
新日本プロレス「100年に一人の逸材」棚橋弘至は2023年12月23日、新日本プロレス社長就任した。就任から1年余りを経た現在、社長・棚橋弘至はどのような日々を送り、経営者としていかなるビジョンを抱いているのか。
書籍『棚橋弘至、社長になる プレジデントエースが描く新日本プロレスの未来』より一部抜粋・再構成してお届けする。
プロレス人気のW字回復
僕が所属し、社長を務めることとなった新日本プロレスはアントニオ猪木さんが創設した会社で、現在は大手カードゲーム会社ブシロードのグループ企業となっている。
社員数は約80人、所属レスラー約50人。これは間違いなく国内最大のプロレス団体といえる。
そんな新日本プロレスは2019年に設立以来過去最高売上高を記録した。前年比10.7%増となる54億1600万円、これが2019年7月期の売上だ。年間観客動員数は43.6万人にまで増え、満員率は約95%。後楽園ホールなどはFC先行だけで完全に席が埋まってしまう状況だった。
だけど2020年、コロナ禍とともに新日本プロレスは苦境に立たされた。年間観客動員数は2021年に17.9万人とコロナ禍前の41%まで減少。
新日本プロレスはまさに苦境の中にある。
そんな今、僕はこの新日本プロレスの社長へと就任することになった。
IWGPヘビー級戦線の最前線にいた時に、僕はプロレス人気をV字回復させることができた。だけど自分たち以外の原因……コロナ禍という外的要因によって、再び下がってしまった。だからもう一度人気をV字回復……つまり僕の好きな仮面ライダーWのように、まさにW字回復させるのは社長としての僕の役割だと信じている。
少しずつ制約がなくなり、みんなが、そして社会が動き出した今こそプロレスを僕は盛り上げたい。だから今こそもう一度、ぜひプロレスを楽しんでもらえるよう頑張りたい。
そしてその先頭にレスラーとして、そして社長として棚橋がいたいのだ。
プロレスのファン層
現在、新日本プロレスのファン層は大きく変化しつつある。
特にここ最近は小さいお子さんのファンも増え、ご家族でプロレス会場に足を運んでくださる方も多くなってきた。かつてプロレスをゴールデンタイムで視聴されていた40代から50代の方が、ご家族様とともに会場に来てくださっているのだと思っている。
それと同時に、会場の男女比もかなり変わってきた印象がある。
かつては男性のファンの方が圧倒的に多かったけれど、現在の男女比は7:3くらいにまで変化してきており、特に後楽園ホールなどではこの比率は6:4から5:5くらいにまでなってきている。女性の方がこうして会場に足を運ぶようになってくださったのは非常にうれしい反面、まだこれから広げていかなければいけないのは若年層のファンの開拓だと思っている。
実際、新日本プロレスの会場には10代のファンの方がまだまだ少ない。
10代の方にプロレスをより身近に思ってもらうためには、やはり若い選手の活躍が必要だ。というのも、10代から見れば40代より30代、そして30代より20代の選手のほうがより身近で、親しみを感じられるのは当然だからだ。
なので、その意味でも社長としては若手の奮起を促し、チャンスを与えていかなければならないと思っている。
棚橋以前と以後
最近の新日本プロレスの若い選手は、海野たちのようにグッドシェイプな選手が増えてきている。これは間違いなく僕の影響だと思っている。棚橋以前と棚橋以後で、新日本プロレスの選手の体形は実際に変わってきたのだ。
いや、体形だけじゃない。
僕が新日本プロレスでトップを張るようになってから、トップ選手になるための暗黙のルールを僕が作ってしまった部分はあると思う。
体形が格好良くて、決めゼリフと決めポーズを持っていて、かっこいい得意技やフィニッシュホールドがあって……これらの要素が揃った選手でないと、ビッグマッチを締めさせることを会社が安心して任せられなくなっているのではないか、と感じるのだ。
ただ、このような部分はプロレスの先輩として、また社長として若い選手に指導しにくい部分なのも事実だ。
例えば決めゼリフなんかは一緒に作ろうと考えてみるわけだけど、どうしても考えて作った言葉っていうのは、どこかハリボテになってしまいがちだ。
むしろリング上で偶発的にポロっと出た言葉こそが、ファンの心に響くものではないだろうか。
「トランキーロ」や「焦んなよ」といった内藤哲也の決めゼリフも、日本では試合ごとにブーイングされ、後輩のオカダ・カズチカに置いていかれた厳しい状況の中で、あと一歩伸び切れずにメキシコに行き、ロス・インゴベルナブレスと出会ったからこそ生まれたものだ。これは決して教えてできるようなことではない。
実際、僕の「愛してま~す!」という決めゼリフも、感謝の思いとして静かに口にしたものから始まったものだし、「疲れたことがない」というセリフもオカダがちょうど凱旋帰国した際に、その場の掛け合いから生まれたものだ。
東京ドームで僕がIWGPヘビー級の当時の連続防衛記録であるV11を達成した時、凱旋帰国したばかりのオカダがメインイベントの後にやってきた。当時既に圧倒的なエースだった僕に、オカダは「お疲れ様でした。あなたの時代は終わりです」と言い放った。
いま思うと、オカダにとっては「あなたの時代は終わりです」がキーフレーズだったのだろう。にもかかわらず、僕が彼の言葉から拾ったのは「お疲れ様でした」というワードのほうだった。
「悪いなオカダ、俺は生まれてから疲れたことないんだ」
僕がマイクでそう返した時のオカダは一瞬、明らかに困った表情を浮かべていた。違う、そっちじゃない、と。オカダはその後、大阪での防衛戦で僕を破り、レインメーカーショックを起こし新日本プロレスの最前線を駆け抜けることとなった。
「疲れたことがない」の元ネタはアントニオ猪木
つまりレインメーカーに命を吹き込んでしまったのも僕だが、その直前オカダのマイクが発端となって「疲れたことがない」のフレーズが生まれたわけでもある。レスラーのこういう関係性はやはり面白いものだなと自分でも思っている。
もっとも、この「疲れたことがない」という言葉を言ったのは、実はアントニオ猪木さんだ。
「お疲れ様でございます。新しく入門させていただきました棚橋です」
これは僕が猪木さんに初めてお会いした時の挨拶の言葉だ。
当時、新日本プロレスにおける挨拶は「こんにちは」などではなく「お疲れ様です」で統一されていた。ただ猪木さんと坂口征二さんにのみ「お疲れ様でございます」と挨拶する不文律が存在することを新日本プロレスへの入門時に教わる。
その通り告げた僕に対し猪木さんが返した言葉は一つ。
「疲れてねえよ」
この猪木さんの返答から、僕の脳裏には「うおー、猪木さん疲れないんだ、カッコいい!」という印象が深く刻み込まれた。
そこから十数年の時を経て、オカダの「お疲れ様でした」というフレーズを聞いてこの記憶がパッと浮かび上がり、「疲れたことがない」というセリフが生まれたのだ。
そんな長い時を経て開花したこの決めゼリフを、レスラーという職業はタフな仕事だというイメージを伝えていく意味でも、僕はとても大事にしている。
プロレスというとどうしても怖くて痛そうとか、暴力的とか、血が出るとかのイメージを持たれがちだ。だからこそひたすらタフであることを強調する「疲れたことがない」というセリフが、これらのイメージを払拭してくれることを願っている。
僕は、プロレスファンの方にプロレスは何を売っているのだろうと考えたことがある。
プロレスに置き換えれば、お金……つまりチケット代を払って会場に来てくれた方々に、対価として試合をファンの方々に見せているわけだ。
だけどそれは試合そのものだけではない。プロレスはファンの方々にエネルギーを売っているのではないだろうか。僕たちがエネルギーを売って、「応援する選手が頑張ったから僕もちょっと勉強を頑張ろう」とか、「スポーツを頑張ってみるかな」とか、日常生活や仕事を頑張るエネルギーをプロレスから受け取ってもらえたらうれしい。
その意味では社長業とは、そういう元気や勇気を選手がファンの方々に提供できる環境を構築していく仕事なのかもしれない。
だからそのために、僕は社長として疲れることはない。
オカダの退団
社長就任を依頼された段階で、僕はオカダの退団を知らなかった。
もちろん噂レベルでは聞いていたけど、確信はなかった。オカダに関してはCHAOSでユニットだった中邑の影響をやはり強く受けていたから、日本という枠に収まらない考えを持っていても不思議ではなかったし、その意味でも退団自体に驚きはなかった。もちろんショックや寂しさはあったけれど。
ただファンの方々の反応を見ても、これからオカダが海外でどんな活躍をするのか楽しみにしているポジティブな反応も見られたし、そういう形で送り出すこともできた。ただ社長としてはいろんな方に心配された。
しかもオカダだけじゃない。
ウィル・オスプレイも新日本プロレスを退団し、前年はジェイ・ホワイトも退団している。
でも僕に不安はなかった。なぜなら僕には逆風に対する免疫があるからだ。
2000年代、新日本プロレスから主力選手が大量退団したことがあった。
当時の自分、そして共にその状況に立ち向かった中邑もまだ実力も団体を背負うには不十分で、たくさんチャンスをもらったけど、なかなか試合内容と知名度が伴わず、集客には苦労した。
でも結果的に世代交代が進んだ。その意味では、逆風も結果的にプラスとなったとも言える。
中邑が新日本を退団したときもそうだった。中邑の退団直後に内藤やケニー・オメガが一気に出てきて、新日本は過去最高売上高を出すまでに活性化した。
その意味では、今回も世代交代ができたとポジティブに考えたい。
実際、オカダ、ジェイ、オスプレイの空いたポストを狙い、辻や海野、上村優也や成田蓮と次々と若い選手が台頭している。彼らがそのポストを奪い合うのは間違いない。中でも辻はNEW JAPAN CUP 2024で勝利しすぐに結果を出してみせた。
僕ももちろんそのポストを狙っているし、彼らに簡単に譲るつもりはない。
文/棚橋弘至
『棚橋弘至、社長になる プレジデントエースが描く新日本プロレスの未来』(星海社)
棚橋弘至
棚橋弘至が語る社長就任劇と新日の経営戦略、プロレスの未来
新日本プロレス「100年に一人の逸材」棚橋弘至、新日本プロレス社長に│2023年末の衝撃的な社長就任から1年余りを経た現在、社長・棚橋弘至はどのような日々を送り、経営者としていかなるビジョンを抱いているのか? 社長就任の知られざる舞台裏から選手兼社長としての日常、プロレスW字回復への逆転戦略、世界展開への意気込み、選手引退後のキャリア構想、そして尊敬する木谷高明オーナーとの経営問答まで、社長・棚橋弘至の頭の中が1冊で丸ごとわかる、全プロレスファン必読の仕事論にしてプロレス論!
新日本プロレスオーナー・木谷高明との特別対談収録!
*以下、本書目次より抜粋
はじめに 年に一人の逸材、19年ぶりの選手兼社長になる
第1章 社長就任まで
第2章 社長・棚橋弘至から見える新日本プロレスの現在地
第3章 現役レスラー社長の日常
第4章 これからの新日本プロレスが目指すもの
第5章 新日本プロレスの社長とオーナーが考えるプロレスの未来 木谷高明×棚橋弘至