
人気アイドルの解散や創業者社長の性加害問題をはじめ、この10年近くの間、「芸能界」は所属タレントとプロダクションのトラブルが多発し、そのたびにニュースとなった。
9年にわたって芸能界を取材した記事の中から、首領(ドン)と呼ばれる芸能プロダクションの創業者たちのインタビューを中心にまとめた『ザ・芸能界 首領(ドン)たちの告白』が刊行された。
異能の人に会えるのが最高の喜び
「芸能界」とは戦後に渡辺プロダクションを中心とした芸能プロダクションを作り上げた「55年体制」のようなものだったと田崎氏は指摘する。しかし時代と価値観の変化によって、かつての輝かしく憧れの存在だった「芸能界」は今や古い体制として批判されることも増えている。そんな「芸能界」を描くモチベーションはなんだったのか。
「僕は才能というものに一番興味があります。才能を見抜く才能ということにも興味がありました。
ビーイング創業者の長戸大幸さんは『才能は作るもの』と言っています。実は僕もそう思うんです。才能というのは勝手にあとからついてきて、実際のところ誰と会うとか、そういうちょっとした縁を見つけることの方が大事だと思います」(田崎健太氏、以下同)
単行本の元となった『週刊現代』での連載は2016年から不定期連載という形で始まったが、その期間は「芸能界」が崩れていく時代でもあった。その中で田崎氏の連載のモチベーションはある一つのことだったという。
「僕はこれまでいろいろな『村』を取材してきました。サッカー村、野球村、芸能村、格闘村、プロレス村、しかし僕はどの村にも所属していません。たまに興味がある対象者のところに行って話を聞いたらまた出ていくというスタンス。
また、異能の人に惹かれるので、ジャンルはどうでもよくて、大事なのは会う人がおもしろいかどうか。芸能界で売れてトップにいくような人は間違いなく変わっている。そんな人に会えるなら話を聞きたい。それが最高の楽しみでした」
また、取材して話を聞いた長良じゅん(長良プロダクション会長)、皇達也(元テレビ朝日取締役)、マキノ正幸(沖縄アクターズスクール創業者)らが鬼籍に入るなど、取材対象者が限られていく期間でもあった。
「唯一の心残りがあるとすれば、渡辺プロダクションの渡辺美佐さんに取材出来なかったこと。取材依頼をして何度か手紙を書いてやりとりもしたんですが、実現しませんでした。
美佐さんが(1970年の)大阪万博のプロデューサーをされていたときは本当に帝王のような存在だった。しかし、夫の渡辺晋さんが早くに亡くなって、ずっとナベプロの背中を追いかけていたホリプロが追い抜いていった。だから美佐さんが夫を亡くしてからどうだったかということが一番ききたかった」
渡辺美佐に取材が叶わないとなれば、その周辺にいたホリプロの堀威夫と田辺エージェンシーの田邊昭知を中心に書く方法もあった。しかし、堀と田邊を中心にしてしまうと、ビーイングの長戸やライジングの平や吉本興業の大﨑などには触れにくく、広がりがなくなってしまう。
やはり芸能はいろんな角度から多面体で見た方がわかるという判断から、今回の構成になったという。
「渡辺プロダクション(ナベプロ)とホリプロは(当時は)1番と101番ぐらいのすごい差でナベプロが上だった。堀さんが言うにはちょっとの時間の差、何年かの差が大きかったと言われていたけど、僕が思うのはやっぱりナベプロは2人だったってことなんです。
元プレイヤーである晋さんとマネージャー的な美佐さんが組んでいた。ジョン・レノンとポール・マッカートニーみたいな関係だったと思います。2人は対等で、同じ夢を見ていたからこそ渡辺プロダクションは強かった」
才能とは「運と縁という数値化できないものを持っていること」
田崎氏はかつて在籍した「週刊ポスト」で勝新太郎の人生相談コーナーの編集を担当しており、生前の勝と親交が深かった。
その後『偶然完全 勝新太郎伝』を執筆するなど縁は続き、「勝さんに可愛がってもらったことが僕の背中をずっと押している」と感じていたという。
「勝さんだけでなく、長良じゅんさんと一緒に飲みに行っていたとかそういう人はあまりいない。それが功を奏してか、ある程度「芸能界」の裏側をわかっているんだなと取材対象者たちもわかって、依頼を無視できないということもあったと思います。
取材してちゃんと話してもらうには、信頼関係やバックグラウンドが必要です。年齢によって書くものは変わってくる。本作は自分が50代だからこそ書けました」
『ザ・芸能界』に登場する首領たちはタレントのマネジメントだけではなく、まだ見ぬ才能を長年にわたって見出し、育成してきた。
「ビーイングの大幸さんやアクターズスクールのマキノさんもそうですけど、ずっと連続してブレイクする人を世に出し続けてきた。
様々なジャンルの異能の人たちに話を聞いてきた田崎氏。才能と、その才能を見出す才能を持つ人たちを見てきて、他のジャンルとも共通点があることを感じたという。
「芸能だけでなく、サッカーや野球でも才能ってわからないところがあると思ってます。誰と出会うか、どこにライバルがいるとか。僕たちの業界もそうなんですが、簡単に文章がうまいとか言うけど、本当にわかっているのかなって。
物書きも誰に見つかるのか、どこの媒体に書くとかで評価は変わってくる。僕がいつも言っているのは、大事なのは取材対象に対して執念があるかないかだけなんじゃないかということです。
小学館の編集者時代に書き手を含めたノンフィクションの勉強会をしていたことがありました。僕よりも文章は上手い人はたくさんいたけど、残っている人はわずか。
勝さんとの出会いが顕著ですが、僕は運も良かったし縁があった。それが僕の才能の捉え方です。
「虚実皮膜」という芸能界でトップになった人たちの魅力
首領たちは自ら組織を作ってビジネスを作ったメソッドがあり、哲学を持っていた。また、「虚実皮膜」という特異な世界に生きてきた彼らだからこその美学や個性的な人間性も垣間見ることができる。
「マキノ正幸さんはもう昭和のプロレスラー。僕の大好物ですよ、確実に嘘つくんだから(笑)。何を見せるかみたいなことを常に考え、自分にどう興味を向かせるかに全力なところがまさにプロレスラーでした。
安室奈美恵を見つけたときの話もやっぱり物語を作らないといけないという意識があったんだと思います。そういうところも人間らしくてかわいいというか、魅力的な人だし話を聞きたいと思う人です。家族にいたらすごく困る人でもあるんですが……」
マキノをはじめとして本書に登場する首領たちは創業者社長であるが、その中で唯一例外なのが吉本興業に入社して社長になった大﨑洋だ。田崎氏は漫才師の中田カウスを通じて大﨑と食事をするような関係性になった。
「やはり今の芸能界を書く際に吉本興業のことは書かないわけにはいかなかった。サラリーマン社長には興味はないけど、大﨑さんは吉本のビジネスモデルを変えた存在です。
ダウンタウン松本さんの書籍『遺書』の印税率を売り上げに応じて変えていく、浜田さんと小室さんが組んだ『H Jungle with t』が売れたことで音楽ビジネスも進めていくなど権利ビジネスを吉本に確立させたことが大きかった。
ただ、大﨑さんに関しては、カウス師匠と僕の関係性もあるので、この章だけは僕が京都で生まれ育って、そこで見てきたものを強調しています。
かつての関西お笑いと東京お笑いというのはまったく違うカルチャーだったんです。それが漫才ブームを経て、ダウンタウン以後に完全に磁場が変わった。だけど、以後しか知らない人に以前は違うカルチャーだったという文脈をわかってもらわないと吉本興業について書けないんです。
あと吉本は創業者一族との関係性など組織として複雑すぎるので、大﨑さんが吉本を変えた『中興の祖』として中心に描くという方法しかなかったです」
田崎氏は、今後ほかの芸能界の首領たちに話を聞けるとしたら、どんな人物に興味があるのだろうか。
「芸能界についてはやりたいという気持ちもなきにしもあらずですが、まだはっきりした構想はありません。
IT系の人は人間的に魅力がないんですが、イーロン・マスクは好きですね。自伝を読んでいるとマキノ正幸さんを彷彿させるプロレスラーのようなところがあります。ハッタリをかまして注目を集めて、後でそれを実現して本当にしようとする。あとは圧倒的なエンジニアなんですよ、だから車も好きなんでしょう。
本田宗一郎みたいなところもあって、「狂ったホンダ・ソーイチロー」だから、ロケットも作るし、システムを構築して何かをやろうとする。あの人は絶対におもしろいですね」
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SNSをはじめとし個人で様々なことが発信できる時代になったが、YouTuberなど多くは次から次へと現れる優れた才能に後から追いかけられて、ほとんどは消えていくことになるだろう。
古い体質と呼ばれる「芸能界」だが、タレントと並走する、寄り添うプロダクションの人たちがいたから、本人すら気づかなかった才能を開花した者もいる。
新時代の異能の人たちは「芸能界」でない場所から現れるかもしれないが、芸能プロダクションが作り上げてきたものを参考にする可能性も高いのではないか。
取材・文/碇本学 写真/Shutterstock
ザ・芸能界 首領たちの告白
田崎 健太