
フィリピンで、貧困地区の子どもや若者たちが自ら輝ける場としてファッションショーをともに企画し、ファッションスクール運営にも携わる日本人女性がいる。 「coxco Lab」現地責任者の小村萌さん(33)だ。
旅行会社の駐在員としてフィリピンに渡った彼女は、なぜ現地の人々とともに歩む道を選んだのか。フィリピンで社会課題へ挑み続ける小村さんに、活動の原点と未来への思いを聞いた。
ストリートチルドレンを「無視」できなかった
フィリピン・マニラ首都圏のケソン市に、貧困地区の人々が通うファッションスクール「coxco Lab(ココラボ)」がある。運営するのは京都府出身の小村萌(こむら・もえ)さん(33)。
立命館大学を卒業後、2017年から旅行会社の駐在員としてマニラに勤務し、街で目にしたストリートチルドレンの姿を「無視できなかった」と振り返る。以来、株式会社coxcoとNPO法人「DEAR ME」の一員として、貧困地区の子どもたちをモデルにしたファッションショーを続けながら、母親や若者に縫製技術などを教える取り組みを広げてきた。異国の地で挑み続ける彼女の原動力とは。
――現在、どのような活動をされているのですか?
小村萌(以下同) 主に「coxco Lab」というファッションスクールとそこに併設された工場の運営をしています。貧困地区に暮らすお母さんたちや若者が業務用ミシンを使ってトレーニングを受け、修了後は企業の制服やカバン、オリジナルグッズ、グループ会社のアパレル製品をOEM製造し、収入を得られる仕組みです。
――生徒さんはどんな方たちですか?
18歳以上の若者から、40代から50代のお母さんが通っています。お母さんたちはほとんどが職を持たず家庭にいた方たちで、外で働いた経験が少ない。ファッションスクールがある地域では、女性の社会進出はまだまだ難しい状況です。
――授業内容は具体的にどのようなものですか?
業務用ミシンを使った縫製トレーニングが中心です。
工場からは企業の制服やグループ会社のアパレル商品を納品しています。グループ会社の商品は日本で開催されるポップアップストアなどのイベントやオンラインストアで販売しています。
――これまでの卒業生で印象に残っているエピソードは?
やっぱり一期生の生徒はすごく印象に残っています。その中でもジャナという生徒がいて、彼女がよく言っていたのは「学校で得た技術や知識を周りに還元したい」ということでした。
もともとは「自分の人生には限られた選択肢しかない」と思っていたそうですが、縫製を学んで働けるようになり、昨年は研修で来日もして、世界が広がったと語ってくれました。今は縫製士としてcoxco Labで働いていて、その姿は私にとっても大きなモチベーションになっています。
活動を始めた矢先にコロナ禍に
――フィリピンの貧困地区の子どもたちをモデルにしたファッションショーも毎年開催しています。
2015年から毎年2月に開催していて、2025年で11回目を迎えました。テーマは「Draw Your Dreams on the Runway(ランウェイの上で夢を描く)」。
子どもたちはこの日のためにウォーキングの練習を重ね、地域みんながお祭りのように毎年このファッションショーを楽しみにしてくれています。
――これまでのファッションショーで印象的だったエピソードを教えてください。
あるおばあちゃんが、孫がランウェイを歩く姿を見て涙を流しながら「本当に出てくれてよかった」と喜んでくれたことがありました。子ども本人の成長はもちろん、家族にとっても大切な瞬間になっているのを実感しました。
私自身も、衣装を着た子どもたちに囲まれ、目の前には応援してくれる方々やステージを楽しみにしている家族がいて……。その光景はまるで平和の象徴のようで、本番中に思わず涙がこぼれました。
みんなが自分の夢を表現でき、互いに夢を応援し合える空間が広がっていたんです。続けてきてよかったと心から感じましたし、この連鎖をもっと広げていきたいと強く思いました。
――そもそも国際協力に関心を持ったきっかけは何だったのでしょう?
小学生の頃から、テレビで『世界が100人の村だったら』のような番組を観て、貧困がずっと心に引っかかっていました。大学時代はバックパッカーで世界各地を旅して、1ドルを求めてくる子どもたちを見たり、路上生活をしている姿に触れたりして、「このまま見ているだけではだめだ」と思った。
前職の旅行会社でマニラ駐在になって、毎日ストリートチルドレンと出会い、「無視できない」と行動を始めたのが原点です。
――ファッションという手段に惹かれた理由は?
食や住まいに比べて優先度が低いと思われがちですが、衣服には大きな力があります。好きな服を着れば気分が上がり、自分を表現できる。どんな環境に生まれても、誰もがファッションを楽しめる社会をつくりたいという代表の想いに強く共感し、参画することを決めました。
――大変だったことは何ですか?
一番しんどかった時期はコロナ禍です。旅行会社を辞めて、まずはNPO法人「DEAR ME」に参加する決意をした矢先、渡航ができなくなり、先行きが見えずにモチベーションを保つのが大変でした。
フィリピンに戻ってからも、学校や工場の運営は初めての挑戦ばかり。例えば何千枚のオーダーをいただいた際に、「どうクオリティ高い商品をお客様にお届けするか?」「どう人員を配置するか?」など、壁にぶつかることの連続です。
――それでも続けられる理由は?
仲間の存在です。学校の生徒たちや、ショーに参加する子どもたち、ともに働くスタッフは私にとって家族のような存在です。フィリピン人は家族をすごく大事にする国民性なんです。そんなみんなも「coxco Labは第二の家族」と言ってくれていて、この場所をつくってよかったと心から思いました。
――今後のビジョンは?
大きく3つあります。1つは、これまでのカリキュラムを他団体に横展開し、より多くの人々が自立できるようにすること。2つめは、日本とフィリピンをつなぎ、卒業生が日本の縫製工場で働ける仕組みをつくることです。
そして3つめは、世界中の子どもたちが夢を描ける場に広げること。2026年2月にはフィリピン、カンボジア、日本の3か国でファッションショーを開催する予定です。日本では外国籍を含む多様な子どもたちを、カンボジアでは農村部に暮らす子どもたちを対象にしたいと考えています。
――最後に、活動を続ける中で大切にしている思いを教えてください。
ファッションスクールの生徒やファッションショーに出る子どもたちには「自分の人生の主人公は自分」ということを伝えたいです。どんな環境に生まれても、自分の人生を大切にしてほしい。そして自分の得た喜びや希望を周囲に還元し、つながりを広げてほしい。そんな循環をファッションを通して生み出していきたいです。
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貧困地区で暮らす人々とともに未来を紡ぐ小村さんの挑戦は、ファッションを超えて「生きる力」を社会に問いかけ続けている。
取材・文/集英社オンライン編集部