〈たむけん〉50歳で単身アメリカ移住「ほぼ毎日松本さんと電話して、ネットに活躍の場を移しませんか、って」アテンド報道、焼肉店経営危機については…
〈たむけん〉50歳で単身アメリカ移住「ほぼ毎日松本さんと電話して、ネットに活躍の場を移しませんか、って」アテンド報道、焼肉店経営危機については…

2023年に芸能活動を休止し、50歳で単身アメリカへ移住したお笑い芸人のたむらけんじさん。渡米後はダウンタウン・松本へのアテンド報道の余波や「焼肉たむら」の経営危機など、相次ぐ逆風に直面した。

移住から現在までの歩みと活動の実態を聞いた。

移住後、SNS効果で案件の依頼が続々…

──テレビ番組のレギュラーをすべて降板し、50歳でアメリカへ移住した理由を改めて教えてください。

まず30年の芸人人生は、最高に幸せな時間でした。僕にとっては神様ともいえるダウンタウンの松本(人志)さんと、約6年半も『松本家の休日』という番組をご一緒させていただきましたし、30年間ありがたいことにほぼ休みなく駆け抜けさせていただきました。

でもコロナ禍で『松本家の休日』が終了したとき、燃え尽きたような感じになって、ふと立ち止まって考えたんですね。

このまま芸人を続ければ生活は安泰かもしれない。けど、もうそれ以上はない気がしたんです。そこからお笑い以外のこともやってみたいと思うようになりました。

そんなとき、たまたまアメリカのグランドキャニオンに行って、あの絶景を見た瞬間、全部がバグったというか。どえらいもんを見て、「この先は、別に好きなようにやったらええやん」って思えたんです。

──2023年5月にLAに移住、アメリカでの生活がスタートしました。

完全ノープランで、仕事のあてもなくて。正直最初の1年間は休もう、遊ぼうと考えてたんですね。



でも、LAに着いたその日の晩に友人のユリサが「たむけんさんが50歳でアメリカに移住してくるって、SNSでめっちゃ刺さると思うんですよ。私が勝手に撮影して編集するから、100日間、生活を投稿しませんか?」って言われて。

当時はSNSに興味なかったのですが最初の投稿でバズって、出すたびに100万回再生とかいくようになって。それで案件もいただけるようになって、O-1ビザ※だった自分には、めちゃめちゃありがたかったんです。

※O-1ビザ アメリカの非移民就労ビザ。科学・教育・芸術・スポーツ・エンタメの分野で能力を発揮できる人に対して発行されるビザ

ラジオの仕事や本の出版の相談、司会の仕事も入りました。100日間を達成した頃には応援してくれる人も増えて、アメリカ生活は思い描いていたよりも順調でしたね。

女性アテンド報道後、松本人志に「ネットに活躍の場を移しませんか?」と提言

──2024年1月にダウンタウン・松本人志さんの週刊誌報道に関連して「女性をアテンドしていた」という記事が出ました。どのような影響をもたらしましたか。

ラジオの大口スポンサーが降りてから、雪崩をうって仕事がなくなりました。実はアメリカ挑戦について本を書いてほしいという依頼もあったりしたのですが、担当者からの連絡も途絶え、最終的に仕事はゼロになりました。

ただ日本で芸人を続けていたら番組関係者や吉本にも迷惑をおかけしていたと思うので、実はそこに関してはアメリカにいてよかったかもなと思いました。ただあの時期は本当にきつかった。

僕はメンタル強いんですけど、家族や子どもへの影響、ここまで頑張ってくれたユリサのことを考えると、そのときばかりはほんまに病みかけました。

──きつい期間はどのように過ごしていたんですか?

そうですね。当時は松本さんとほぼ毎日電話してました(笑)。日本の夜中の時間帯、アメリカでいえば早朝に、松本さんとよくお話しさせていただいてました。

──何を話されてたんですか?

まあ、松本さんも外出もできへん状況やったので、たまるものもあったでしょうし。ほんまにいろんな話をして、ネットで何かしませんか?とかいろいろ話をしていました。

──!? ダウンタウンチャンネルはたむらさんのアイデアなんですか?

かなり初期の段階で提案していただけなので、僕のアイディアということではありません。

ただ僕は日本のテレビのビジネスモデルは少し遅れてると思っているんですね。アメリカでは観たい番組にお金を払って観るのが主流。だからこそMLBでは大谷翔平選手のような天文学的な年棒が成り立ちます。

U-NEXTがサッカーのプレミアリーグを中継していたり、最近だとNetflixがWBCを中継することを発表したり、日本でもスポーツ中継にお金を払うことが一般的になりつつありますが、お笑いもいずれそうなると思うんです。

で、お笑いのプラットフォームを本気でつくれるのは、日本ではダウンタウンさんしかないなと。

だから、「松本さん、もうそっち行きませんか?」って提案していたんです。

──当時、松本さんはなんと?

松本さんは「いいとは思うけど、今はテレビに戻らないと」と。

そこは僕もわかる。

「もちろんそこも探りながらいきましょう。ただ、この道は絶対あるから」と伝えていました。まさか、こんなに道のりが長くなるとは思ってなかったですが。

──まもなくローンチとと報道されていますが、どんな番組をやられるかなどもお話しされていたんですか?

『松本家の休日』も、またできたらいいなとは言ってました。僕がアメリカにいるので難しいかな? でも特番みたいな感じで年に4回くらい松本家の夏休み、冬休みとかできたら最高ですね。そこに宮迫さんも出られるといいなと思ってます。

「宮迫ですッ!」でのリニューアル企画後の焼肉たむらの現在

──アテンド報道があった同じ年に、経営する「焼肉たむら」がコロナの影響や、原材料や人件費の高騰、インバウンド需要を取り込めていないなどの理由で、経営状態が深刻だと宮迫博之さんのYouTubeチャンネルを通じてカミングアウトされていました。

このままでは店がつぶれる、という強い危機感がありました。創業から17年やってきて、ここまでついてきてくれた従業員を路頭に迷わせるわけにはいかない。だから、焼肉たむらのリニューアルを決意しました。

──2024年10月に「焼肉たむら」再生プロジェクトが始まり、全店舗をリニューアル。牛宮城のプロデューサー・本田大輝さんのチームの協力により、2025年1月には黒字化を達成したと発表されていました。プロジェクトのスタートから約1年経って、現在の経営はどのような状態ですか?

正直びっくりするぐらいお客さんが来てくれています。最初はYouTubeを観て応援のために来てくれたお客様が多かったんですが、自分で言うのもなんですが、名物がほんまにおいしくて、それを目当てに戻ってきてくれるようになりました。全店舗好調で、リピーター率は30%以上と、今もすごくいい状況です。

17年続けてきたけど、今の飲食業のやり方にアップデートできてなかったんですよね。本田さんの助けがなかったら終わってたと思うので、本当に感謝しています。

実は僕、コンサルって好きじゃなかったんです。あれ、ほんまなん?って不信感があって(笑)。でも今回のチームは真剣に取り組んでくださって、おいしい名物もきっちりつくってくれた。何より、社員の心に火をつけてくれたのが大きかった。コンサルって、ほんまにあるんやなって思いました。

お笑い以外でも人を楽しませたい

──アメリカに移住されてから約2年経過しますが、現在の生活の状況について教えてください。

今ではありがたいことにアメリカでの仕事も戻ってきて、ラジオは1年以上続けていますし、イベントの司会もやらせていただいています。試作を重ねてつくった「TONOドレッシング」も発売できて、初回生産分は完売しました。今後もし全米のスーパーに並んだらと想像するとワクワクしますね。

──日本に戻りたいと考えることはありますか?

戻る気があるなら、そもそも移住は決断していません。アメリカに来て、もしうまくいかなくても「もう一回テレビに出してください」と言うつもりはなかったです。

失敗してもすっからかんになるだけやし、不安より挑戦のワクワクが勝ってるんですよね。1~2年でそのワクワクが薄れるかと思ったら、今でもどこへ行っても新鮮です。今こうして日本に一時帰国してますが(※取材は8月に実施)、めちゃくちゃアメリカに帰りたいですもん(笑)。

──今後実現したいことはありますか?

僕のようにアメリカで挑戦する人をサポートする仕事がしてみたいですね。あとは人種のるつぼであるロサンゼルスでいろんな国の人が集まるフェスもやりたい。子どもが楽しめるイベントだといいですよね。



芸人時代はお客さんを笑わせるのが仕事で、笑顔を見ると最高に幸せでした。人は楽しいと笑うもの。やっぱり僕は、人が楽しんでいる姿を見るのが大好きなんです。

新しい人生を歩むために海外へ来たので、日本ではできなかったことにも挑戦したい。お笑い以外の形でも、人に楽しんでもらえる何かを実現させたいですね。

取材・文/福永太郎 

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