高市「3日待って」斉藤「この場で決めて」…“下駄の雪”公明党がブチぎれた26年目の熟年離婚の真相「俺たちは軽く見られた」
高市「3日待って」斉藤「この場で決めて」…“下駄の雪”公明党がブチぎれた26年目の熟年離婚の真相「俺たちは軽く見られた」

「26年目の熟年離婚」――。自民党と公明党が四半世紀続いた連立政権を解消した。

突然の「離婚劇」の裏には何があったのか。ジャーナリストの長島重治氏が真相を探った。 

高市「3日待ってほしい」、斎藤「この場で決めて」

 「いったん白紙にして、これまでの関係に区切りをつける」

10月10日、自民党の高市早苗総裁と公明党の斉藤鉄夫代表の党首会談は、国会内で1時間半続いた。会談後、斉藤氏は記者会見を開き、連立離脱を公表した。26年間続いた自公による連立政権の崩壊が確定した瞬間だった。政治史の大きな転換点の1ページで、永田町に激震が走った。

一方で、連立離脱を「一方的に伝えられた」と嘆く高市氏。会談で斉藤氏は、公明党が提示した政治資金規正法の改正案を「丸のみ」することを求めた。

「3日待ってほしい」

すがる高市氏に対して、「いまこの場で決めていただきたい」と一歩も譲歩の姿勢をみせない斉藤氏。高市氏が粘ったため、会談自体は90分という長丁場だったが、お互いの議論は平行線だった。

創価学会関係者によると、10日の協議は「破談」することが決まっていたという。経緯をたどってみよう。

高市氏、まさかの勝利に公明大慌て 

4日の自民総裁選でおおかたの予想に反して高市早苗氏が小泉進次郎氏を打ち破って勝利した。関係者によると、公明・創価学会内部はこの時点で大慌てになったという。

というのも多くの政治ジャーナリストらの予想と同じで公明内部も小泉氏の勝利を確信していた。

小泉氏の後見役である菅義偉元首相は公明、学会ともに太いパイプを持っている。小泉氏も公明で同じ神奈川の三浦信祐選挙対策委員長(50)とは同年代で定期的に食事をするなど関係は良好だ。

そのため、総裁選の終了直後には小泉氏が公明党本部を訪れてあいさつを交わす予定だった。ところが、10日午後2時過ぎに決まった結果は違った。

高市氏が新総裁に決まると、議員会館の自室のテレビでその瞬間を見届けたという斉藤代表はしばらくぼうぜんとしていたという。

そして、小泉氏を想定して総裁選決定直後に設定した自公党首会談はそのまま高市氏に引き継がれた。

そこで、公明は慌てて三つの条件を整理した。①政治とカネ②靖国神社を含む歴史認識③外国人との共生だ。②と③では折り合えたが、①の政治とカネ、公明が求める企業団体献金の規制を高市氏は呑むことが出来なかった。

「無理だ、呑めない。地方で暴動が起きるぞ」 

公明が求めた企業団体献金の規制––––これは、現在は政党本部、都道府県連、さらに政治家個人の地方支部に認められている企業団体献金の受け入れ先を政党本部と都道府県連だけに限定するものだった。

自民は地方議員が3千人前後もいると言われている。

高市氏は公明をつなぎとめるため、自民党内で政治改革をリードする渡海紀三朗元政調会長に相談した。渡海氏はこう答えたという。

「無理だ、呑めない。地方で暴動が起きるぞ」

献金の受け入れ先を党本部と都道府県連に絞る公明案は透明化を促すものだ。自民の地方議員は自らの政党支部という「第2の財布」を失うことになる。つまり国会議員は良くても地方議員が絶対に呑めない案だ。

全国3千人の地方議員に支えられている自民党が絶対に承諾できない案だった。高市氏は「総裁であってもこれは一人で決められるものではない」とすがったが、斉藤氏は一歩も譲らなかった。

「まるで令和のハルノートだよ。最初から自民が呑めない案をぶつけてきた。公明は最初から高市氏と交渉するつもりはなかった。

連立離脱は決まっていたんだろう」

高市氏周辺はそう言って怒りをぶちまける。

一方で、創価学会関係者は、今回の連立解消の理由は主に二つあると説明する。

学会関係者が語る連立解消2つの理由 

一つは高市氏が7日に決めた党役員人事だ。麻生太郎副総裁、鈴木俊一幹事長、有村治子総務会長、小林鷹之政調会長、古屋圭司選挙対策委員長。そして萩生田光一幹事長代行。

「この中で公明の選挙応援に来てくれていたのは小林さんだけだ。話にならない。石破さんや小泉さんは本当によく公明の応援をしてくれた」

公明にとっては「選挙の勝利こそが信仰心の証し」だ。学会幹部たちは自公連立の最大の目的は選挙協力だと言い切る。そんな支持母体にとって、公明の応援をしてくれない議員が並んだ高市執行部は受け入れられない。

ましてや公明幹部や創価学会を名指しして「がん」と発言した麻生氏が副総裁。政治資金規正法違反で政策秘書が今年8月に略式起訴されたばかりの萩生田氏も入った。

別の学会幹部は「萩生田さんが入った時点で、高市自民との連立維持の選択肢は風前のともしびだった」と打ち明ける。

加えて、5日に高市氏が国民民主党の玉木雄一郎氏と極秘で会談していたことが明らかになる。麻生氏も6日に国民民主の榛葉幹事長と会談した。

「俺たちは軽く見られているんだな」 

公明との連立協議がまとまる前から国民民主の取り込みに走ったことも公明側を怒らせた。

「俺たちは軽く見られているんだな」

これまで政策的な距離が生じても最後は自民に譲歩を重ねた公明党。

「踏まれて蹴られても  ついていきます下駄の雪」

どんなに対立しても最後は公明がベタ降りする。そんな姿を揶揄する言葉も永田町ではときおり出回るほどだった。しかし、今回は違った。

これまで水面下で自公関係を支えたパイプ役が不在の新しい党執行部体制、政治とカネのスキャンダルを受けても政治資金の規制強化に後ろ向きな政治姿勢、そして公明をスルーしての国民民主との連立協議。堪忍袋の緒が切れて離婚届を突きつけた、というのが真相だろう。

加えて、こうした表の動きと連動して、自公連立の「根幹」が崩れていたことが本当の崩壊理由として挙げられる。

それは「選挙協力の機能不全」だ。そもそも自公連立は1999年に始まった。その前に平成の政治改革でそれまでの衆院の選挙制度が小選挙区比例代表並立制へと変わった。

小選挙区では一つの選挙区から一人しか当選しない。一つの選挙区から3~5人と複数人が当選する中選挙区なら公明党単独でも当選可能だ。

「選挙=信仰心の証し」なのに負けたら意味ない 

しかし、小選挙区制では一人しか当選しないので、大政党に太刀打ちできない。そのため、小選挙区では全国289のうち公明は擁立を11に抑え、残り278選挙区では自民を応援する相互推薦と、バーターで自民から公明に比例票を回してもらう、という選挙協力を前提にしたシステムが機能してきた。

ところが、自民党の旧安倍派など派閥を起点にした政治資金規正法の不記載問題、いわゆる「裏金」事件によって自公連立への信頼は失墜した。昨年秋の衆院選では自民党が惨敗したが、公明も11選挙区のうち、石井啓一代表を含む7選挙区で落選した。

代表まで落選させたことに公明・学会内には衝撃が走った。その後の今年6月の都議選、7月の参院選と連戦連敗を重ねる。

公明にとって選挙は「会員にとって信仰心の証しであって、宗教団体にとって『勝利の証し』になっている」(学会幹部

1999年に自公連立を組んで、2005年には比例で900万票まで躍進した。それが昨年の「裏金事件」以来、急降下し、公明の比例票は500万をやっと超える程度まで低下した。もちろん、会員の高齢化なども無関係ではない。

金の切れ目ならぬ票の切れ目は縁の切れ目 

ただ、熱心に選挙応援に取り組む会員たちは「自民党がお金に汚いせいで私たちまで巻き添えにされている」。

選挙に大きなメリットがあるから構築した自公連立が気づけば、選挙の足手まといになっていた。

まさに金の切れ目ならぬ票の切れ目は縁の切れ目だ。

「これは単純に票数だけの問題ではない。クリーンというのはうちの女性部にとっては絶対に譲れない価値観であって、政治とカネの問題で沈みゆく自民と一緒に沈むのはごめんだ」

これが今回の決断の本当の理由だ、と学会関係者が説明する。

加えて、もう一つ大きな理由がある。それは2023年11月のカリスマ・池田大作名誉会長の死去にあるという。

自公連立をはじめたのは池田氏だった。その池田氏が死去する前に、連立離脱を切り出すことは誰もできなかった。池田氏が亡くなったことで、こうした大きな政治判断を集団指導体制と言われるいまの執行部でまとめることができたという。

26年ぶりに公明は野に下る。自民党と組む前の公明は細川連立政権や新進党へ参加した与党時代に野党自民党から激しい「政教分離」の攻撃を受けた。

池田大作名誉会長の国会招致への動きなどで公明を揺さぶり続けた。公明はそのときのトラウマがあり、自民に接近。そして自公連立が生まれたと言われている。

野に下っても自民や政権与党との関係は一定保っていく方針 

「野党になってすべて(自民に対し)敵方になるわけではない」

斉藤代表はそう語っている。野党になっても自民に対し、完全に敵対するわけではない。

公明・学会は、創価学会初代会長の牧口常三郎氏が治安維持法違反で逮捕されて、その後に獄中死。2代会長の戸田城聖氏も投獄された経験を持ち、3代目の池田大作氏も大阪の選挙違反で逮捕・勾留(その後に無罪)された経験を持つ。

3代にわたり、代表が国家権力に「迫害」されたという認識を持つ会員は主に高齢者に少なくない。

野に下っても自民や政権与党との関係は一定保っていく方針だ。それは公明・創価学会の防衛本能と言えるだろう。

そして自民はどうなっていくか。公明の連立離脱によって選挙協力を解消されたことで自民は次の選挙で50議席ほど減らすという試算も一部で取りざたされている。公明は自民との選挙協力もすべて白紙ではなく、公明の選挙への貢献度から協力度合いを決めていくという。

始まりあるものには終わりが必ずある。「26年目の熟年離婚」によって日本も本格的な多党制の時代に入った。

戦国時代のような群雄割拠のなか、選挙制度改革など新たな政治システムが生まれるのか。それとも、ただ混迷が深まるのか。日本政治は大きな時代の分岐点に、いままさに突入した。

文/長島重治

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