「息子に政治家になってほしいか?」記者からの質問に野田聖子議員が出した答え––––障がいのある息子と一緒にブログを発信し続ける理由
「息子に政治家になってほしいか?」記者からの質問に野田聖子議員が出した答え––––障がいのある息子と一緒にブログを発信し続ける理由

代議士生活33年。現在は自民党所属の衆議院議員として政治活動に励んでいる野田さん。

 

女性初の総理大臣を目指している野田さんだが、障がいを持って生まれた14歳の息子・真輝(まさき)さんの母としても日夜奔走している。真輝さんという存在を公開している真意についても聞いた。 (前後編の後編)

息子の存在が「国会議員・野田聖子という存在も変えた」

野田さんは長年自身のブログにて、国会議員としては愚直と思えるほど喜怒哀楽を素直に綴り続けている。息子の真輝さんのありのままの日々も公開し、多くの方から反響があるが、そこには明確な考えがあるという。

「(息子は)マイノリティな存在なので、理解されにくいことが多くあると思います。しかし、息子の日々を載せることで誰かに元気や勇気を届けられるかもしれない。ブログを通して何かのきっかけになればと思っています」

実際、真輝さんの存在は多くの人に影響を与えている。障がいのある子どもを持つ親から「励まされた」とメールをいただくことも。

一方で、誹謗中傷のような内容のメールが届いたことがあったという。

「心無い言葉に傷つくこともあります。息子は日々をただ生きているだけなのに。でも、息子の毎日が誰かを励まして元気を与えることもある。2011年の震災の年には自殺を考えていたという人から『自分も頑張らなければ』と連絡をもらいました。

普通の国会議員以上に役に立っているとさえ思いました。

たいていの人は、政治家の野田聖子を見ても励まされたとは思わないでしょうから。息子の存在は誰かのためになっているんです」

2021年に成立した医療的ケア児支援法の制定時には、真輝さんの写真が国会資料として使用された。

「法律の提案者から『医療的ケア児のイメージを厚生労働委員会の委員に知ってもらいたい』と依頼されました。ある意味見世物になるわけですから、普通のご家庭なら躊躇して当たり前でしょう。でも、『世のため人のためだから』と夫と相談して提供しました。

人工呼吸器と胃ろうケアがわかるように、パンツ一丁の状態の写真です。『気をつけ』のポーズを取らせて撮影しました。人様に見られるわけですから、おしゃれなパンツを身に付けさせてね(笑)」

真輝さんの存在は、野田聖子という人間を親に変えただけでなく、「国会議員・野田聖子という存在も変えた」という。

「彼が生まれたことによって、最強の国会議員になったと思います。彼と生きることによって、私の知らない新しい知識を身につけることができたのですから。

当事者の家族になると毎日が命がけだから日々身体のことや医学知識を勉強する。
おかげで、医療の専門用語を知ることができて、お医者さんが何を言っているかも理解できるようになりました」

医療畑の議員ではなかった野田さんだが、真輝さんのおかげで医療関係者に重宝される存在になったという。「シリンジ(注射器)」など、インタビュー中にも医療用語が自然に登場していた。

「私のブログでみなさんが息抜きできたら…」

野田さんは、自身を「いろいろと画策することができない不器用な人間」と表現することが多い。その真意を聞くと意外な答えが返ってきた。

「先日も先輩議員に『あなたは裏表もないし、正直すぎるから総裁選挙に出られないんだ。国会議員は騙すのが仕事だから』と言われました。でも、それって勲章ですよね。そんな私でも33年間国会議員をやっていますから」

自身の性格について、朋友でもある立憲民主党議員の辻元清美さんと比べてこう分析する。野田さんと辻元さんは同じ年齢で国会議員としてもほぼ同期ということもあり、プライベートでは非常に仲が良いという。

「清美ちゃんは世間のイメージとは違い、本当は控えめで気遣いができる、とても繊細な人。私はお嬢様育ちなんていわれるけど、周囲のことなんか気にしないでやりたいことに突き進んじゃう。かつ楽天家なんですよ。

小渕恵三元総理から教わった話で、コップに水が半分入っているのを『半分しかない』と思うか『半分もある』と思うかで人生が変わると。

私は『半分もあるじゃん』なんです。

真輝がお腹の中にいるとき、障がいがあるとわかったら、自分と子どもの将来を悲観する人もいるかもしれません。でも私は『うちは経済基盤もあるし、なんとかなるだろう』って思ったんです。 

SNS上の人の悪口なんかを見ると、落ち込むというよりはこの人たちもこれだけの熱量があったら、違うことに向ければもっと明るく生きられるのではないかと思っています」

ブログでは常に「最後に笑わせられないかな」というオチを意識しているという。

「私のブログでみなさんが息抜きできたらいいなと思っています」

「彼との日々がいつまで続くかわからない」

現在、真輝さんは、特別支援学校の高等部に行くため、週2回、障がい児専門の家庭教師に勉強を指導してもらっているという。

そんな真輝さんに対する将来の希望を聞いてみた。

「真輝に政治家になってほしい!? ないない! 彼の個性を生かせる仕事が見つかれば嬉しいですし、今、学びや就労、暮らしにおいて、障がい者が選択肢をもてる環境整備に取り組んでいるところです」

真輝さんの成長を見守りながら政治家として歩み続ける野田さん。

「彼との日々がいつまで続くかわからない。でも、人の寿命って、結局私たちだって明日までかもしれないですからね」と言いながらも、その表情は明るく、未来への希望に満ちている。

野田さんは、息子との日々が教えてくれた「最強の国会議員」として、今日も永田町で戦い続けている。

PROFILE●野田聖子(のだ・せいこ)●衆議院議員。1960年生まれ、福岡県出身。

1987年、史上最年少の26歳で岐阜県議会議員に当選。1993年に衆院議員に初当選し、現在11期目。郵政政務次官、郵政大臣、自民党政務調査会副会長、筆頭副幹事長などを歴任。自民党離党、復党を経て、総務大臣、幹事長代行、内閣府特命担当大臣(地方創生、少子化対策、男女共同参画)を歴任。人口減少問題をはじめ女性活躍や多様性社会の推進などに取り組んでいる。2011年に長男・真輝さんを出産。近著に『女性議員は「変な女」なのか』(辻本清美議員との共著・小学館)などがある。

取材・文/木原みぎわ 撮影/齋藤周造

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