
昨今、タイでは、性別適合手術(性転換手術)の手術技術・費用・アフターケア体制の整備により、アジア・欧米からの渡航者が増えている。いわゆる“性転換ツーリズム”だ。
おもに利用するのは、生まれたときの性別と自認する性別が一致しない「トランスジェンダー」の人々だが、その実態とはどのようなものか。タイで性別適合手術を受けた当事者に話を聞いた。
はるな愛も優勝した「美の世界大会」を目指して
タイのパタヤで開催される、「ミスインターナショナルクイーン」というトランス女性のためのビューティーコンテストがある。日本国内においては、タレントのはるな愛が2009年にグランプリを獲得したことで知られている美の祭典だ。
その日本版である「ミスインターナショナルクイーン日本大会」でグランプリを獲得し、日本代表として「ミスインターナショナルクイーン」への出場に挑むトランス女性が、雨松美菜さんだ。
「はるな愛さんに続く、16年ぶりの日本人2人目の世界グランプリを目指しています。性別や年齢を超えた、その先の未来のため進み続けます」(雨松美菜さん、以下同)
日本大会を制し、世界を目指すほどの美貌を持つ彼女は、バンコクで性別適合手術と「骨削り」と呼ばれる美容整形手術を受けたことを公表している。
“膣形成”を伴う適合手術──「治療に苦しみ、命を絶つ人も」
性別適合手術において非常に重要なステップのひとつが、陰茎と陰嚢の皮膚を利用して、膣を形成する「膣形成」だ。
この手術は単なる「性器の見た目」を整えるだけでなく、「自分の身体との違和感を減らす」ための精神的な意味合いも大きいとされる。ただし、身体への負担(感染症・出血・癒着・深さの不足・性感減退など)のリスクも少なくない。
彼女は当初、日本国内での手術を考えていた。しかし性同一性障害のガイドラインに沿った専門病院で診察を受けると、海外の病院に比べて日本における性別適合手術の歴史は浅く、症例数も決して多くはないことが分かった。
発展途上の段階にあり、研究目的色が強い印象も受けたという。さらには順番待ちや資金といった現実的な壁があり、一度はあきらめざるを得なかった。
一方でタイではこの手術に長けた医師が多く、世界中からの患者を受け入れていた。費用面でも、日本で膣形成を伴う手術を受けると200万~250万円前後かかるが、タイの有名クリニックでは手術費だけなら130万円台~と比較的割安。しかし渡航費や滞在費を含めると結局180万円前後になり、選ぶ術式によっては日本と大差ない場合もある。
「人生で一度きりの大きな決断を託すには、日本の現状は不安でした。もちろん“日本だから安心”という気持ちはありましたが、日常的に症例をこなしているわけではないんです。治療に苦しみ、命を絶つ人もいると聞きました」
「タイだから格安」というわけではないが、症例数や設備、アフターケアを含めれば“コスパが良い”と考える人は多いという。
顔の輪郭と自己肯定感を変えた「骨削り」
さらに彼女は「骨削り」と呼ばれる美容整形手術も行なった。骨削りとは、顔の輪郭を整えるために、顎や頬骨などの骨を切除・削る美容整形手術。全身麻酔が必要で、ダウンタイム(術後に普段の生活に戻れるまでの回復期間)も長く、高い技術とリスク管理が求められる大掛かりな手術である。
「正直、以前は顔がきつかったけど……手術してから柔らかくなったね、と周囲からよく言われます」
美容整形を決断したことが彼女の自己肯定感を大きく押し上げ、日々のモチベーションにもつながっていったという。外見の変化は、写真を見比べれば一目でわかるほどだ。
“膣の拡張”を行う専用スペースもある専門クリニック
美菜さんが手術先に選んだのは、性別適合手術(SRS= Sex Reassignment Surgery)の分野で世界的に知られ、年間100件以上もの手術を手がける有名な病院のひとつだ。
タイで手術するにあたって最も心配していたのは衛生面だった。しかし実際に足を運んだ病院は、日本製の設備を導入し、想像以上に清潔だったという。
「入ったのは個室。ホテル並みの設備で驚きました。想像していた“安かろう悪かろう”とは全く違いましたね」
患者は術後に専用の宿泊施設に宿泊できる。施設では膣の拡張(ダイレーション)を行う専用スペースや、ホテルの部屋にナースコールを設置するなど、サポート体制は徹底していたという。この徹底ぶりが、タイが“性転換手術の本場”と呼ばれるゆえんだろう。
トランス女性にとって「多様性」とは?
現代の日本社会には「多様性」「女性の社会進出」といった言葉があふれている。だがトランス女性である美菜さんは、それをどのように感じているのだろうか。
「LGBTQとか多様性とか……そんな言葉がいっぱいあるじゃないですか。日本社会の中で蔓延しているって言ってもいいぐらい。でも結局、どれも中途半端だと感じています」
トランス女性に関しても、日本では手術を受ければ戸籍や名前を変えることができる。それ自体は“幸せ”な面もあるが、誰もが手術を受けられるわけではない。経済的・身体的な事情であきらめざるを得ない人もいる。
「日本では、手術をすれば性別変更ができる。でも、その裏には“好きにやらせてあげてるんだから、黙っとけよ”という上から目線な思想が見えてしまうんです。私自身は身体も変えて、生物学的な性も変えて、もう女性として生きている。でも、周囲では“もっと主張させろ”という声が強まっているのも事実です」
さらに彼女は、他のセクシュアリティが置き去りにされている現状にも触れた。
「ゲイやレズビアン、バイの人たちは置いてけぼりじゃないですか。パートナーシップ制度も全国で統一されていない。自治体によってバラバラで、本当に必要なのは国レベルでの制度整備だと思います」
性別適合手術が医療的にも制度的にも一定の成熟を見せているタイに比べ、日本ではいずれも発展途上にある。美菜さんのような、大掛かりな手術を経て“その後”を生きる個人の声は、生きづらさを感じている人たちが「こんな選択肢もある」と気づくきっかけになりうるだろう。
※すべてのトランスジェンダーの人が医療的措置(ホルモン治療・手術など)を選ぶわけではありません。本記事では美菜さん個人の意見と体験を紹介しています。
取材・文/伊藤良二 写真提供/雨松美菜