
昨年暮れから行方不明になっていた川崎市川崎区の岡崎彩咲陽(おかざき・あさひ)さん(20)がストーカー被害を訴えていた男の自宅で白骨化した遺体で見つかった事件で、神奈川県警は9月4日、検証報告書を発表した。これまで「必要な措置を講じてきた」と弁明していた県警は同日、和田薫本部長が「対応は不十分で不適切だった」と態度を一変させ謝罪、約40人規模を処分する方針を示した。
家族と関係者の努力があっての「ごっつぁん逮捕」だった
この事件では、米国に逃亡を図っていた岡崎さんの元交際相手の白井秀征被告(28)が5月3日、帰国した羽田空港で捜査員に確保され、ストーカー規制法違反や死体遺棄、殺人容疑で逮捕・起訴されている。
しかし岡崎さんが行方不明になった際、自宅の窓ガラスが割られていたことや、事前に執拗に周囲をうろついていた白井被告が急に姿を見せなくなったことを不審に思った家族の指摘を、川崎臨港署が「事件性なし」と門前払いした。
その後も同署は白井被告の自宅などに拉致されている可能性を訴える家族のことを、ことごとく無視した。そして岡崎さんは4月に白井被告の自宅から遺体で見つかった。
そもそも白井被告の身柄をおさえられたのも県警の捜査力ではない。家族と関係者の地を這うような努力があってのもので、いわば「ごっつぁん逮捕」だ。家族から相談を受けて“捜査協力”していた元兵庫県警刑事の飛松五男さんはこう語った。
「白井には兄と姉がいます。姉はカリフォルニア在住で、アメリカに逃げた白井はこの姉の手配で身を潜めていたはず。兄のほうは『弟なら拉致をやりかねない』と、失踪したアサヒさんを必死で捜していました。
彼は岡崎のお父さんのことを一時は手伝っていたのですが、途中から非協力的になって関係が切れました。
だがその兄から、4月30日夜に始まった家宅捜索の途中、5月1日の午前3時に岡崎さんのお父さんに電話があったんです。
遺体が出たことを知ったのかどうかはわかりませんが、その時間に電話してくるのは普通じゃないから、ピンときたお父さんは『弟の居場所を教えてくれ。
白井の兄貴は『わかりました。調べてお知らせします』と返事して、翌日に『もう航空券を用意して帰国の段取りをしました』と電話してきました。どうも白井の姉ちゃんも(帰国するよう)白井を説得したようです」
警察はこのような形で帰国してきた容疑者を“ごっつあん逮捕”したにすぎない。
県警本部長にも厳重注意
さらに、家族の古くからの知人女性は警察の事なかれ主義にこう激昂していた。
「一番許せないのは、アサヒちゃんが失踪した後に家族が川崎臨港署に『(岡崎さんが)警察に何度も相談してるでしょ』って問いただしたのに『(岡崎さんから)電話はありませんでした』と嘘をついたことです。
それで家族は通話記録を取り寄せて『こんなに電話してるじゃないか。これはなんだ!』と迫ったんです。とにかくこの警察署の対応はおかしい。全部私たちが言っていた通りのことが起きていて、それでアサヒちゃんは亡くなった。本当に悔しいです」
同署や県警捜査1課の後手に回った対応に対し、「救えるはずの命を見殺しにした」という批判が高まり、大きなうねりとなった。そこで県警は5月から一連の対応を検証していた。
報告書では「担当した警察官全員が危険性や切迫性を過小評価して報告や記録化を怠った」など根本的な初動のミスを指摘。
また県警本部に対しても「川崎臨港署からの報告を追認するにとどまった」などと当事者意識が希薄だったことを批判、本部内にストーカー事案を統括する参事官級ポストを新設して部署間で適切な連携が取れる仕組みを構築するとした。
和田本部長は報告書発表に伴う記者会見で、自らが警察庁から管理責任を問う口頭厳重注意処分を受けたことを明らかにし、「県民の皆様の信頼を損なうこととなり責任を痛感しています」と謝罪した。
神奈川県警が非を認めたとの知らせを聞いた飛松さんは、「必ずこうなると思っていたし、取り合おうとしなかった川崎臨港署の担当者には、“あんたらのこの対応には最も厳しい処分が下ることになるぞ”とも警告していたんです」と事件を振り返る。
「岡﨑さんの家族から彩咲陽さんが失踪した状況を聞くと、これはただの家出ではなく、事件に巻き込まれるなどして死亡する危険が高い“特異行方不明者”としてきちんと認識し本部長が責任を持って指揮する態勢を取らなければならない事件であることは明白でした。
だからご家族と一緒に川崎臨港署に対応を求めに行ったのですが、担当者は逃げていなくなるわ、ご家族がいないところで5人の警察官が僕を囲んで『なんであんな一家を支援するのか』と恫喝してくるわで対応はひどいものでした。
そうしたことはすべて、後に乗り出してきた県警本部の人身安全課の警視に報告してあります。だから本部は、署が最初の段階どのようなふるまいをしたのか、全部把握しているはずで、隠せないと思って大規模処分になったのでしょう」(飛松さん)
そして飛松さんは神奈川県警の“暗黒の歴史”がまた繰り返されたと嘆く。
「だいたい神奈川県警は、1999年に現役警察官の覚せい剤使用を県警本部長が握りつぶす特大の不祥事を起こし、翌年の警察法改正という大改革の引き金を引いた県警です。その警察法改正では“被害者対策の推進”も柱の一つでした。それがまたこのような形でないがしろにされ、命が奪われることになったのです」(飛松さん)
はたして地に堕ちた神奈川県警の信頼回復は叶うのか。
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取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班