
孤独を埋めるように、自己否定から逃れるように酒に溺れ、夫との激しい衝突を繰り返す専業主婦の女性。依存症治療で酒を断ち切った後も、残ったのは寂しさや不器用な人間関係の苦しみだった。
『ルポ 熟年離婚』より一部抜粋、再編集してお届けする。〈全2回のうち2回目〉
「私は誰からも愛されない」「人から嫌われている」
あかん。あかん。これで最後にしよう。
一人きりのリビングで、缶酎ハイのふたを開ける。罪悪感を消したくて、のどに流し込む。
関西地方の女性(現在47)にとって、専業主婦の生活は想像以上に孤独だった。
独身時代に勤めた会社をやめて、2002年6月、夫(同55)と暮らし始めた。激務で帰れない彼。知らない街。やることがない暮らし。寂しくて長すぎる一日を、食べて吐き、飲んでやり過ごすしかなかった。
結婚前は、両親と兄の四人家族。長男だからと大切にされた兄と違って、女性にはかわいがってもらった記憶がない。父とは会話すらあまりなかった。母は父の言うことを聞くだけだった。「私は誰からも愛されない」「人から嫌われている」。そんな思いが消えないまま成長した。
高校時代、「やせたら好かれるかも」とダイエットしたのをきっかけに、食べ吐きをやめられなくなった。大学に入るとコンパで酒を覚えた。人と話すことが苦痛だったけれど、飲んでいれば苦しまずに話ができた。
「背中を天使が通った」出会い
23歳のとき、京都市内のライブハウスで当時31歳の夫と出会った。楽しくて、親しみやすくて、自分のことを「かわいい」と言ってくれる。そんな初めての男性だった。
「初めて出会ったとき、背中を天使が通ったように温かくなったんや」。
でも、内心では「嫌われるんじゃないか」と不安でいっぱいだった。自信がなくて根暗な自分を見せないため、精いっぱい明るくふるまった。
結婚前から患っていた過食嘔吐も飲酒癖も隠し通すつもりだったが、半年ほど経つと夫に知られていた。彼がいるときは食べ吐きだけは我慢したが、酔った姿を見せるようになった。
彼には衣服を脱ぎ散らかす癖がある。そのたびにイライラして、悪態をついた。
「あんたの後をついて回って片付けせなあかんのか」「私は家政婦か」
口論が激しくなった。過去の発言を持ち出して、夫を責めた。
「笑顔の絶えん家庭をつくるって言うたくせに。私の人生返せ!」
彼が逆上して殴りかかってくると、腕にかみついて抵抗した。
心の中は複雑だった。
05年、双子を出産した。はじめは赤ん坊を慈しむ気持ちがあった。
ところが、食べ吐きが減り、酒量が増加。台所にある料理酒にまで手を出すようになった。以前にも増して感情のコントロールが利かなくなった。
酔いに任せて「はよ食べえや!」と子どもの口に食べ物を詰め込み、寒い日、嫌がるのを無視してぬれた洗濯物を着せようとした。夫とけんかするときには、子どもの前でも殴り合った。
酒はやめたけど、新たな苦しみが
酒をやめたい。でも、やめられない。
子どもたちが小学校に上がるのが不安だった。幼稚園に送りとどける朝だけは酒量を抑えたが、自分たちで登校するようになったら、たがが外れて朝から酔いつぶれてしまうんじゃないか。
夫に連れられて依存症専門の医療機関を受診した。
「あなたはきっと変われますよ」。主治医の言葉に涙があふれた。
後になって、夫は子どもを連れて有利に離婚するため、自分を「妻の暴言・暴力による被害者」と証言してもらおうと受診に連れ出したことを知った。「本当は、自分にないものを持っている彼にあこがれていた。私は別れる気なんてなかった」
とはいえ、それがきっかけで酒を断つことができた。一方で、新たな苦しみが始まった。
寂しさ。自信のなさ。人づきあいの苦しさ。酔いにまかせて消してきた負の感情に、しらふで向き合わなければならない。夫婦の暴力の応酬も変わらず続いた。
「酒が杖やったから、それなしでどう生きたらいいか分からんかった」
しかし、何年かたつと、夫の態度が変わった。けんかになりそうになると、黙って2階へ消えていく。
「何で逃げるんや。夫婦って話し合うもんちゃうんか」。はじめはいらだって追いかけたが、彼は取り合わなかった。
夫婦で通い続けている依存症の「自助グループ」で先輩に不満をうち明けると、「あなたが話し合う態勢でいないんと違うか」と指摘された。たしかに。「私がけんか腰やったら、彼も話し合いできんやろな」
夫が逃げたら、追いかけるのはやめた。そして、できるだけやわらかい態度を心がけてみた。気持ちは同じやったんや。
年を追って夫婦げんかは減り、コロナ禍あたりからなりをひそめている。
何が平穏な生活を支えているのか。
双子のきょうだいはこの春、高校を卒業した。暴力の嵐の中で育った二人は反抗期もなく、18歳と思えないほど周囲に気を使う。その姿に、自分が負わせた傷の深さを見る。
この子たちが恋愛したら、仕事をしたら、周囲に気を使いすぎてうまくいかないんじゃないか。心配は尽きず、親としての自分を責める。
「悲しい思いばっかりさせてきた。もっと自由に感情を出させてあげられたらよかった」
家に暴力が飛び交った時代をほぼ知らない小学生の第3子は天真らんまんだ。「普通に育つと、子どもってこんななんやな」
かつて酒で消していた対人関係の不器用さや真面目すぎる性格は残る。「自分のお守りはまだできていないけど、一人で耐えずに人に助けを求めるようになったかな」
最近、夫とはずっと同じ気持ちだったと気づいた。
「『子どもたちと楽しく暮らしたい』って気持ちは同じやったんやなって。子どもたちの傷を癒やすために、私と彼が一緒に前を向いてなあかん」
小学生の子が先日、「今日は何もなくて、いい日だったね」と言った。「深いこと言うなあ」と感心した。
何もない、穏やかなだけの一日。いろんなことをくぐり抜けた今だから、そんな日が大切に感じられる。
文/朝日新聞取材班 写真/Shutterstock
ルポ 熟年離婚
朝日新聞取材班
「一人に戻って残りの人生を自由に暮らしたい」
ある日突然、離婚を切り出されたらどうするか?
●心身を害してまで一緒にいることはない
●夫婦間で募る不機嫌。でも「離婚は避けたい」なら
●離婚が経済的に損なのか得なのか
婚姻期間が20年以上の熟年離婚は3万9810件、離婚率23・5%。統計のある1947年以降で過去最高を更新し続けている。子育てが一段落したことも離婚を決断する要因となり、退職金や年金などの財産分与を考える場合、「夫の定年の2~3年前から妻は準備に動きだす」という。
1950年の男性の平均寿命は約60歳だったが、今や81歳。人生100年時代、定年後に夫婦で過ごす時間はかつてなく長くなっている。一方、「卒婚」「熟年婚活」が盛んという現象も。令和ニッポンの「熟年離婚」を追った徹底ルポ。専門家による役立つアドバイスも満載。
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