕事に関係ない範囲までクサいと言い(業務範囲を超えている)、オジサンが仕事を継続できなくなってしまう(仕事に支障が出ている)ならば、パワハラ要件に当てはまる。
ハラスメントとはけっして、自分の嫌な気持ちを他人が解決してくれるための簡便な手段ではない。そこは絶対に間違ってはいけない。逆ハラスメントも十分に成立することも知っておいて損はない。
濫用の危険性
そして先述の調査によるとここ10年で2倍に激増しているのは「相談」であり、玄田氏らの調査で扱ったのは「主観的な経験の有無」である。それらが「結果的に本当に問題と認定されたのか」については問われていない。
相談が実際に問題化したのかを正確に捕捉するのはかなり困難だ。ただ「パワハラの疑い」がすべて「パワハラ」になるわけではない。
これが濫用であるかの判断には慎重を要する。いままで我慢してきたこと、泣き寝入りしてきたことがやっと真剣に対応されつつあるかもしれないからだ。
しかしここまで急増すると、優先順位が当然生まれてしまう。「トリアージ」もなされるだろうし、重要な案件が紛れてしまう可能性もある。濫用にならない努力を社会として進めないといけない。相談が激増し、なんでもハラスメント扱いされかねないからこそ、組織は妥当な線引きを凛として行わなければならない。
ハラスメントだと認定するためには慎重を要し、会社もきちんと関与(エンゲージメント!)するよう法律もできたし、第三者の関与も可能になった。こうした動きは「気軽にハラスメントだと言えばいい」ことを意味しない。むしろ真逆だ。「ハラスメントについてきちんと考えて、そうであるものには厳正に対処し、そうでないものもはっきりさせよう」とする流れだと解釈すべきなのだ。
ハラスメントに関して解釈主義は許されない。「あなたが思えばそれが事実」ではなくて、妥当な認定に至るよう慎重にならないといけない。なんでもハラスメントに仕立て上げて面白がる風潮は確かに存在する。だからこそ、そんなもんハラスメントじゃねぇよと断言する権利も、会社にも上司にも当然あるのだ。
パワハラの根源は往々にして上司である。しかし上司「だけ」の問題にしてはいけない。それは職場と会社の問題であり、組織の問題であり、その意味で「みんな」で解決すべきものだ。個人に帰責するだけではいけない。
ここまで説明してはじめて、厚労省の言葉に重みが増してくる。
「上司には、自らの権限を発揮し、職場をまとめ、人材を育成していく役割があり、必要な指導を適正に行うことまでためらってはならない」
親しみやすさの苦しさ
なんだか雄々しく理想論を語ってみたものの現実はそうは甘くない。「ためらってはならない」のにみんな若者にビビりまくっている。そして恐怖は意外なところにひずみを生み出している。
若者はどうやら親密な交友範囲が狭くなっている。
突然だが筆者のエピソードを紹介したい。大学生のころ、所属していたサークルの「新歓」があり、新入生の応対をする人材配置の仕事を担っていた。新入生を入部させるためにはやはりストレスを与えず好印象なのが大事だろうと思って、主に女性、なかでも「印象のよさそうな」女性を選んでいた。
ところが新歓がうまくいかない。それなりに見学に来るけど入部に至らず新歓が長引き、担当女性陣を酷使することになる。印象のよい方なので面と向かって不平不満を言ったりはしないのだが、苦笑いしながら「なんだかもう笑い疲れた」とこぼしていた。
作り笑顔で応対するのがしんどいというのだ。そのとき筆者は「あっ、自分はなんかすごい間違ったことをしていたんじゃないか」と恥ずかしながらはじめて気付いた。
印象がよいと言っても常にストレスなくふるまえるわけでもなく、初対面の相手に対してならなおさらだ。その女性なりに気を遣ってしんどかったのだろう。新入生のストレスをなくすために結果的に同僚にストレスを強いていたわけだ。
とある若年女性の社会人の方も、こういうコメントをくれた。
「若手には、世代や性別が異なる人とのコミュニケーションが苦手な人が多い印象です。それで、私が比較的若めの女性であるというだけで話しやすいと評価され、若者に懐かれる、みたいなことも、逆にありました」
ハラスメントしたくないという恐怖は、怖くない人をあてがっておけば何とかなるだろうという安易な解決法へ組織が流れる危険に繋がっている。ジェンダーの観点をふまえてもおおいに問題がある。
「女性をニコニコさせておけば釣れるだろう」みたいな実に失礼な考えに至り、未熟な若者の一部がこれまた安易に流されるので「優しそうな人」「若い女性」にしわ寄せがきてしまう。ストレスを別の人に移転しているだけなのに。
書籍『おさえておきたい パラハワ裁判例85』(君嶋護男著 労働調査会刊)でわざわざ強調される一節がある。
「部下の勤務態度の悪さもパワハラの一因」
だというのだ。
著者の君嶋氏は裁判例の執筆を終えて「もう、うんざり」と感想を正直に書き残す(感想だって勉強になる)。
「人間は一体どこまで意地悪になれるのか」「ただ優越的地位を利用していじめを楽しんでいるとしか思えない事例も少なくない」。
醜悪な事例を追うなかでの結論のひとつが「被害者が無謬であるわけでもない」というのだ。
ここまで述べれば一見雑な結論も許されるだろう。若者に迎合すればハラスメントが防止できるわけもない。有効そうな防止策が他のハラスメントを誘発することすらある。
ハラスメントを防止するために他の誰かにリスクを移転する「ハラスメント・ハラスメント」にならぬよう、どこかで歯止めをかけないといけない。
若者恐怖症ーー職場のあらたな病理
舟津 昌平
「若者がこわい」は、職場に潜むあらたな病だった。
気鋭の経営学者が読み解く“年の功”消滅社会の正体
「コンプラ大丈夫?」「それ、ハラスメントですよ」
こんな言葉が飛び交う現代の職場では、若者に対する漠然とした恐怖が広がっている。
少子化による超・売り手市場により、年功序列のパワーバランスは逆転した。新人を腫れ物扱いしたり、若手に過剰に忖度している場面に、心当たりはないだろうか。
そんな時代、上司や先輩社員は若手への適切な指導や対話ができずに悩み、ときに「どうせすぐ辞める」「関わるだけ損」などと、距離をとってしまう。こうした空気が、職場に深刻なコミュニケーション不全をもたらしている。
本書では、経営学者・舟津昌平氏が、「飲み会離れ」「早期離職」「やりがい・成長」「ハラスメント」などのキーワードを手がかりに、職場で静かに進行する“若者恐怖症”の実態を明らかにする。
データと現場の声をもとに、通説の矛盾を暴き、世代間の不信やすれ違いの背景にある社会構造を読み解いていく。
部下のマネジメントに悩む管理職はもちろん、20代・30代にも、Z世代にも読んでほしい、
すべての働くひとに向けた、職場改善の処方箋。
【目次】
はじめに 老害になりたくないあなたへ
第1章 若者恐怖症─たとえば、飲み会恐怖症
第2章 若者論の交通整理─Z世代をたらしめるもの
第3章 そして何が問題なのか─神話の喪失、竹槍と学徒動員
第4章 離職恐怖症─若者はすぐ会社を辞めるのか
第5章 やりがい恐怖症─若者は成長しないといけないのか
第6章 ハラスメント恐怖症─若者はなんでもハラスメントって言うのか
第7章 持病とつきあっていく─いっしょに恐怖を飼い慣らす