日本の国土に占める過疎地域の割合は約60%。「田舎は危機的状況にある」「過疎地域は悲惨」といったネガティブな言説がついてまわる。
書籍『田舎の思考を知らずして、地方を語ることなかれ 過疎地域から考える日本の未来』より一部を抜粋・再構成し、過疎地域の真実を明らかにする。
過疎地域は悲惨か?
都市部の住民は「過疎地域には何もない」と言う。ところが、過疎地域の住民は何もないのが当たり前で育っている。何もないのが当たり前なので、それが普通だ。
都市部の住民から「あれがないです」と言われても、「それがどうした」となる。そのようなモノは最初からないし、これからもなくてよい。放っておいてくれと。
むしろ「いろいろなモノがあるのは面倒だ」と言う。「公園が欲しい」と言う住民もいる。公園の活用方法を尋ねると「たぶん誰かが使うと思う」とあいまいな返答になる。過疎地域には使われずに放置されている公園が多い。
森林に囲まれた過疎地域でどうして公園がつくられるのか不思議だった。
都市部の住民はその現実を受け止めるのが難しい。学術論文や政策論文の多くが、過疎地域は「悲惨で困っている」「都市部と比べて低位にある」といった論調で書かれている。
「悲鳴をあげている」「崩壊している」といった過激な文章もある。「生きてはいけない現実」「切り捨てられる地域」といった文章もよく見かける。
それらの論文は「悲惨」を根拠として過疎地域への財政支援を主張している。
財政支援については私も強く同意する。都市部は過疎地域を支える義務がある。その結論は同じであっても、「かわいそうだから助ける」「寂しそうだから救う」というロジックがことのほか引っかかる。
「笑顔の絶えない弱者に寄り添う」といった立ち位置がどうにも釈然としない。「日本の故郷を救う」という情緒的な自己満足がなんとも腑に落ちない。かわいそうとか、寂しそうとかいった言葉は、相手の心情に寄り添っているかのように見せて、じつは上から目線の傲慢さであったりする。
欧米では田舎に対して「悲惨」という捉え方をしない。過疎化によって地域のつながりが弱くなるという考え方もしない。
むしろ、田舎暮らしは精神的な豊かさや憧れの対象だ。人間のあるべき本来の姿として「田舎暮らし」を捉えている。地域の衰退については、補助金の申請方法や使い道が補完的に論じられる程度だ。
日本はずいぶん事情が違う。村社会的な相互扶助の精神を重視し、過疎化によって地域のつながりが弱くなると考える。過疎地域は「悲惨」という意識が極めて強く、危機や崩壊といった主張になりがちだ。
その「悲惨」といった論調に対して過疎地域の住民は否定的である。「住んでもいないのによくそういうことが言えますね」「たいして知らないのにふざけた人たちです」と言う。
そこで、「過疎地域は悲惨という扱いだから税金が落ちる。違うとなると税金が落ちなくなる」と伝えると、「それなら悲惨でも致し方ない」と言う。
その背景には「税金依存が最も効率的」という地域事情がある。過疎地域の先人たちは「悲惨」の意識を上手く利用して政府から支援策を引き出してきた。
「悲惨」を根拠として税金が落ちる構造は先人たちがつくり上げた知恵と工夫である。要するに、過疎地域の事情と、首都圏の都合が複雑に絡み合った結果、「悲惨」という論調になっている。
過疎地域は豊かか?
過疎地域にまつわる言説の中には「裕福」という論調も僅かながらある。その内容は「物価が安くなる」といった類のものだ。現実はその逆で、競争原理の働いていない過疎地域の商品価格は総じて高い。飲食店の回転率も低いので割高の料金設定になる。都市部のような安くて美味しい定食屋がない。
また、プロパンガスは都市ガスと比べて約1.8倍の価格だ。さらに、過疎地域は自家用車の所有が必須で、その購入費と維持費は生活を圧迫する。過疎地域で比較的裕福なのは、地方公務員等の税金で飯を食う住民に限られる。
国税庁の「民間給与実態統計調査〔2023〕」によると、日本人の平均年収は458万円だ。それに比べて、私の調査地域の平均年収は約225万円だった。年収において約2倍の地域格差がある。
ハローワークの職員は「年収300万円を超える求人はトラックの運転手くらいです」と言う。それでも住民は「現状で充分に豊か」と言う。
そこには昔ながらの安らぎがある。ゆるいスピードがある。のんびりとした気楽さがある。人間関係のわずらわしさを許容し、余分なモノを欲しがらず、身の程をわきまえてつつましく暮らしている。昔ながらの日常に従うことで、静かで落ち着いた平穏な生活が手に入る。
そのような日常を嫌う住民は過疎地域を去る。過疎地域で成長志向と発展思考を持つと暮らし向きが悪くなる。
都市部にはアートやサイエンスと呼ばれる洗練された芸術性や科学的な趣向が幾つもある。魅力的な職場を自由に選択できる環境が整っている。それらは金銭的な交換価値が高く設定されている。それゆえ、都市部は多くの若者たちを惹きつける。
そこにあるのは住み分けの意識だ。成長志向と発展思考を持つ者は都市部で暮らし、保守性と閉鎖性を持つ者は過疎地域で暮らす。それは若者の背中を押して「やりたいことを精一杯頑張れ」と言って、都市部に送り出す寛容さにつながっていた。
この住み分けの意識を覆そうとしているのが政府の過疎地域対策だ。それは住民にとって余分なモノをつくり出そうとする動きとして捉えられる。しかも税金を使っているので誰一人として責任を負うことなく繰り返されている。
過疎地域は暮らし易いか?
過疎地域は高齢化率が高いことで、高齢者が暮らし易い地域構造になっている。それは民主主義の多数決の原理として仕方がない。
高齢者のみが使える福祉タクシーや、乗合形式のミニバスも運行している。高齢者が使う温泉施設や健康増進センター、医療機関等も補助金で支えている。そこでは無料の健康診断を実施し、転倒や認知症の予防対策として体操教室や小物づくりを催している。
また、どこの地域にも高齢者を中心とした集まりがある。住民から「高齢者はいつも集まって話をしている」「高齢者の輪ができていて入り難い」といった話をよく聞く。
そこにはよい意味でも悪い意味でもお節介な住民がいて、あちこち遠慮なしに割り込んで世話を焼いている。地域包括支援センターや社会福祉協議会の職員も高齢者の自宅をよく訪れる。
さらに、限界集落の暮らしは思いのほか快適だ。ゴミを燃やす、動物を飼う、周辺の野草を採取する、昭和の歌謡曲を大音量で聴く。そのような悠々自適な日々の暮らしを楽しんでいる。一人暮らしの高齢者に「困り事はないですか」と聞くと、「とくにない。まわりに人がいなくなって暮らし易い」と言う。
過疎地域ではそれくらい近所付き合いに気をつかう。自由な振る舞いは許されないし、人と人とのつながりが重荷になる。ぽつんと一軒家が楽なのである。
過疎地域では、都市部のようにやたら歩かされたり、施設内でマナーを強要されたり、素早い行動を求められたり、といった負担を感じることが少ない。若者が騒ぐこともないし、派手な格好をした者が外を出歩くこともない。
地域コミュニティの監視は厳重で、金髪の者がいたら「治安が乱れる」「いかがわしい」「怖い」といった通報がすぐさま役場や警察署に入る。高齢者にとって昔ながらの習慣や価値観に従う生活は思いのほか快適だ。海外180カ所を訪れた私の経験則で述べるなら、日本の過疎地域で暮らす高齢者は元気である。
アメリカでは、高齢者たちが集まって暮らすシニアタウンが、各地域で人気を博している。高齢者にとって若者がいないのは何かと都合がよい。趣味嗜好が違う若者の存在は目障りであったりする。同じ価値観を持つ同年代の者たちに囲まれて暮らしたほうが楽だ。変化のない日常の中で、お盆と正月の数日間、少し賑やかになるくらいが丁度よいのである。
写真はすべてイメージです 写真/Shutterstock
田舎の思考を知らずして、地方を語ることなかれ 過疎地域から考える日本の未来
花房尚作

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