
6月上旬、伊東市長選直後に〈東洋大学卒ってなんだ。中退どころか除籍であったと記憶している〉という匿名の1通の投書が前市議会の議員全員に届いた。
いつも筋を通す子で「ごまかし」をとても嫌っていました
A氏が田久保眞紀市長と知り合ったのは東洋大学1年生時に行なわれたサークルの新歓コンパ。大学卒業後は会わない時期もあったようだが、今も交友関係は続いているという。田久保市長が置かれた現状についてA氏が語る。
「田久保市長……、昔からの呼び方でもよろしいですか? 眞紀ちゃんに関する報道は見ていますが、毎日叩かれながらも市長を続けているのは強いなって思っています。また、市長として何かやらないといけないことがあるから、議会を解散してでも市長を続けているんだと思います。
たぶん信じてはもらえないでしょうけど、本当に私利私欲で動く人ではないんです。終わったと言われているメガソーラーや図書館の問題が形を変えて進行する可能性や恐れがあるとか、きっと何か事情があるのだと私は思っています」
A氏は田久保市長を「昔から信念のある人だった」と語る。また、人の道に反することを嫌う真っすぐな部分があったようだ。
「眞紀ちゃんは軽音サークルに入りハードロックをやっていたのですが、当時からいつも筋を通す子で、ごまかしをとても嫌っていました。
大学入学当初たまり場になっていたという田久保市長の住んでいた5.5畳ほどのワンルームマンションでは、こんな出来事もあった。
「眞紀ちゃんの部屋で餃子パーティーをやっていたら、軽音ロックのサークルの先輩が2人遊びにきたことがありました。その2人は酔っていて、1年生の私たちに『お前らサークルを乗っ取るつもりなんだろ』と因縁をつけ始めたんです。
すると眞紀ちゃんが『餃子パーティーやってるだけなんですけど。そんな言われのないことで文句言って雰囲気悪くするなら帰ってくれ』って毅然と言い放ったんです。
私たちはこの日、サークルを抜けて自分たちで新しく別の軽音ロックのサークルを立ち上げたのですが、眞紀ちゃんはサークルの中心人物で、歌もうまく美人で目立っていましたね」
「再履修組を“サイリーズ”などと言ってふざけてはいましたが…」
小さな頃からピアノを習っていたという田久保市長は歌の他にもキーボード、ドラムもこなしていたようだ。
「ガンズ・アンド・ローゼスやジャニス・ジョプリンとかが好きで、コピーバンドをやった時の眞紀ちゃんのシャウトには度肝を抜かれました。3か月に1度くらいは空き教室を使ってライブをしたりしていましたが、彼女が頭ひとつぬけて歌はうまかったですよ。
眞紀ちゃんは革ジャンを着て400ccのアメリカンのバイクに乗っていたのですが、『もっと大きなバイクに乗りたいけど足が届かない』と言っていました。
当時はバブルというのもありましたし、車やバイクを持っている学生はけっこういましたが、それでもかなり尖っていた学生だったと思います」
田久保市長自身も会見で、大学での生活について『自由奔放に生きて不真面目な学生で、いつまで(大学に)通っていたというような通学状況ではなかった』と話している。
とはいえ、A氏によるとまったく学校に来てなかったわけではないようだ。
「東洋大学は単位が取れなくても4年生まではエスカレーター式にあがっていきます。なので卒業に必要な必修科目の単位のみ再履修してとればいいわけですが、私も眞紀ちゃんも再履修組でした。
再履修組を“サイリーズ”などと言ってふざけてはいましたが、眞紀ちゃんも卒業をしようとしていました。それこそ私たちが就職活動をしていた頃に学校で会うと眞紀ちゃんは『今レポート出してきた。これからスタジオなんだ』『これからバイトなんだ』と言っていたのを覚えていますから」
革ジャンを着て、ヘルメットを片手に再履修のため大学に通っていた田久保市長はバイク便のバイトをしながら、音楽活動に没頭し就職活動をすることはなかったという。
後編では、“疑惑の発端”となった卒業証書や卒業式当日について、A氏による貴重な証言を詳報する。
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取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班