偽りのポジティブ思考はやる気を奪うだけだった?  最新研究でわかった“前向き神話”がもたらす2つの副作用
偽りのポジティブ思考はやる気を奪うだけだった? 最新研究でわかった“前向き神話”がもたらす2つの副作用

ポジティブな言説や思考法を無理やり信じこもうとすると、いつしか自分を縛る“呪い”になることがある。最新の研究結果では集中力や実行力が落ち、恋愛やダイエットも失敗しやすくなるという報告まで出ている。

では、私たちはどのようにネガティブな感情と向き合えばいいのか?
社会に蔓延する“呪い”の言葉を分析した『社会は、静かにあなたを「呪う」』より一部抜粋、再編集してお届けする。〈全3回のうち1回目〉

偽りのポジティブはネガティブな効果しか生まない

「幸せの追求」に似た観点として、ポジティブシンキングについて考えてみたい。

ポジティブにまつわる言葉も、現代における“呪い”の典型だろう。たとえば、「常にポジティブで前向きに」や「小さなことにくよくよするな」などのフレーズは、私たちに前向きな姿勢の重要性を訴えかけ、不安や怒りといった感情を最小限に減らすように促してくる。

特に自己啓発の世界でよく見聞きするアドバイスだが、果たしてこの主張には、どれだけの正当性があるのだろう。

まず前提として、ポジティブな感情のメリットは過去に何度も認められている。たとえばある研究では、前向きな気分の人は、落ち込んだ人よりも心拍数や血圧が下がりやすい傾向が見られたし、また別の調査でも、楽観的な気持ちのときほど体内のナチュラルキラー細胞が増え、がんの再発リスクが下がったと報告されている。

これはおそらく、ポジティブな人は逆境のなかでもストレスを感じにくいため、免疫系がダメージを受けにくいからだろう。

似た報告は他にも無数にあるし、どの研究も総じてデータの質は高いため、ポジティブな感情の有用性を疑うのは難しい。ウィンストン・チャーチルも言うように、困難のなかに好機を見いだす楽観主義者の姿勢には、やはり学ぶところがある。

しかし、それでもポジティブシンキングには問題がある。ポジティブな感情が自然にわき上がるのと、ポジティブな感情を意識して目指すのとでは、その結果は大きく異なるからだ。

ニューヨーク大学の研究チームが、卒業を目前に控えた就活生83人を対象に、卒業後のキャリアをどうイメージしているのかを訊ね、それから2年後に追跡する調査を行った。



すると、過去の時点で自分の未来をポジティブに思い描いた学生ほど内定が少なく、給料も低い傾向があったという。要するに、学生のころに「自分にぴったりの仕事が見つかるだろう」や「いい上司に恵まれているだろう」などと、自らのキャリアを前向きに想像した者は、実際に社会に出てから伸び悩んでいたわけだ。

さらに、ポジティブシンキングには、他にも以下の副作用も報告されている。

●仕事の能力低下:332名の男女を対象に行われた実験によれば、参加者の半分に「仕事をスムーズにこなせる自分」をイメージさせ、残りには「普段どおりに仕事をする自分」を思い描くように指示。その後1週間の経過を見たところ、事前にポジティブな自分の姿を想像したグループは仕事の集中力が減少し、作業のパフォーマンスが大きく下がっていた。

●恋愛の失敗:2002年の実験では、学生を集めて「いま好きな人と恋愛関係になったところをイメージしてください」と伝え、それから5ヵ月後に再調査してみると、楽観的な想像をした学生ほど、実際には恋愛が成立しない傾向が見られた。逆に「告白してふられた場面」のようなネガティブな想像をした学生は、実際に恋愛がうまくいく確率が高かった。

●ダイエットの挫折:ペンシルベニア大学などの研究チームによれば、肥満に悩む女性に「完全に痩せて理想の体型になった自分」を想像させた。その結果、ポジティブな自分の姿をイメージした参加者は、1年後にダイエットに失敗する確率が高くなった。その一方で、「さらに太った自分」をイメージした参加者は、ダイエットの成功率が上がっている。

ご覧のとおり、どのデータにおいても、ポジティブシンキングを実践した者ほど長期的な目標の達成に失敗している。どうやら意図的にポジティブな感情を目指すと、私たちはゴールを目指すモチベーションを失ってしまうらしい。

意図的にポジティブに考えたときの2つの副作用

こういった副作用が起きるのには、主に二つのパターンがある。

1    ポジティブに考えることで、脳が自動的に「目標をやりとげた」と勘違いし、作業を行う気力がなくなる。

2    ポジティブに考えることで、脳が「そんなにうまくいくわけがない」と思い、作業を行う気力がなくなる。

まずひとつめは、私たちの脳が、頭の中に浮かべたイメージを真実だと思い込み、すでに目標を達成したかのように錯覚してしまうパターンだ。

よく知られるように、私たちの脳は、想像と現実を区別するのが苦手な器官だ。たとえば、ピアノを実際に演奏している人と、ピアノを演奏する自分の姿を頭の中でイメージしている人を調べた研究では、両者の脳の活動パターンに驚くほどの類似が見られた。

想像の世界でピアノを弾くと、現実での演奏とほぼ同じように、運動野や聴覚野などが動き出すのだ。

このデータが示すのは、私たちが思い浮かべる"想像"は、脳にとってはリアルな体験に近いという事実だ。理性では「これは現実ではない」と理解していても、感情に関わる深部のシステムは、そうした区別ができない。頭では「作り物だ」とわかっている怖い映画で心拍数が上がるのも、この脳の働きが原因だ。

そのため、「ポジティブな自分」ばかりを繰り返し頭に浮かべていると、脳は反射的に"本当に成功したような気分"を作り出す。この作用は私たちに一時的な満足感を与えてくれるが、その半面で「もう十分にやりきった」という誤ったフィードバックも生み、行動のモチベーションが下がってしまうわけだ。

そして、ポジティブシンキングで副作用が起きる二つめの原因が、前向きなことを考えようとした瞬間に、「そんなにうまくいくわけがない」や「それは理想論だ」といった否定的な声が頭の中に響くパターンだ。



将来の成功を思い描いたとたん、「今の自分では無理だ」と気持ちが冷めてしまった経験は多くの人に覚えがあるだろう。ポジティブな想像をしたせいで、理想と現実のギャップにあらためて気づかされる心理は、決して珍しいものではない。

この現象は自己肯定感が低い人ほど起こりやすく、ある研究でも、生まれつきネガティブな者にポジティブシンキングを使わせると、逆に不安が悪化したと報告している。

悲観的な人間が無理して前向きな態度を取ると、脳が「これは本当に私の思考なのだろうか」と脳が違和感を抱き始め、ネガティブな感情が増えてしまうらしい。つまり、根本がネガティブな人間にとって、ポジティブシンキングは自分を偽る行為にしかならないわけだ。

ネガティブな感情をじっくり味わう

幸福を追えば現実への不満が募り、前向きを目指せば自己の本性と齟齬が出る。

まことに面倒な事実だが、それでは私たちはどうすればいいのか。この疑問については、幸いにも複数のデータが解決のヒントを示してくれている。

カリフォルニア大学の実験を見てみよう。研究チームは、1003人の男女に「悪い感情や間違った感情は、考えるべきでないと思う」のような文章に同意するかどうかを訊ね、全員の「受容傾向」を調べた。

受容傾向は、自分の感情を「よい/悪い」で判断せず、そのまま受け入れられるかどうかを表す特性のことだ。

たとえば、大事なテストを明日に控えた状況で、「私はだいぶ緊張している」とだけ思える人は、受容傾向が高い。一方で「緊張したらまずいから、リラックスしなければ」のように考える人は、受容傾向が低い。



こうして見ると、問題への対策を考えているぶんだけ、受容傾向が低い人のほうがよさそうにも思えるが、実験の結果はこうだった。

●受容傾向が高い人は、日常の不安が少なく、生活の満足度も高い。

●受容傾向が低い人は、嫌な体験を引きずりやすく、6ヵ月後もネガティブな記憶を保ち続けた。

心理学の世界には、「抑え込んだ感情は増加する」という基本原則がある。ネガティブな感情を抑えるためには、自分の内面に強く意識を向けざるを得ず、そのせいで逆に嫌な気分が強調されてしまうのが原因だ。泣き叫ぶ子供を鎮めようと怒ったら、かえって泣き声が大きくなったような状態に近い。

ノートルダム大学の心理学者キャシャー・ベリンダは、こう指摘する。

「ネガティブな感情を抑えつけると、思考や感覚の柔軟性が損なわれ、その後のタスクで問題が表面化する。逆説的ではあるが、感情を抑えようとすることは、その有害な効果をより長持ちさせることになる」

逆にネガティブな感情を受け止められる人は、自分の内面と無理に戦おうとはしないため、今の気分をただ観察するだけの余裕が生まれる。その姿勢がストレスの拡大を防ぎ、気分の波が自然と収まるのを待つこともできる。

つまり、本当に幸福感を得たいなら、まずは眼の前の不快さを否定せず、いったん受け入れる作業が必要になる。ネガティブな感情を敵にまわすことなく、味方につけようとする姿勢のほうが、結果として心を軽くしてくれるわけだ。



この考え方を実践する方法はシンプルで、ひとことでまとめるならこうなる。

ネガティブな感情を堪能する

具体的な手順は、ネガティブな感情を感じたら、まずその感覚を無視したり抑えつけようとせずに、まず「いま私は何を感じているのか」をじっくり観察する。

その感情によって体にどのような変化が起きているのか、その感情の強さに点数をつけるなら何点か、その感情に形や色があるとしたらどう表現できるかなどを考え、ネガティブな感情が自分に与える影響を、ひとつずつ丁寧に確かめていく。

たとえば、職場で理不尽な扱いを受けて怒りを覚えたなら、「この感情によって自分に何が起きているのか」と自分に訊ねてみる。そのうえで、胸や頭のあたりがこわばっていないかをチェックしたり、「この感情の強さは100点満点で言えば60点だ」や「怒りが赤黒い煙のように渦巻いている」といったように感情を言葉に変え、"怒り"をそのまま観察してみるわけだ。

先述の実験データによれば、この作業を行った参加者は受容傾向が高まり、気分が改善するケースが大幅に増えたという。ネガティブな感情を抱くのは人間にとって自然なことであり、それ自体は問題でない。

決して感情を抑え込まず、その代わりに「また怒りが出てきた」ぐらいに受け止め、ネガティブな感情が自分に引き起こした変化を味わったほうが、実は心の柔軟性は高まる。感情の堪能とは、そういう意味だ。もちろん何事も言うは易しで、ネガティブな感情を簡単に堪能できる人は少ない。慣れないうちは、すぐに不快さから逃れたくなったり、いつものように気持ちを抑えつけたり、感情に流されるまま怒りを人にぶつけたりしたくなるだろう。

しかし、感情の堪能を何度も実践し続ければ、最初は不快だった感情がやがて味わい深さに変わる。そこには、「気分がいい」というだけの幸福ではなく、「自分の人生を生きている」という実感が生まれるはずだ。



#2に続く

文/鈴木祐 写真/Shutterstock

社会は、静かにあなたを「呪う」: 思考と感情を侵食する“見えない力”の正体

鈴木祐
偽りのポジティブ思考はやる気を奪うだけだった?  最新研究でわかった“前向き神話”がもたらす2つの副作用
社会は、静かにあなたを「呪う」: 思考と感情を侵食する“見えない力”の正体
2025/8/261,980円(税込)256ページISBN: 978-4778036515

【社会の「呪い」を検証する】

ネットニュースやSNSで以下のようなメッセージを耳にしたことはないだろうか。
「日本はオワコン」「人生は幸せになるためにある」「やりたいことを仕事に」「資本主義ゲームや競争から降りよう」「この世は親ガチャで決まる運ゲー」

本書における“呪い”とは、このような気づかぬうちに私たちの思考と行動を縛り、時に重圧を与えてくる言葉を指す。しかし、全て“根拠のない思い込み”だとしたら、どうだろう。

人気サイエンスジャーナリスト・鈴木祐氏が、データ&エビデンスをもとに呪いの真偽を徹底検証! いま明かされる「あるべき論の偽り」とそれに踊らされる「人間心理のメカニズム」 。私たちは言葉とバイアスが作る“透明な牢獄”から抜け出せるか。

経済や幸福、働き方、遺伝と才能―現代人が信じ込んできた“正しさ”を、鈴木氏が鮮やかなまでに撃ち砕く。思い込みから脱し、真に自由になるための書がここに誕生。

<本書で検証する主な「呪い」>
・日本は、少子高齢化で未来がない
・人は幸せになるために生きている
・もう経済成長はいらない
・情熱を持って仕事に取り組め
・人生は遺伝で決まるetc.

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