〈デビュー25周年〉「自分の意見を言う権利はなかった」ソニンが振り返る“ガツドル”時代
〈デビュー25周年〉「自分の意見を言う権利はなかった」ソニンが振り返る“ガツドル”時代

2000年10月18日、「EE JUMP」としてデビューしたソニン。25年の時を経て現在彼女はアイドルから女優へと活躍の場を移していた。

波乱万丈だった四半世紀、彼女は厳しい芸能界をどう生き抜いてきたのか。〈前後編の前編〉

「自分の意見を言う権利はない」と思っていたアイドル時代 

「会議室で社長に解散を告げられて、鼻血が止まらなかったのを覚えてます。当時は血のめぐりがよかったのか、よく鼻血を出してたんです。でもその日は大量で……拭くのにティッシュを箱半分くらい使って、社長も引いてましたね(笑)」(ソニン。以下同)

19歳の頃だった。3rdシングル『おっととっと夏だぜ!』がオリコン初登場5位となり、飛躍のタイミングだったEE JUMP。しかし、相方の相次ぐ不祥事により翌月に迫っていた1stアルバムは発売中止となり、ユニットは解散。ソニンも窮地に立たされた。

「でも、このまま辞めて地元に帰るという選択肢はありませんでした。だって、デビューして1年半ですよ。親をそれなりに説得して芸能界に入ったのに、逃げ帰るようなことはできなかった」

SPEEDのライブにカルチャーショックを受けて芸能界に入ったソニンは、思えば幼い頃から負けん気の強いタイプだった。親戚とカラオケに行った際、おばさんから「音がズレてるよ」と指摘されれば歌を猛練習。学校でも勉強のできる子だけに優しい先生の鼻を明かすために、テストでクラスでひとりだけ100点を取ったこともある。



EE JUMP解散時、スタッフに「ソロでやっていくのはキツイんじゃないか」と言われたことも、あるいは彼女の燃料となったかもしれない。

しかし、ここからが苦難のリスタート。モーニング娘。の追加メンバーオーディションを受けていたソニンをEE JUMPに加入させた、ソニンのマネージャーで所属事務所ハーモニープロダクションの社長だった和田薫氏は、ソロで再始動する彼女に次々と試練を与える。

音楽バラエティ番組「うたばん」(TBS系)では、和田社長も名物マネージャーとして出演。ソニンに「570キロマラソン」「6万個1人ドミノ倒し」という過酷な企画に挑戦させた。

「(企画について)疑問には思わなかったです。芸能界を生き残るためにはそうするしかないと思ってましたから。それにあの時は自分の実力で何かを成し遂げたことはなかったし、事務所のおかげでメディアに出られて楽曲もリリースできてるって気持ちが強かったので、自分の意見を言う権利なんてないと思ってましたね」

“そういうもんだ”でやり過ごしたキャリア前半 

結果として、苦しむ姿はお茶の間から反響を得る。さらに、和田社長の辣腕が大いに発揮されたのは、本格的にソロ活動をスタートさせた最初の楽曲『カレーライスの女』のジャケットだ。ソニンがここで披露した“裸エプロン”は大きな話題となった。

「ギリギリ10代の女の子にそんな格好させるなんて(笑)。でもそれも当時は“そういうもんだ”って感じで。



今じゃちょっと考えられない売り方で、カッコイイものじゃなかったかもしれない。でも話題になったしよかったんじゃないですか。楽曲自体もすばらしかったし、20年以上経った今でも覚えていてもらえる曲なんて、多くはないですからね」

“そういうもんだ”――。キャリア前半、彼女が芸能界で活動するにおいて、頭の中はその言葉で占められていたようだ。

EE JUMPデビュー曲のPV撮影で多額の制作費で作ってもらっても、『おっととっと夏だぜ!』でブレイクしても、「芸能界って“そういうもんだ”と思ってた」と気負いや感慨はなかった。

好調なスタートを切ったソロ歌手活動も次第に勢いは衰え、インディーズで新曲を発売することになっても、それは変わらない。

「(歌手活動の今後は)厳しいんだろうなとは思っていたけど、私は目の前の仕事を一生懸命やるだけで、あとは周りの大人に任せるしかないと。当時の私にセルフプロデュースする力なんてなかったですから」

そんな彼女が芸能活動において自我を持ったタイミングを聞くと、「ミュージカルに出会ってからですね」と即答する。

役者デビューは2003年のドラマ『高校教師』(TBS系)。脚本家の野島伸司氏直々のオファーでホスト狂いの女子高生役を演じたが、「台本の覚え方すらわからなくて、現場ではプレッシャーで毎日お腹が痛かった」と振り返る。

ミュージカルといえば、演技力や歌唱力が問われるジャンル。それでも、芸能界で何を体験しても過酷な仕事を強いられても、“そういうもんだ”で済ませていた彼女に、ミュージカルはSPEEDのライブを初めて見たとき以来のカルチャーショックを与えたのだった。

「今後はこの仕事に執着はない」 

「初めてミュージカルで大竹しのぶさんを見たとき、『これが本当の役者なんだ』と衝撃を受けました」

芸能界入り後、初めて自分でやりたいものを見つけた。勉強のために年間100本のミュージカルを観劇し、活動の軸足を徐々に舞台へと移していく。

「舞台が自分の一番輝ける場所、ここが自分の居場所なんだ」と確信したソニンは、活動を休止してエンタメの本場、ニューヨークに1年半の演劇留学に行くなど、舞台にすべてを注ぎ込む日々を過ごす。

かつてアイドル時代は流されるままだったソニンだが、舞台への情熱が評価され、2016年に菊田一夫演劇賞演劇賞、2019年に読売演劇大賞優秀女優賞を受賞するなど、今ではミュージカル界で確固たる地位を築いている。

42歳となったソニン。今後の目標を聞いてみると、「正直言うと、この仕事に執着はないんです」と意外な答えが返ってきた。

「人生も後半戦に入ろうとするなかで、今は自分の人生を謳歌するために何が必要なんだろうと考えている段階です。

決してエンタメの仕事が好きじゃないから離れたいというわけではなく、人生って人の縁や運命の流れが確実にあって、その時々でやるべきことって自然と舞い込んでくると思ってるんです」

じつはソニンは2年前に、アメリカの最新栄養学の学校に通って資格(米国認定統合栄養ヘルスコーチ)も取得。クライアントもいるそうだ。

「人を幸せにしたい、みんなの心と体を健康にしたい気持ちから始めたんです。今後はそういう仕事に力を入れるかもしれないし、私自身、どうなるかはわからない。

いずれにしても、これまでもその時々の使命を全うしてきた25年だったはず。

これからも依存せず、執着せず、人のためになること、人を喜ばせることを基本にして、自分の人生すごく真っ当に生きたなって思える選択をしていきたい、ただそれだけですね。

ファンの人からはあっちゃこっちゃ行ってるなって思われるかもしれないですけど(笑)」

彼女は最初から流されてなんかいなかったのかもしれない。なすがままに、人生という舞台で輝くために、ソニンは今日も演じ、歌う。

(後編に続く)

取材・文/武松佑季
撮影/二瓶彩

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