
甘酸っぱい青春を思い出すような平成の男性デュオソングの一つサスケの『青いベンチ』。ヒット曲の印税や裏話、さらにはサスケの現在の活動を二人に聞いた。
気になる『青いベンチ』の印税事情
♪この声が枯れるくらいに 君に好きと言えばよかった。2004年4月にインディーズでリリースされた『青いベンチ』は発売から1年以上を経てオリコントップ10入り。そして令和の今も若い世代に聴かれ、歌われ続けている名曲だ。サスケの奥山裕次(47)と北清水雄太(47)に印税事情から副業、“一発屋”と呼ばれることまで、遠慮なく聞いてみると……。
――『青いベンチ』の圧倒的な知名度に対し、サスケのふたりはあまり顔が知られていない気もしますが?
奥山裕次(以下、奥山) こうやってみなさんに聴いていただけるようになってからも、あまりテレビ露出がなかったので。街を歩いていても、気づかれることはほぼないです(笑)
北清水雄太(以下、北清水) 当時、『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)などいくつかには出演させていただきましたが、さほどアクティブではなかったですね。テレビにあまり出ないことを、どこかでカッコいいと思っていた部分はあったと思います(笑)。
ただ、僕らの顔やビジュアルの認知度が高くないことは、歌が純粋に届いているということでもあると思っていて。
――今年、発売から21年が経とうとも、その時々のティーンに刺さり続けている『青いベンチ』。カラオケでもたくさん歌われているので、すごい印税が入ってくるのでは?
二人 あはははは。
――例えば、『ロード』を歌い、作詞・作曲も手掛けた虎舞竜の高橋ジョージさんは約20億円の印税を手にされ、今でも年間1200万円ほどが入ってくる……なんて話もあるようですが?
北清水 これはあくまで僕の推測ですが、高橋ジョージさんの場合はおそらく原盤権を持っていらっしゃるんだと思います。きっと自主製作のような形でリリースされたんでしょう。原盤権をレコード会社が持たないミリオンヒット曲は、本当に激レアだと思いますよ。
もちろん、それは高橋さんのお話なので、僕らにはわかりませんけど。僕らの『青いベンチ』も長く愛していただいて。ミニアルバム(『Smile』)と合わせると100万枚近くにはなるので、(金銭面で)すごく助けにはなっています。ただ、もちろん印税だけで暮らしているわけではないです。
奥山 ライブやイベントの出演費など、いろんなものを含めたものが収入になりますね。
北清水 デビューして20年以上、ふたりとも“音楽1本”で生活できているのは確かです。ただ、高級車に乗っているわけでもないし、マンションを持っているわけでもない。もう、慎ましやかな生活です。昔、よく言われていたのが“カラオケ1曲10円”。そんな印税、とんでもないですよ! 1曲10円だったら、ビルが何棟も建つ(笑)
奥山 今日、この取材にも電車で来てないですね。ヘリコプターで来ますよ(笑)
北清水 だから印税は、本当に“チリツモ”なんです。僕らが無頓着なのかもしれませんが、印税の明細が届いても読み解けていないんです。
芽生えた『青いベンチ』への責任感
――ちなみに、音楽活動以外の副業などは?
北清水 まったくしていないですね。副業に興味もないんでしょうね。それに、音楽以外にまともにできることがあるような気がしないので(笑)。おかげ様で毎年、イベントや学園祭など、日本各地からお声がけいただいているので。
奥山 やっぱりこの年になって、全国を回れるってなかなかないですから。
北清水 だから、お仕事をいただける限り、続けられる限りはやっていきたいです。
――さらに失礼な質問になりますが、“一発屋”と呼ばれることもあると思いますが?
北清水 自分でやっていながら思うけど、“ミュージシャンで食べていこう”とか“ヒット曲を出そう”とか“人に知ってもらいたい”なんて、本当に無理ゲー。実際にやってみて、なお思います。
その中で、『青いベンチ』っていう曲を残せたことは、本当に僕らの誇りと財産。
もちろん、ヒット曲がたくさんあって、長く活動されている方は本当にすごいと思います。ただ、そんな方たちであっても『青いベンチ』は持っていない。あのサビを、みんなで大合唱するあのシーン、あの瞬間は自分たちじゃないと作れないと思っていますから。
奥山 一発屋という言葉は、きっと僕らと同世代の人が使っていると思うんです。逆に言うと、今『青いベンチ』を知ってくれた人にとっては意味のない言葉で。毎年、この曲を知ってくれる人がいる。今なお、若い子は“神曲”って言ってくれる。
同世代の人にとっては過去の作品かもしれないけど、『青いベンチ』は現在進行形なんです。もちろん、一発屋と言う人がいて当然だし、それは否定的なニュアンスを含んでいるんでしょうけど、全然ネガティブに捉えてはいなくて。令和の高校生が歌ってくれているシーンを見ると、本当にこの曲は今を生きているって感じますね。
北清水 手前みそにはなりますが、『青いベンチ』のような愛され方、残り続け方をする曲ってなかなかないと思うんです。そんな誇りに加え、遅いかもしれないんですけど、作品に対する責任感がどんどん芽えてきて。
その理由のもう1つに、僕がいくつか持病を持っていることもありまして。今すぐ命に関わる病気ではないですけれども、毎月検査はしていますし、強い薬も飲んでいます。回復が見込める病気ではないので、これ以上悪くならないように、うまい具合に付き合っていかないといけない。
そんなガタが来ている身体なんですけど、きちんとした歌声とパフォーマンスを届けられるようにしたいという思いは年々、強くなっています。
奥山 自分たちの年齢が上がってきたからか、1年1年が本当に早くて。これから何年続けていけるかなんて、わからない。ただ、いつなくなってもおかしくない職業だとも思っていて。不安はありますが、やり続けることでしか不安はぬぐえない。今は、ずっとサスケを続けていくことが夢ですね。
北清水 うん。
この声が枯れるくらいに――。並々ならぬ思いを胸に、サスケは今日も歌い続けている。
(前編はこちら)
取材・文/池谷百合子