
静岡県伊東市が大きく揺れている。田久保眞紀市長の経歴を巡る問題が、市民や議会を巻き込む大きな混乱に発展した。
全国から多数の苦情電話やメールが殺到した伊東市
感情的なうわさに流される前に、公になっている情報を一つずつ冷静に確認し、問題の本質を理解する必要がある。陰謀論がなぜ成り立たないのか、その理由を丁寧に解き明かしていきたい。
この騒動の始まりは、2025年5月の市長選挙で田久保市長が初当選した直後にさかのぼる。6月上旬、伊東市議会の議員たちのもとに匿名の文書が届いた。文書は、市の広報誌などに記載された「東洋大学法学部卒業」という市長の経歴に疑問を呈する内容だった。
公の場で学歴について問われた市長は、当初「弁護士に任せている」と述べ、明確な説明を避けた。この態度が、市民や議員の間に最初の不信感を生んだ。
その後、市長は市議会議長や市の幹部職員に対し、「卒業証書らしきもの」を見せた。
7月2日、田久保市長は記者会見を開き、自ら大学に確認した結果、卒業ではなく除籍されていた事実を公表した。「卒業したものと長年思い込んでいた」と釈明したものの、多くの人々はこの説明に納得できなかった。
なぜなら、大学を卒業したかどうかという重要な事実を、何十年も勘違いし続けることは通常考えにくいからである。市長の一連の対応は、二転三転する説明と証拠の不透明さによって、信頼を大きく損なうものだった。
市役所には全国から多数の苦情電話やメールが殺到し、通常の業務に支障が出るほど職員は疲弊している。
伊東市の経済を支える商工会議所や観光協会などの経済3団体は、市長に直接会い、市のイメージダウンや経済への悪影響を訴え、早期の辞職を求めた。
市民の怒りも頂点に達した。市長の辞職を求める署名活動には、伊東市の有権者の約5分の1にあたる1万人を超える人々が賛同した。
自らの問題を棚に上げて議会を解散した市長
これは、問題が単なる個人の経歴ミスではなく、市政全体の信頼に関わる危機であると、多くの市民が認識している証拠である。
市民や経済界からの批判が高まる中、伊東市議会も厳しい態度で市長に向き合った。議会は、地方自治法という法律で認められた強力な調査権を持つ「百条委員会」を設置。
百条委員会は、うわさや憶測ではない、確かな事実を明らかにするために、関係者を呼んで証言を求めたり、資料の提出を命じたりすることができる。
委員会は田久保市長を証人として呼び、卒業証書とされる書類の提出を求めた。市長は委員会に出席したものの、書類の提出は最後まで拒否した。誠実な説明責任を果たそうとしない市長の姿勢に、議会の不信は決定的となった。
9月1日、市議会は出席した議員の全会一致で、市長に対する不信任決議を可決した。不信任決議とは、議会が「この市長のもとでは市政を任せられない」という最も重い意思表示をするものである。
法律上、不信任決議を可決された市長は、10日以内に辞職するか、議会を解散するかのどちらかを選択しなければならない。
田久保市長は辞職を選ばなかった。市長は、自らの問題を棚に上げ、議会が審議を放棄したと批判し、市民に信を問うとして議会の解散を選択した。これにより、伊東市の混乱はさらに長引くことになった。
陰謀論に「今回の騒動の全容がやっと見えてきました」
こうした絶体絶命の状況で、「陰謀論」が登場する。田久保市長が一部の支持者たちの間で「英雄」として語られ始めたのである。その物語はこうだ。
伊東市の豊かな自然を破壊するメガソーラー(大規模太陽光発電所)の建設計画がある。田久保市長は、この計画に敢然と立ち向かい、中止に追い込んだ。計画を進めて巨額の利益を得ようとしていたのは、中国や韓国などの海外資本である。
計画を潰された海外勢力は、市長を逆恨みし、失脚させるために学歴問題をでっち上げた。メディアも海外勢力に買収されており、一斉に市長を叩いている。だから、市長を批判する人々は皆、海外勢力の手先なのだ、というものである。
田久保市長自身も、SNS上で「今回の騒動の全容がやっと見えてきました」と投稿し、背後に何か大きな力が働いていることをほのめかした。この単純明快な物語は、複雑な現実から目をそむけたい人々にとって、非常に魅力的に映るかもしれない。
そもそも火種をつくったのは市長なのではないか…
しかし、この陰謀論は事実に照らし合わせると、いくつもの重大な矛盾点を抱えている。
まず第一に、問題の火種を作ったのは誰かという点である。
学歴に関する疑惑が生まれたのは、市の広報誌に「東洋大学法学部卒業」という事実と異なる経歴が掲載されたことがきっかけである。この記載の責任は市長自身にある。
疑惑が浮上した後の対応も、すべて市長自身の判断で行われた。
海外の勢力が何もしなくても、市長の不誠実な対応が市民や議会の不信を招き、騒動を大きくしたことは明らかである。問題の根本は、外部からの攻撃ではなく、内部から生じた信頼の欠如にある。
第二に、なぜこれほど多くの人々が市長を批判しているのかという点を考えなければならない。
市議会の全議員、1万人を超える署名をした市民、地元の経済団体。陰謀論を信じるならば、これらの人々が全員、海外勢力に操られていることになる。これはあまりにも非現実的な話である。
彼らは伊東市で生活し、市の将来を真剣に憂いている人々である。市政が停滞し、自分たちの暮らしに悪影響が及ぶことを心配している。市長の行動が、市のトップリーダーとしての信頼を著しく損なったと考えているからこそ、厳しい声を上げている。
彼らの批判の動機は、どこかの国の利益のためではなく、自分たちのまち、伊東市を思う気持ちから来ていると考えるのが自然である。
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学歴問題で自身の立場が危うくなってから、急にSNSでメガソーラー問題を頻繁に取り上げるようになった。
このタイミングを見ると、多くの人が「批判の矛先をかわすための論点ずらしではないか」と疑うのは当然である。
筆者もメガソーラーの設置には極めて慎重な立場をとっているが、公職者に求められる重要な資質は、政策の中身以前に、誠実さと透明性である。
事実に基づかない極めて危険な物語
第四に、そして最も決定的なことだが、陰謀論には何の証拠もない。
陰謀を主張する人々は、「中国資本」や「韓国利権」といった漠然とした言葉を使い、人々の不安や偏見を煽るだけである。具体的にどの企業が、誰という人物が、いつ、どこで、どのような工作を行ったのか、という証拠は一切示されていない。
市長自身も「全容が見えてきた」と言いながら、その具体的な内容を市民に明らかにしていない。証拠に基づかない非難は、単なるうわさ話や悪口と何ら変わらない。
本当に巨大な陰謀が存在するのであれば、その証拠を公の場に示し、正々堂々と戦うべきである。それができないのであれば、陰謀論は苦しい立場を乗り切るための作り話だと判断されても仕方がない。
結論として、田久保市長を巡る一連の騒動を海外勢力の陰謀と結びつける見方は、事実に基づかない極めて危険な物語である。
問題の根本にあるのは、市長自身の誠実さの欠如と、それによって引き起こされた市民、議会、行政の深刻な信頼関係の崩壊である。
陰謀論は、この問題の本質から人々の目をそらし、冷静な議論を妨げる。私たちは、根拠のないうわさに惑わされることなく、公表されている事実を一つ一つ丁寧に見つめ、何が本当に問題なのかを自分の頭で考える必要がある。
伊東市が今、取り戻さなければならないのは、目に見えない敵との戦いではなく、失われた信頼と市政の正常な機能である。
文/小倉健一